アイウィル 社員教育 研修日程

コラム『講師控え室』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

2015年6月号「講師控え室 76

 

最近、身の回りで登校拒否をしている子どもの話をよく聞く。親を見知っていたりするので、強く関心を持つようになった。妻を介して話を聞くと、意外なことが解った。

原因の多くはイジメにあっているとか、勉強についていけないからといった深刻なことだと思っていた。

しかし、登校拒否の子は「学校に行ってもつまらない」とか「行きたくないから」と言っているという。そうした“気分”で学校へ行かない。この原因は別の意味で深刻だと思った。

学校が楽しい人はごくわずかであろう。大半は、行くものだからという義務感が働くから行っているのだ。

学校に行かなくていいと言えば、喜んで家でテレビを観たりゲームをしたりと遊び中心の生活になる。遅寝遅起が常態化する。また食生活が不規則になる。

私が小さい頃は、親から「あなたたちの仕事は学校へ行くことだよ」と言われていた。だから行くのが当然だと考えていた。

登校拒否をしている子どもはどうなるか。出席日数が足りなくても、義務教育の間は進級でき、卒業できるのである。

その後、自分で改心し専門学校や夜間の学校へ通い始めたり、定職に就く人がいる。一方で、嫌なことから逃げることを身体で身に付けてしまった人は、何もしないで部屋にこもったり、フラフラして毎日を過ごす。一生そのまま続けるのだ。

どんな事情があるにせよ、身体に不自由もないのに、何も仕事をせず生きていける社会構造がおかしいと私は思う。

知的な仕事に向かないのなら、肉体労働で日々の糧を得るために働くべし。それが人間としての義務であり責任であろう。

しかし、働かなくても生きていける環境があるのも事実である。「やりたい仕事が見つかったら働けばいい」「本人がその気になるまで待とう」と親が子を甘やかし、一切の面倒をみる。また国も甘い判定の“生活保護”で面倒をみる。これではますます働く意欲は湧いてこないであろう。

研修の初日に帰ってしまう人、第二ステップの途中で退職してしまう人が何人もいるが、登校拒否の小中学生と同じ“気分”で生きているのだろう。

曽野綾子が、あるエッセイの中で書いていた。「成人になっても、就職して自分の食べるだけの収入を得ようとしない人には、選挙権を与えなくていいし、健康保険料の税率も上げたほうがいいと思う」と。

同感である。「働かざる者、食うべからず」「甘ったれるな」、これも子どもの頃、親によく言われていた言葉だ。(坂口英生