アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 318」   染谷和巳

 

 

倹約とけちの違い

経営管理講座

 

日本的経営の②に勤勉倹約誠実を挙げたが、勤勉と倹約は全く別のもので、項目を分けて述べたほうがいいと思った。石田梅岩も倹約を自著の大きい柱として書き記している。経済では消費を成長の数字ととらえ、浪費乱費を歓迎肯定する。梅岩がこれを知ったら怒髪天を衝くならん。

 

 

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けちに徹して成功した仁兵衛

「七人の侍」が世界最高の映画だと紹介したことがある。

二番目に私の心に深く刻まれているのが、二代目中村鴈治郎主演の「大阪物語」である。

昭和三十二年(一九五七)封切の大映映画である。

「日本永代蔵」(井原西鶴)に載っている話が柱になっている。

百姓仁兵衛は年貢米が納められず役人に追われる。家を捨て家族四人で夜逃げをする。

大阪で大きい店を構えている知人を頼るが、知人に塩をまかれ追い返される。

仁兵衛と妻、十歳前後の息子と娘は家族ホームレスである。弱い人なら一家心中だろう。

米を積んだ船が堂島川を上り毎日、米蔵に荷上げする。俵からこぼれた米が土にまみれている。仁兵衛家族はその米を拾う。

効率をあげるため渋うちわと手箒(てぼうき)を用意する。米粒の入った土を箒で掃き集める。指で一粒ずつつまむより早く数多くの米を集めることができる。四人が食べる分くらいは集められる。

初めは塀の外で、外にこぼれた米を集めていた。塀の内側のほうがたくさんこぼれている。番人に銭を渡して「中で取らせてくれ」と頼む。番人には落ちている米を拾い集めるという発想がない。掃除の手間も省けるので塀の内側での作業を許す。生産が一挙に三倍に上がる。

十年後、仁兵衛は「近江屋」という屋号の居を構えることができた。十年間米を拾い続けて、自分たちは芋と粟(あわ)を食べ、米を売って銭を蓄えたのである。

近江屋はお茶を扱い両替商を営む。

息子娘にごみ箱あさりをさせる。茶の出しがらを集める。それを裏庭に広げて乾かして新しい茶に混ぜて量を増やして売る。食品偽造である。

仁兵衛のケチは度を超していた。草履をひきずって歩くと減りが早いからそっと歩けと指導する。妻が病気になった。「どうせ死ぬんだ」と薬を与えない。妻がなくなった。通夜の客にお清めの酒と食物を出さない。お茶だけ。

金蔵に金が貯まっていく。

大阪に出て来た時けんもほろろに追い返されたその大店(おおだな)が潰れ、その店を仁兵衛が買い取った。

仁兵衛の自信に満ちたケチ人生。

息子の友人が女郎に惚れ、心中しそうな気配。息子が一肌脱いで友人に女郎を身受けさせる。その身受け金を店の金庫から盗み出す。

仁兵衛が食う物も食わずけちに徹して貯めた金二千貫。ごっそり持ち出し友人に身受け金を渡し、残った金で豪遊する。

仁兵衛は金蔵に金がないのを知って狂い死ぬ。

※ ※ ※

西鶴は仁兵衛を成功者として書いている。金持ちになってからの徹底したけちぶりに対しても肯定的である。妻に薬を与えないなど問題もあるが、けちに徹してどん底から這い上がったしたたかな生き方は見事だと思う。

苦い笑いを残す喜劇映画であるが、まだ二十歳前だった私には衝撃的な"教育映画"であった。何を学んだか。

①生命力の強い人はどんな困難も克服できる。

②生きるか死ぬかの瀬戸際では人の目など気にしていられない。

③人から冷たい仕打ちを受けた人は、人にやさしくなれない。

④金を貯めるにはケチに徹すること。

⑤ケチは財産家になっても気を緩めない。前より一段とケチになり、
     人が何と言おうと改めない。嫌われても憎まれても平気。

⑥ケチは金が命なので、長年かけてこつこつと貯め込んだ財産をごっ
     そり奪われると気が狂って死ぬ。

 

日本的経営の生命線倹約精神

「息子は社長にはしません」と中堅企業の創業社長が言った。五十歳近い息子は課長で、専務、常務、部長など上司が何人もいる。

「関西に三日間出張したことがある。一泊三万円のホテルの領収書を持ってきた。私だって仕事の出張の時はビジネスホテルに泊まる。『こんな高いホテルに泊まることないだろう』と問い詰めると『いいホテルは安全だから』と答えた。それは安全だろうが、一万円以下のビジネスホテルだってそんなに安全は変わらない。格好つけてゼイタクしているだけだ。こんな金銭感覚で経営したら会社はすぐおかしくなる。息子は社長の器ではないんですよ」

社長はこんな話もした。

息子は子供が二人いる。給料は十分出しているが、毎週競馬をするし、酒を飲むのも高級な所なので小遣いが足りない。仮払い金がふくらんで、経理部長に会社の金を回してもらっているらしい。給料から少しずつ返しているが、また借りるので借金は減らない。部長も社長の息子だということで、頼まれると断れない。

息子だからこれからも食い扶持は出してやるが、経営陣には上げない。幹部もよく知っているから、私が突然なくなっても息子を上げることはない│。

社長は苦労して会社を大きくしてきた。倒産寸前の危機もあった。元々質素倹約の人だったが、こうした経験が倹約精神を強固なものにした。遊びは人並みにするが、浪費散財はしない。儲けたお金を使うなら、自分の楽しみのためでなく、社員のため、世間のために使う。

倹約は単なる個人の美徳ではなく、経営の根底に流れる精神だと社長は思う。だからその精神が全く身についていない息子を嘆き悲しむのである。

私はこの社長に共感する。貧しく育ったせいで私にも「倹約」が染み付いている。

「蓄財」と「浪費」が一般的になったのは元禄時代(一六八八?一七〇四)以降である。町人文化隆盛の時代といわれている。貨幣の流通が活発になり、商人の中から紀伊国屋文左衛門のような豪商、大店といった"金持ち層"が台頭した。

この層が栄耀栄華(えいようえいが)の生活をし、庶民は「自分もああなりたい」と羨ましがる。

金持ちは貪欲であり、さらに儲けて自分の財産をふやそうとする。そのため平気で庶民を泣かす。法に触れる悪業もする。貯め込んだ金銀財産を眺めて"己れの力"

に酔いしれる。これが「ケチ」の究極の姿である。

一方、名誉を得るために見栄を張る。人々から注目され尊敬されたいために豪邸を構え、きらびやかな絹物を着、珍味珍品を食し、寺社などにこれみよがしに寄進をする。「どうだ、私の力は」という本心が見え見えである。

また金に物を言わせて女遊びに興じ、妾を囲う。これは散財だけでなく、家を乱し、商売不振の原因になる。

当時の金持ち商人は三十年後には八割が消滅していたという。パッと花咲いてパッと散ったのである。

こうした世相を見て石田梅岩は「倹約斉家論」を書いた。

「名聞(みょうもん)と利欲と色欲」が家を潰すと警告した。

家(会社)は打ち上げ花火であってはならない。健全に子孫に引き継ぎ長く栄え続けるものでなくてはならない。

「倹約をいふは畢竟(ひっきょう)身を修め家をとゝのへん為なり」と梅岩は言う。

「世界に三つ要る物を二つにてすむようにするを倹約という」と言う。

蓄財と浪費は家(会社)にとっての害悪である。財は使用人のため、社会のために使うもの。

「わしが稼いだ金だ、何に使おうと勝手だろう」などと言ってはならない。社長の浪費は社員が見ている。社員がやる気をなくす。社長の目をかすめて悪い事をする。こうしたことが重なって会社は衰えていく。

倹約精神のない人はどんな人か。

浪費する人、蓄財に血眼になっている守銭奴、自分を大きく見せようと見栄を張る人、色欲に溺れる人、代金の支払いを渋る人、支払いを引き延ばす人、借りたお金を返さない人、「まけろ」と値引きを要求する人、会社の物を自分の物として使う人、やたら流行を追う人、整理整頓ができない人、人間性に悖(もと)る人である。こうした人は会社の秩序を乱す。

社員がみな倹約を行うならば、会社の秩序は守られ、安定し、成長し、存続する。

倹約は単なる経費節減や、出すものも出さないケチのことではない。

これは個人のよい習慣であるだけでなく、会社を健全に維持する生命線である。

梅岩の「斉家論」は後世に「倹約」の重要性を教えるために書かれたものである。日本人の美質と言われる「倹約」は梅岩が作ったのだと私は思った。

梅岩は商人の盛衰を目の当りに見て「質素倹約」こそ健全経営の柱だと悟ったのである。

「倹約斉家論」の影響は大きく長く続き現在に至っている。

蓄財に血眼になり浪費が横行している会社は危ない。日本的経営の特性の一つである倹約が徹底している会社は優良企業である。