アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 324」   染谷和巳

 

 

言葉は最強の武器

経営管理講座

 

武器を手にした本来の戦争以外に、富の奪い合いの戦争がある。中国の元が国際通貨としてドルや円の仲間入りをしたことで、十年後は各国が歯をむき出した経済戦争に突入する。もうひとつ言葉戦争(歴史戦)が激しくなっている。「戦争反対」と唱えていれば隣国に滅ぼされる!

 

 

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目上目下に対する言葉の乱れ

 

酒に酔った中年男が選挙の投票場で逮捕された。

投票管理者が「ご苦労さんです」と声を掛けた。

男は「『ご苦労さん』は目下に言う言葉だろう。『お疲れさま』だ!謝れ!」と怒鳴り、机をひっくり返し投票管理者の頭を一回殴った。男は“公職選挙法違反”容疑で逮捕された(産経新聞平成二十七年十一月二十四日)。

国の調査によると自分より目下の人に「お疲れ様」と言う人が五五%、「ご苦労様」と言う人が三五%、一方自分より目上の人に「お疲れ様」と言う人は七〇%、「ご苦労様」と言う人が一五%だそうである。

投票管理者は自分が投票人より上だと思っていたわけではあるまい。おそらく使い分けにこだわらず目上の人に「ご苦労様」と言う一五%に入る人だったのだろう。

それに対して酔っ払い男はこの言葉の使い分けにこだわる“神経過敏”の正義派だった。

ご苦労様、お疲れ様の使い分けに関して私の体験を二つ。

この挨拶は別れ際の「さようなら」の代用品である。仕事が一区切りした時に相手を慰労する意味をこめて言う。

報告メールの頭に「お疲れ様です」と使うのは間違い。また出逢った相手に「お疲れ様」、出掛ける相手に「ご苦労様」もおかしい。この言葉は「おはよう」「こんにちは」「行ってらっしゃい」の代用にはならない。

私は部下の報告への返事に「了解しました。ご苦労様。以上」の定型文を使っていた。ある時、中学の同級生のメールにこの返事を送った。同級生は怒って電話をしてきた。

「俺はお前の会社の社員じゃない。お前の部下じゃない。失礼だ。女房は『あなたをあなどっているのよ』と言っていた。俺をあなどっているのか」

私は平身低頭して謝り、反省して、以後ご苦労様を省き「了解しました」のみにした。ところがこれも評判がよくない。

最近、娘の娘がバレーボールの東京都のメンバーに選ばれた。

その報告に「了解しました」の定型文で返事した。娘から「了解してくれてありがとう」という返事が来た。私はあわてて「よかったね、おめでとう、アタック・ナンバーワン!」と誠意あるメールを返した。

妻のメールにも「了解しました」と返事。妻の茶飲み友だちがそれを見て「へーえ、夫婦で、了解しましたは変じゃない、あなたの旦那、少しおかしくない?」と言っていたそうである。

部下の報告を「確かに見た」という時以外「了解」は使ってはならないと思い知った。

つまり、了解は了承とほぼ同じ意味で「そのことを承認する」と相手に言っている。お客様や上司の依頼に「了解しました」は不遜〈ふそん〉であり、この場合「かしこまりました」「うけたまわりました」であろう。「ご苦労様」や「了解」といった上から目線の言葉は平等意識が行き渡った現今、相手を不愉快にする場合が多いのだ。

言葉遣いは環境と教育で身につく。しつけが行き届いた家で育った人は敬語が自在に使える。現在こうした人は極少数で、日本人の大半は敬語が使えない。それだけでなく、言葉の質量が貧困で、遣い方が粗暴でデタラメ。私もその一人だが、それを自覚して、その都度改めていくしかないのだろう。

ともあれ投票管理者の頭を殴った男の事件は人事ではない。

私は「ありがとうございました」「おめでとうございました」を認めない。自称『ございますの会会長』である。「ございました」を聞く度に不愉快になる。ということは年がら年中不愉快なのである。

小学校の教科書に「ありがとうございます」と「ありがとうございました」の使い分けが載っている。「ございました」は間違いだと言っても「変な奴」と思われるだけである。九〇%以上の人が使い分けをしていない。何でもかんでも「ございました」で通している人が大半である。

にもかかわらず「ご苦労様」男同様、私は妥協しない。名刺大の「ございますイエローカード」を作って「ございました」と言った人にその都度渡そうと考えたこともある。

直接説得したり暴行に及んだことはないが、偏狭〈へんきょう〉な信念を堅持している点で「ご苦労様」男は我が同志であり戦友である。

 

 

 

戦争という言葉を消し去れば

 

以前「言葉狩りに精を出す」人権活動家が各地にいると紹介したが、言葉について神経質に“理屈”を言う私もこうした活動家と同類なのだと思う。人権という尺度ではないが、社会常識のような尺度で「これは間違い、これが正しい」と目鯨立てて言い張るのだから活動家を非難できる筋合いはない。

「ございました」だけでなく他にも敏感に反応する言葉がある。

たとえば「世田谷区立平和資料館オープン」の記事(産経新聞平成二十七年十一月三十日)。

資料館には兵隊が戦地に持って行った激励寄せ書き入りの日の丸や軍服、戦闘帽、空襲にそなえて田舎に疎開して共同生活を送る子供たちの写真や絵などが展示してある。

誰がどう見ても戦争資料館である。それをなぜ「平和資料館」と呼ぶのか。理由がはっきりしているだけに不愉快になる。

「戦争反対」だから戦争という言葉は一切遣わない。平和を願うからすべて平和という言葉に変えよう。この崇高な運動が世論の支持を得て「戦争」という文字を撲滅した。

広島の原爆ドームは広島平和記念碑となり、隣りは広島平和記念資料館、全体が平和記念公園という名称になった。

特攻基地があった知覧も同じ。兵の手紙や遺書が展示されている館は「特攻平和記念館」であり、その館に至る大通りは平和通りと呼ばれている。

平和は戦争反対の代用語である。平和資料館は戦争反対資料館であり、原爆ドームは戦争反対記念碑である。

戦争の悲惨を忘れないため、それを今に伝え知らせるための記念館、資料館である。ならば戦争という言葉が最も適している。「平和」では目的がぼやけてしまう。

「悪い言葉を遣わなければ悪いことがなくなる」なんて子供だって信じない。

それを大の大人が、学者が、役人が、政治家が信じて「平和」運動をしている。戦争は悪だから、軍隊は悪だからそれに関わる言葉は一切遣うな。「第十八師団通り」などという地名は変えよ。靖国神社はA級戦犯を合祀しているからそれを除いた別の施設を作れ。あげくの果てに「安保拡大平和法案」を「戦争法案」と呼んで反対デモを行い、法案成立後も「潰してみせる」と意気込んでいる。

縁起をかついで「するめ」を「あたりめ」と言ったり、町名を「亀梨〈かめなし〉」を「亀有〈かめあり〉」に変えたりの語呂合わせは罪がないが、戦争を平和に言い変える所業は、社会主義国家がやっている思想統制に似ており不気味である。

昔話「かちかち山」はうさぎがたぬきをどろ舟に乗せて溺れ死にさせて終わる。それをたぬきが反省し謝ってメデタシメデタシの結末に変えた人がいる。こうした無知蒙昧〈もうまい〉の徒がコツコツと世の中から戦争という言葉を抹殺する活動をしている。

光と影、善と悪、安全と危険、平和と戦争、世の中はこれらのバランスで成り立っている。世の中の暗い部分を隠し、存在しないものにする。明るいいいものだけを表に出す。

平和主義者の中にはこうした活動に熱中する軽薄な人がいるのではないか。戦争という言葉を消し去れば平和が続くなどということは断じてないことを、歴史が証明している。

 

 

 

言葉を軽んじる人は敗北する

言葉などどうでもいい、一円にもならないと言う人がいる。

毛沢東は自分の権力強化のために「整風運動」により政敵や軍人を一万人以上殺害、「大躍進政策」によって二千万人の農民を餓死させ、「文化大革命」によって一千万人を死に追いやった。三千数百万人の殺人、虐殺を「整風」「躍進」「文革」の美名の元に行った。そして今は「建国の父」として紙幣の肖像画になっている。

毛沢東は読書家であり文学青年であり多くの詩を作った。「言葉」の威力を知っておりその力を自在に使う能力を持っていた。口から発する言葉だけでなく、手紙、報告書、雑誌に載せた意見や論文などによって天下を取った。

歴史戦は言い換えれば言葉による戦争である。負ければ財を失い国が滅びる。見よ! 中国韓国の露骨な言葉戦争を! 言葉には言葉で正面から戦うしかない。