アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 325」   染谷和巳

 

 

“悪い本”を葬る人々

経営管理講座

 

独裁者は言論統制をする。中国共産党に批判的な本を並べていた香港の本屋の関係者五人が行方不明になった。戻ってくる可能性は低い。民主主義の国では民意が言論統制する。予備校の人気講師が編集した漢字問題集の色っぽい問題が「セクハラだ」と批判されて本屋から姿を消した。

 

 

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本屋は店主の好みの本を置く

 

広告で高山正之著『歪曲報道』が新潮文庫から出たことを知った。

その本屋には「今月の新潮文庫の新刊」というコーナーがあった。十冊ほどの新刊の中に『歪曲報道』はなかった。「おかしいな、まだ出ていないのか。ここに並んでいるのは先月分かな」と疑った。もちろん既存の新潮文庫の棚にもない。

諦めて棚の裏側に回り他の文庫を追っていると、あり得ない場所にひっそりと三冊並んでいた。「可哀相に、この本屋では冷遇されているんだ」と思った。

朝日新聞の欺瞞〈ぎまん〉と虚偽報道を糾弾する内容である。この本屋の経営者あるいは店長はこうした内容が嫌いなのだ。こんな本は売りたくない。だから目立たない所に置いて時期が来たらさっさと返本するつもりでいるのだろう。

本屋から理由を直接聞いたわけではないので、これは私の推測に過ぎない。推測ではあるが根拠はある。

かつて私が住んでいる町に小さい古本屋があった。書棚の一等地には社会主義の思想書などがずらりと並んでいる。一般の小説などは前の方に捨値で置かれている。安いのでそれを私はよく買った。

店主は共産党員だった。選挙になると古本屋は共産党候補の選挙事務所になった。店主が赤いはちまきをして候補者の世話をやいていた。

「だからあんな本ばかり並べているんだ」と思った。店は親爺がなくなり息子が継いだ。息子も共産党員。やがて古本屋は廃業。息子は共産党議員の世話で区の駐車指導員になり現在に至っている。

本屋は店主の好みの本を置く。

十年以上前の話だが千葉県船橋市立西図書館の女性司書が「むかつく本」を大量に廃棄した事件があった。「新しい歴史教科書を作る会」系や産経新聞系の書籍を勝手に排除した。

平成十七年(二〇〇五)最高裁は、廃棄した一〇七冊の本を司書に弁償するよう命ずる判決を下した。

公立図書館の本は司書が選ぶ。学校の図書館の本はそれに教授や教師が加わって選ぶ。たとえば東大や法政大学の図書館は社会主義系の左寄りの本が充実しており、右寄りの本は捜しても見つからない。こうした大学でよく読書して卒業する人は大抵左寄りの思想の持ち主になっている。中国韓国に好意的で、平等(格差反対)、人権(いじめ撲滅)、福祉(弱者優遇)を“葵の印籠”にし、原発再稼働反対、米軍基地の辺野古移設反対、憲法改正反対の一派に与する社会人になる。

図書館も司書の好みの本を置く。本屋も図書館もよく見れば赤や白の色合いがあり、それはトップの思想と好みの反映である。

私の本を“鬼コーナー”を設けて好遇してくれている本屋がある反面、鬼が嫌いで並べてもくれない本屋もある。どちらかといえば私も右寄りなので、左の人から邪険にされるのは仕方ない。本がそこになければ読者の手に取られることはないから、出版社や著者が本屋の店主店長に命を握られているのは確かである。

本屋の中で右好き、あるいは右左公平な店は二割程度か。

 

 

 

単なる流行作家ではない寿行

 

最近、文庫の棚に世界文学の名作や日本の文豪といわれる作家の小説が化粧直しをしてたくさん戻ってきている。若い時読んだものを読み直したいと思っている人が多いのだろう。私にとっても嬉しいことである。

ひとつ解らないことがある。

天才流行作家西村寿行〈にしむらじゅこう〉の本が本屋から消えた。

寿行は平成十九年(二〇〇七)七十六歳でなくなったが新刊の単行本以外に過去の文庫本が数十冊、どこの本屋にも並んでいた。

『君よ憤怒の河を渉〈わた〉れ』『化石の荒野』『黄金の犬』『狼のユーコン河』『滅びの笛』『鬼』『蒼茫〈そうぼう〉の大地、滅ぶ』『赤い鯱〈しゃち〉』などの鯱シリーズ…。私は大ファンで五十冊近く読んだが、まだ読んでない本が同じくらいあるだろう。

いつから消えたか知らないが、寿行がなくなった後からだから、平成十九年の秋以降であることは間違いない。

新刊書の本屋に一冊もない。黒い背表紙の文庫である。「あった、あった」と見ると吉村昭である。十年前、吉村昭の文庫はこんなに出ていたろうか。なかった。寿行が滅び、吉村昭が脚光をあびている。本屋に聞くと「確かに亡くなってから出なくなりましたね。昨年徳間書店から復刻版が数冊出ました」と言う。棚に『白い鯱』など晩年の駄作が二冊あった。ゼロではないがさびしい。

寿行は一日八〇〇枚書いたと言われる多作の人なので駄作も少なくない。だが後世に読みつがせたい名作傑作も多い。上に題名を挙げた七、八冊はその一部である。

寿行は流行大衆小説作家でありながら“古典”として残っていく名作を多数物した。私がそう思う理由は三つある。

①寿行は動物作家である。犬、熊、猪、牛、ねずみ、いなご、魚、狼、鷲、猿など人間に身近な動物を主人公に多くの小説を書いている。動物学者並みの深い広い知識の持ち主で、それぞれの動物の性状を的確に描いている。しかも読み終えた人はその動物を慈しむようになる。動物をこれだけ熟知して小説の中で活躍させた作家は他にいない。

②文章が快感を与える。短い簡潔な文を詩のように重ねていく。「ように思う」「するつもり」などのあいまい語は一切使わず断定調に書く。格調が高く切れ味するどい。

それに「彼」「彼女」の代名詞は一切使わない。「倉田は」「倉田は」と何十回何百回でも固有名詞を使う。固有名詞がない場合は「その女」「この男」と書く。

たとえば

「野菊が咲いていた。/ひっそりとした、自己を主張しない花弁だ。その花弁を、微風がそよがせている。/微風の流れてくる先には冬があった。/老人が一人、その野菊を見ていた」(/は行替えの印。『黒い鯱』より)

文章は具体性と重厚さを増し、読者は叙事詩を読む感じで引き込まれていく。

③天才的想像力。寿行は資料を丹念に調べ、事実を精査して執筆にかかる。しかし吉村昭のように昔の記録をそのまま載せることはない。すべて消化してその事実を基礎として空想の世界に踏み出す。

小説はフィクションである。作家の想像力が生み出す虚構の世界である。

想像力豊かな人は凡人が思いも及ばない世界を描き出すことができる。寿行は天衣無縫の想像力の持ち主で、読者を別世界、新世界に誘い入れる。読者は刺激の強い夢を見る。流行作家は多いがここまで想像の世界をリアルに表現できる人は他にいない。

時流に乗る流行作家が年月とともに忘れられ、作品が消えていくのは自然である。だが消えずに生き残り再び輝き出す作品もある。

寿行には荒唐無稽な冒険小説や強姦小説、血なまぐさい暴力過多のバイオレンス小説が多い。こうしたものは消えていく。だが全体の二割、二〇?三〇作品は次の世代に残す値打ちがある。

その名作がなぜか本屋にほとんど見当たらない。

 

 

 

欠点を許して文豪の棚に戻せ

 

以下は百%私の推測である。

寿行は年間収入トップクラスの流行作家だった。その小説が売れる一つの原因が「過激な性描写」である。それもロマンポルノ調の穏当なものではなく、一方的に女性をかしずかせ、男に尽くさせ、盲従させる描写である。読者はこの描写に興奮し次も期待する。

一冊に何回も出てくる。どの小説にも類似の描写が出てくる。

女を陵辱し強姦しその心を破壊する。救いのない性奴隷─。

明らかに“女性蔑視”である。男女差別であり女性の人権侵害である。

女性の権利を主張する団体がある。いじめなど人権問題をとりあげて活動する市民団体もある。また夫と妻の平等を推進する「男女共同参画社会基本法」を盾に活動する役所の職員たちも強力である。「言葉狩り」の活動家は「本狩り」も行う。

こうした勢力が出版社に「女性蔑視の寿行の小説を出すな」と要請し圧力をかけた。

“さわらぬ神に祟〈たた〉りなし”と出版社はその要請に応じた。それで本屋から寿行の本が消えた。昭和六十三年(一九八八)「人種差別だ」という抗議を受け入れて、『ちびくろサンボ』を出版社が自主的に絶版にしたのと同様に。

寿行の小説のいくつかは漱石や龍之介と並ぶ名作である(これは推測ではない)。

出版社や本屋は軽薄な“民意”に属することなく、寿行の小説群を文庫の棚にもう一度並べてくれ。