アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 326」   染谷和巳

 

 

お金と日本的経営

経営管理講座

 

人を使えば金が減るからと、一人でやっている大金持ちが大金を抱いて一人で死んで行く…。祖先から受け継いだものを子孫に引き継いで行くのが私たちの使命である。自分の子だけではない。事業をして儲けたお金は人を採用して給料を払い、その社員を人材に育てるために使うのだ。

 

 

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学校の校長の一番大事な仕事

 

人材の登用と人材の育成を日本ほど重視している国はない。資源は人しかないから、人を生かす努力をするのは自然である。

しかし日本同様資源のない小国がたくさんあるが“人材”を国家的大事ととらえて政治経済の中心課題にしている国はない。

徳川の幕府軍を殲滅〈せんめつ〉して明治政府が走り始めた。人材が不足していた。必要なのは粗暴な兵士ではない。頭脳を持つ指導者である。新政府は敵の主領を要職につけた。

幕府海軍総司令官榎本武揚は函館戦争で敗れて東京の牢獄につながれていたが、二年数ヵ月で許され外交や教育に尽力し、外務大臣や文部大臣などを歴任した。

同じく幕府伝習隊隊長大鳥圭介も函館戦争で捕えられ獄につながれたが、武揚同様明治五年には特赦〈とくしゃ〉により出獄。その後技術官僚として殖産興業に貢献、工部大学校(東京大学工学部の前身)の校長、学習院院長を務め、明治中期以降は外交官として活躍した。

上野寛永寺などの山主、輪王寺宮〈りんのうじのみや〉(明治天皇の叔父)は最後の将軍徳川慶喜〈よしのぶ〉を匿〈かくま〉い庇〈かば〉い助命を嘆願した。また幕府軍彰義隊や奥羽越列藩同盟の盟主に祭り上げられ、命からがら仙台まで逃げるが、やはり許されて後にプロイセンに留学、近衛師団長として台湾で清国軍と戦って名をあげた。

こうした人以外にも幕府や各藩の多くの侍が新政府のもとで官界や経済界で仕事をした。

人材の育成という点では明治初期から大学など学校を全国に作り、子供や若者の教育に力を入れた。

タイム技研の丹羽会長が「学校の校長の一番大事な仕事は何か解りますか」と聞いた。「解らない」と答えると教えてくれた。

優秀だが、家が貧しくて上の学校に行かれない子を見つけること、その子供を援助してくれるお金持ちに頼むこと、これが昔の小学校の校長の大事な仕事だった。

自分の子でなくても素封家は地元の有望な子の世話をした。校長から世話を頼まれる人にとっては名誉な社会貢献であり、その人の社会的地位は自ずと上昇した。

このように援助を受けて上の学校に行くことができた子が全国で年間約四万人いたそうである。“子供を有用な人材に育てる”ために努力を惜しんではならないことが、校長やお金持ちの共通認識であり、この自然発生的な日本的慣習によって、どれほどの子供が救われたか知れない。野に埋もれる宿命の人がどれほど多く“身を立て名をあげ”世に羽ばたいたことか。

丹羽氏はこれを「寄付文化」と呼んだ。

一代で巨満の富を築いた安田善次郎は東大の安田講堂を、トヨタ自動車工業は名古屋大学の豊田講堂を寄付した。こうした会社や個人による教育施設の寄付は枚挙にいとまがない。日本では利益や私財を人材育成に喜んで投入する“文化”が根付いていた。

「この寄付文化がなくなってしまった」と丹羽氏は嘆く。

敗戦の焦土から立ち上がり、朝鮮戦争特需もあって日本は昭和三十年代にはめざましい経済復興をはじめた。これと歩調を合わせて労働者の権利を主張するストライキが頻発し、学校では日教組教師が勢力を伸ばした。血縁の結束が薄まり核家族が発生、また村社会が綻びはじめ個人主義が台頭した。子供が増え小中学校は一学年四十人四クラス五クラスという状況が続いた。

校長は子供一人ひとりを見なくなった。クラス担任は把握しているが“有望だが貧しくて上の学校へ行かれない子”を校長に報告しないし、まして資本家に頭を下げて寄付を頼むことはしない。

私が中学を卒業した時、今でも忘れられない出来事があった。

「えっ、榎本、就職したの?」。榎本は数学理科の成績がよく芸術的才能も豊かで将来大物になる感じがした。私がそう思うくらいだから教師や大人はみな“有望”と認めていたはずである。その榎本が近くの三菱の工場に就職して工員になってしまった。「あり得ない、惜しい」と私は思った。親は貧しい職人でつねづね「学問などいらない」と言っていた。

数十年前なら校長が「榎本という優秀な子がいる」とお金持ちに援助を頼み、頑固な親を説得した。榎本は理工系の道を進み、ノーベル賞をとるか芸術家になって、校長や援助者の期待にこたえたかもしれない。

 

 

 

ケチと敵国は寄付額が少ない

 

話は脇道に外れるが、寄付文化の衰滅に関して丹羽氏はこう言う。

東北大震災の後、会社も個人も身の丈に応じて義援金を献じた。

ソフトバンクの孫氏が百億円、ユニクロの柳井氏も百億円を献じてニュースになった。トヨタが一億円しか寄付しなかったこともニュースになった。

「豊田講堂を寄付したトヨタがたった一億円ですよ。寄付は見返りを計算してするものではないが、被災地の自動車の需要は莫大なものでしょう。百億でも二百億でもおかしくない。トヨタの経営陣は寄付文化を完全に捨ててしまったとしか考えられません」と丹羽氏は怒っていた。年商一億の零細企業でも十万単位の寄付をする。十兆円企業ならば…。

持てる者が大胆にするのが寄付文化である。

さらに横道に外れるが、外国からの義援金の額は象徴的である。

日本赤十字に送られてきた義援金のベストスリーは一位アメリカ三十億円、二位台湾三十億円(後に国民の募金がふくらみ最終的に台湾は二百億円寄付、ブッチギリの一位だった。その大恩人を当時の民主党政権は中国に気兼ねして、お礼の式典に招待しなかった)。三位タイ二十億円だった。

物資や人員の援助もあるがこれを金額換算しても順位は変わらない。ロシアは一億円で二十七位、アメリカと並ぶ大国と自己宣伝する中国は九億円で六位だった。日本に恩を売る絶好のチャンスであり、お金は十分あるこうした大国のケチぶりが象徴的なのだ。「助けてあげる気持ちがない」ことが伝わってくる。これからも私たちは同胞としてつき合いたくない気持ちが強くなった(その中国の砂漠の緑化のため、現在も九十億円を使って植樹事業を行っている日本という国はお人好しを通り越してオメデタイ)。

中国は日本の総額五兆円にのぼる援助によって航空母艦が持てるまでの大国になった。中国の国民はこの事実を全く知らされず、排日のデモをしている。

 

 

 

儲けたお金は人材育成に使う

 

話を元に戻す。

一人で始めた商売がうまくいくと人手が要る。人が増えると会社になる。会社は採用と教育を繰り返す。手元にお金が残っていく。そこで新しい仕事をしてまた採用と教育をする。儲けたお金は人材の登用と育成につぎ込まれる…。

日本は世界でもとび抜けて“成熟”した国である。それは国家と個人の中間にある会社という組織が「人を育てる」機能を十分発揮しているからである。

中国やロシアなどの独裁国はもちろん、欧米の個人主義の国も、中間組織の会社が人材育成の重要部分を担ってはいない。

わずか社員数名の零細企業から数万人の大企業まで、日本国中びっしりと会社が存在し大半の人がそこに所属し教育を受けている。これが“成熟”の意味であり、世界に類のない日本の強みなのだ。

その端初が明治維新。虐殺も都市破壊もなく、二百万人の武士層は黙って刀を置いた。これもすばらしいが、その後の新国家建設の足取りがさらに見事だった。それは人材の登用と人材の育成によって成就したのだった。

会社の経営者はこれを見習った。率先して社員を教育した。二倍働かせて二倍の成績をあげさせるためではない。技術だけでなく優れた人間になる教育をした。会社に貢献することが幸福な人生を約束するということを教えるが、それ以上に、豊かな人間性をそなえた立派な日本人になり社会に貢献しなさいと教えた。そうなるための訓練や学習を行った。

人が多くなって自身で教育できなくなってからは自分の意を体した幹部や代行業者(アイウィルの経営理念は「我々の仕事は社長代行業である」で始まっている)に任せている。

日本的経営の特性は家意識や勤勉や倹約である。その根っ子は“存続”である。会社存続のためには会社を支える人がいなければならない。今だけでなく十年後も百年後も人材が揃っていなければならない。人材がいなければ生き続ける手段としてのお金が入ってこない。

賢明な経営者は知っている。

儲けたお金は倹約貯蓄する。一部は危険保険としてストックする。大部分は人を採用して教育する費用に回す。ゆとりがあれば社会貢献の寄付に?。