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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 327」   染谷和巳

 

 

祖先が遺した経営学

経営管理講座

 

アーノルド・J・トインビーやサミュエル・ハンチントンといった歴史学者が日本は世界のどこにも属さない、どことも類似しない独立“文明圏”だと指摘したが、その独自性を象徴するのが「日本的経営」である。自分の子ではない、他人の子の育成にこんなにお金を使う国は他にない。

 

 

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惑わされ迷走が続いた経営学

 

時代の寵児という言葉がある。

昭和三十年代後半から経営学ブームを作り出した坂本藤良〈ふじよし〉。著書『経営学入門』がベストセラーになり、テレビや新聞雑誌などマスコミで露出度ナンバーワンの経営学者になった。

このブームに乗って私立大学の多くが経営学部、経営学科を新設。学生が競って応募する人気学科になった。

経営学ブームを作った坂本は東大出身で東大はマルクス主義の巣窟〈そうくつ〉である。坂本の『経営学入門』はマルクス主義を土台としており、労働者の目線で経営を見ている。いわば“労働者の味方”の本であり、会社には「会社対組合」の互角の力の対立闘争があること、提案制度は経営者側が社員を会社側に立つ人間に手なづけるための制度であるなどと、現在の中小企業経営者の考え方にはそぐわない論である。

ちょうど同じ頃、私は大学で美濃部亮吉の「経営学」の講義を聴いた。年数回しかない美濃部教授の講義は大教室満員で、私のような世情に疎い者にもその人気が伝わってきた。軽妙な語り口と品のいいスマイルには確かに一流の雰囲気があった。

美濃部も坂本同様東大経済学部卒のマルクス主義経済学者である。

後に社会党共産党候補として都知事選挙に出馬、三期十二年にわたり他候補を寄せ付けず圧勝して都政をあずかった。この間美濃部都知事が行ったことは社会主義国を見習ったもので①都の公営ギャンブル全廃②道路、都電、空港などの社会の基礎工事を凍結、廃止③老人の医療費やバスの無料化④都職員の増員と給料大幅アップなどで、税収潤沢な東京都であるから実施できたが、昭和四十九年(一九七四)のオイルショックで税収が減ると、予算たれ流しの財政が危機に陥り、大赤字が発覚、都民はようやく“悪夢”から醒めた。

美濃部都知事は超優良企業を十年で破産に追い込んだ。経営者として無能であるばかりか、マルクス経済学がいかに実社会に不適合かを間近に実証してくれた。

坂本藤良も実家の兄の後を継いで社長を務めたが、数年で会社を潰して自分のような考え方で経営すれば倒産してしまうことを証明、反省の意味を込めて『倒産学』を出版した。時代の寵児、坂本や美濃部の偶像は地に堕ちた。

マルクス主義経済学を土台とする経営学が実際には有害であるとの理解が進み、代わって経営者はアメリカ流合理主義の経営に根拠を求めた。

またちょうど同じ頃、ジェームズ・アベグレンの『日本の経営』が出版された。日本の会社は①終身雇用②年功序列③会社内労働組合といった特性を持っており欧米の会社とは異質であると述べた。それも肯定的に日本経済の強みとして紹介している。日本の経営者やビジネスマンはアメリカに対する劣等感を払拭し、日本的経営に誇りを持つことができる下地を得たのである。

また昭和四十年(一九六五)P・ドラッカーの『現代の経営』が邦訳され経営者に読まれた。ドラッカーは利益至上主義、能力主義で割り切るアメリカ流を否定しないが、“経営者の人間性”を経営学の太い柱として取り上げた。会社の存続と繁栄はトップに高潔な品性がなければ不可能であると説いた。

この二人のアメリカの学者は日本の奇跡的経済復興を見て、その原因根拠を調査研究して「日本的経営はすばらしい」と母国の経営者を啓蒙した。

しかし日本の会社経営者は高度成長にうかれて「日本的経営」と本気で向き合わなかった。自分たちの祖先の伝統的経営を振り返ったのはバブル崩壊後の長い低成長の時代になってから、つまりつい十年前のことである。

 

 

三百年前に生まれた石門心学

 

日本人は人から言われて初めて自分の長所欠点を知るところがある。だから宮大工の木組み工法、そろばん、禅、浮世絵や伝統的日本画、和装、武士道精神などのすばらしいものを惜しみなく捨てて顧みなかった。

時が経って外国で「すばらしい」と見直され拾い上げられると、逆輸入してありがたがる。価値あるもの、大事なものとそうでないものの分別ができない幼児性が、民族の一つの特徴と言えるほどである。

「日本的経営」もその一つである。江戸時代の長期にわたる繁栄と平和、明治以後の富国強兵・殖産興業政策の短期間での成功。日本はわずか三十年で欧米列強と肩を並べる大国になった。そして敗戦後の驚異の経済復興、やはりわずか三十年で世界が目を見張る経済大国になった。

この“強さ”が単なる欧米の真似では得られないことは、他の後進諸国がいくら欧米の力を借りて欧米を真似ても日本のようになれなかったことからも言える。日本には「日本的経営」という土台があった。だから逆境からの回復と躍進が可能だった。

日本には日本独自の「経営学」があった。マルクス経済学やアメリカのビジネススクールの経営学よりも格段に優れた実用的で成功を約束してくれる経営学があったのである。

日本の経営学のバイブルは石田梅岩〈ばいがん〉の『倹約斉家論〈せいかろん〉』である。今から約三百年前、商人が華美贅沢をきわめた元禄時代が終焉して、質素倹約を奨励する八代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われた頃である。

威勢を張った商人の大店が八割以上潰れて、虚しい風が吹いていた。梅岩は勤勉、倹約、正直を大事とし、私利私欲を戒め、得た利益は公のため、世間のために使えと説いた。倹約してお金を貯めよ、そのお金は己れの贅沢や色欲、名聞欲(名誉欲)に投じてはならない。そうすれば没落する。世のため人のために使えば家は栄え続くと説いた。

梅岩は自宅を教室にして経営セミナーを開き商人にこの教えを説き、商人の質問疑問に答えた。この経営塾は評判を呼び門弟が増え、梅岩に学んだ弟子が全国に子塾、孫塾を開いた。優秀な弟子が梅岩の教えを「石門心学」と呼んで普及に努めた。

明治天皇の「教育勅語」の「恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし…」は石門心学を土台にしている。

「会社は家である。主人(社長)と使用人(社員)は親子である。親は子を守り育てる。家族の心が一つになっていれば家は栄える。子孫代代営営と続く。主人は次の代の家を引き継ぐ人を育てるためにお金と時間を使え、そうしないと一代で終わってしまう」

こうした思想から先号で述べた「寄付文化」が育った。仕事の技術だけでなく社員の人間性を高める教育を行うのが当たり前という考えが根付いた。世界でも例のない“人間中心の経営学”がどの店でもどの会社でも行われるようになった。

 

 

自然に基づく日本流で行こう

 

石門心学つまり石田流経営学は右のような思想である。私たちにとって常識であり新鮮味はない。三百年前は斬新であり革命的であった。だから注目を集め学んだ人が世に広め、ついには日本人の国民性になった。

三井家の二代目三井高平〈たかひら〉が享保七年(一七二二)に作った「宗竺〈そうちく〉遺書」は子孫への遺訓であるが「一、人は終生働かねばならぬ」、「一、他人を率いる者は業務に精通しなければならぬ」など石門心学の教えを参考にしたと思われる。

明治の経済界の巨星渋沢栄一は私利を追わず公に奉ずる石門心学の徒であり、松下幸之助は青年に石門心学を教えるために松下政経塾を作った。講談社の野間清治は石門心学の心酔者であり、これを広めるために多くの雑誌を出した。出光石油の出光佐三は敗戦後戦地から戻ってきた元社員で、金も仕事もないのに一人残らず“採用”し、「社員は私と血のつながった家族だから」と言った。佐三のあたたかい親心に触れた社員は”家“のため命がけで働いて出光の再興に貢献した。

現在でも優良企業の多くは社長と社員が家族的信頼関係でつながっており、会社は社員に仕事の知識や技術の教育をするだけでなく、人間性を高める教育に力を入れている。

社員は愛社精神(帰属意識)が強く、会社が自分と家族を幸福にしてくれると信じており、労を惜しまず仕事に取り組んでいる…。

今、私たちは目覚めた。はっきり自覚した。会社を人を幸福にする“家”とする「経営学」を私たちは持っている。会社を金儲けの道具としか考えない他の国と比べて何と優れた思想であろう。

宇宙のルールに則〈のっと〉った自然に基づく無理のない思想である。これぞ人類を救う究極の思想である。