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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 328」   染谷和巳

 

 

石門心学衰亡の意味

経営管理講座

 

名門シャープが中国系台湾企業に身売りした。拡大と膨張を続け、このままでは危ないと意見する幹部もいたが社長は厳しいリストラができずいたずらに時が過ぎた。手遅れになって経営権をそっくり台湾企業に売り渡した。もし経営者に「石門心学」の精神があれば悲劇は防げたろう。

 

 

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宇宙の秩序を畏れ敬わない人

 

海があり山があり森があり川がある。

その中で人や獣や虫が生活している。地震、火山の爆発、洪水、台風や雪、津波といった自然災害があれば動物は逃げる。逃げ遅れれば死ぬ。

吉村昭が「動物と私」という随筆で、魚のハタハタや羆〈ひぐま〉がまるで星の運行のごとく、季節の移り変わりに合わせて秩序正しく生活を律していることに感銘してこう書いている。

「人間も動物の一種として、同じような生活の秩序があるはずで、年中行事がそのあらわれのように思える。月、太陽の動きをもとに暦が作られ、それによって行事が繰り返される。それは、人間の動物としての本能から発したものであり、動物が季節の移行に従順でなければ生存はおぼつかないように、先人も四季に行事を設定し、生活に秩序をあたえたにちがいない。それは、人間の鋭い動物的知恵であり、人類が現在まで存続してきた主要な原因の一つである、とも思う」

人は自然の力を畏れ自然に従うために年中行事を作って生活を律した。そして自然災害に備え土木建築や科学の力を借りて命を守ろうとした。

人以外の生き物は自然に服従し甘んじて死を受け入れた。人は自然と戦い自然を征服しようと努めたが未だに達成されていない。

人が住む星、地球は高熱で燃える星、太陽のまわりを自転しながら公転している。宇宙の彼方に飛び去らないのは、太陽の引力と均衡しているからである。

太陽系を一つの星群とするならこうした星群が宇宙に一億個はあると言われている。(一億という数字の根拠が私には解らないが)。

宇宙はどのようにして誕生したか、いくつかの学説があるがいずれもうなずけない。誕生以前の宇宙、つまり誕生の母体があるはずだと思うからである。

一つの星の誕生と消滅を考察するなら理解できるが、宇宙全体の誕生は理解できない。今も宇宙は真空であり無重力であり放射線が照射し、無数の星くずが飛び交っている。それは数字で表現できない昔から、数字で表現できない遠い未来まで続く。

何十億年か後に太陽が燃え尽き、地球は死の星になる。これは小学生でも知っている。だが何十億年後の恐怖を今恐怖しろと言われてもその気になる人はいない。

太陽と地球が死んでも宇宙には燃える星が無数にあり、そのまわりを回る地球のような惑星が無数にある。地球に似た条件を備えた星が無数にある。植物、動物が繁殖する星が無数にある。

以上が私の稚拙な宇宙観である。地球は太陽の支配下にあり、太陽星群は宇宙の支配下にある。地上にうごめく人は自由に勝手に動いているように見えるが、宇宙の支配下にあり、その力にひれ伏すしかない。

日本人は宇宙の力を畏れ敬った。宇宙の力に護られ宇宙の力を自分の力として使うものを“神”と崇めた。山も海も歴史を変えた英雄も孤も木も生命の源の男根も鬼までも神として祭った。八百万〈やおよろず〉の神の神道は今も新しい神を作り続けている。日本中に神社や祠〈ほこら〉があふれ、人はそこに詣で賽銭〈さいせん〉や物を奉納して柏手を打っている。

「万物に神宿る」という神道の考え方は宇宙の力に対する崇敬から生まれた。無駄な抵抗はせず、「ははーっ」とひれ伏す道を日本人は選んだ。

いつからか、科学の力のほうを信じるようになった。古くは灌漑〈かんがい〉工事により農地に水を引き、治水工事により洪水の被害を減らした。現在は耐震構造の建物を建て、津波の防波堤を作り、川を掘り土手を高くして水害に備え、火山の噴火や地震を予知する研究に余念がない。

「形は心をすすめる」と言う。経済効率を高める努力や自然災害を防ぐ努力を続けてきた結果、人は神(宇宙の力)を畏れ敬う心をなくしていった。自然に対して敬虔〈けいけん〉に祈る姿勢を失った、傲慢不遜な人が増えていった。

“不自然”な行いや考えが蔓延し、「不自然はよくない」というかつての価値観は後退した。奇矯な振る舞いをする者を肯定歓迎し、自分が自然の中の一匹の虫であることを忘れて、個人尊重、命の尊さといった価値観になじみ、視野の狭い利己主義者になっていった。

 

 

自然と不自然のケジメがない

 

「不自然だね」

その行いや考えはよくないという意味である。否定する時にこう言う。

自然であることが正しく大事である。自然でないこと(不自然)は間違っており不自然なことをすれば不幸になる。これがかつての日本人の価値観であった。

自然であるとは逆わずに自然の秩序に従うということ。

たとえば農家は春に種を播き秋に収穫する。秋に田植えをすれば冬の寒さで稲は枯れる。農家は季節の移り変わりに合わせてなすべき仕事を決め、その区切りを忘れないためにお正月、お彼岸(春分の日、秋分の日)、お盆や種々の祭りなどの年中行事を忠実に行った。

日本の経営学の祖、石田梅岩は農家の子であり大阪の呉服屋に長く勤めた商人である。

その思想は自然尊重に根ざしている。

人間は眠っている間も無意識に呼吸を続ける。『コレ天地ノ陰陽ニシテ、汝ガ息ニ非ズ。ヨッテ汝モ天地ノ陰陽ト一致ニナラザレバ、タチマチニ死スルナリ』と梅岩は説く。

天地の陰陽とは太陽や月などの宇宙の秩序であり、すなわち自然である。自然に従わなければ人は生きられない。

人が不自然なことをするのは利欲、色欲、名誉欲などの我欲があるからである。欲が強ければ強いほど不自然が昂じていく。

ではどうすれば自然と一致できるか。欲のない無心の赤ん坊の心になることである。

石門心学は後世の人の命名で、梅岩は「性学」と言った。人間の本性を極める学問という意味である。人間の本性は宇宙の秩序(自然)と一致しなければならない。本性が歪んだりねじれたり霞んだりするのは、欲に突き動かされて平気で不自然なことをするからである。こうした人は没落して不幸になる。

「人ハ喜怒哀楽ノ情ニヨッテ、天命ニソムク」。無欲無智の赤ん坊、あるいはめくら、つんぼ、おしの三重病人こそ天命に従う理想の人間である。商人たちよ、欲に溺れず、赤ん坊のようなきよらかな心で経営を行え、そうすれば家は長く栄える。

これが石門心学の結論である。

石門心学の精神で日本は強国になり経済大国になり世界から尊敬され、羨ましがられる“うまし国”になった。

しかしこのところ石門心学の精神は影を薄め、急速に衰えつつある。

替わって梅岩が躍起になって否定した「飽くなき欲望」に従って生きる人々が跋扈〈ばっこ〉した。金持ちになることが人生の目的、金儲けこそ生きがい、人の虚に付け入り騙して商売する。際限なく貪〈むさぼ〉る。財を誇り贅を尽くす人を称賛しまねようとする人々!。

まるで不自然であっても(宇宙の秩序に従わなくても)人は幸福になれると信じるかのように、欲望むき出しの生活を送る。

国全体が不自然の道を突き進んでいる。

「個人消費を活性化する」ことが景気浮揚の決め手であると、政府は低所得者層に一人三万円のお金をあげて、それで買い物をさせることで景気をよくしようとしている。

こんな政策がどんなに不自然か、どんなに人を不幸にするか、誰も気にしない。梅岩が今の日本を見れば地団駄踏んで狂い死にするにちがいない。

 

 

経営者は拡大事業欲を抑えよ

 

お金になるからと山の木を切り倒せば、川は汚れ山崩れを起こし、田畑は荒れる。山の緑は五十年戻らない。こんな“自明の理”が解らなくなっている人が多い。

地球の資源を掘り尽くし使い尽くさなければ目醒めない。“倹約”を軽視し、浮かれ踊り、人類は百億人に近付き、食い物を手にできない飢え死に寸前の三十億の人を間近に見ているというのに─。

一代で一部上場企業にした創業社長が「私は今あせっている。全国のすべての客を早く摘み取ってしまいたいんだ」と言っていた。

欲はエネルギーの元であり社長はこの人並み外れた情熱で営業マンの尻を叩いて会社を大きくしてきた。それでもなお貪り尽くしたい欲に身を焦がしている。

私はこの社長を軽蔑している。拡大と繁栄よりも存続と子孫の幸福に価値を置く石門心学の徒にとってこの社長は反面教師である。