アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 329」   染谷和巳

 

 

男よ!高邁な精神を

経営管理講座

 

私は自分が言いたいことを補うためによく“引用”をする。もしも考えが同じで自分もこう書くだろうと思う文章に出会ったらわざわざ書くまでもない。そっくり拝借して転載すればいいではないか。今回は雑誌「致知」の藤尾秀昭と武心教育経営塾の近藤建の二氏の文を拝借した。

 

 

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視座を高くして人生を変える

 

五月号「致知」の特集「視座を高める」の総リードに主筆の藤尾秀昭氏がこう書いている。

☆ ☆ ☆

課長の宮崎(仮名)はある日、専務に呼ばれて、「地方営業所の立て直しをやってくれ」と指示された。その営業所は立て続けに五人も所長が替わっていた。そのうち三人は、そのまま会社を去っている。「あの人、あそこに行くの? 左遷〈させん〉だね」─社内の誰もがそう言った。宮崎自身もそう思った。

帰宅して妻に話した。「どうしてあなたがあんな所へ」と泣き騒ぐかと思ったら、ニコニコ笑って、「難しい営業所らしいけど、何とかなるわよ。行くのが楽しみ」と言った。「だってあなた、いまの会社が好きなんでしょ。社長さんを尊敬してるんでしょ」。

のしかかっていた暗雲がいっぺんに吹き飛んだ。宮崎の覚悟は決まった。就任三年、宮崎はメキメキ業績を伸ばし、売り上げで全営業所のトップとなり、所長会議で表彰された。

これは左遷だ、と思い込んだままなら、こういう結果にはならなかったに違いない。妻のひと言を契機に、宮崎は視座を高めることで自暴自棄に陥らず、運命を好転させたのである─人材育成家・染谷和巳〈そめやかずみ〉氏が著書に書いている話である。

 

視座が低いと人は状況や環境に振り回される。視座を高めることで人は打つ手が見え、状況や環境を変えていくことができる。言い換えれば、視座を高めない限り、人は運命を高めることはできない、とも言える。視座を高めることは人生の大事である。

 

新渡戸稲造〈にとべいなぞう〉は『武士道』の著者として有名だが、三十五歳の時に大病した。治るには八、九年はかかるというのが医師の見立てだった。彼が絶望に打ちひしがれたのは当然だろう。だが、いや、病気も修養の種にすればよい、病からも得るものはある、と見方を変えたら、いま自分は人生の半ばにきてひと休みしているのだ、という気持ちになった。そう思って療養していると一年ほどで治り、三十七歳の時に『武士道』を著すまでに元気を回復した、という。病気に対する視座を高めることで新渡戸の運命は大きく変わった。視座の大事さを語って余りある逸話である。

私たちもまた、視座を高めて人生の万変に処していきたい。

☆ ☆ ☆

視座とは物の見方考え方で「意識」のこと。意識を高めれば人生が変わる。マイナス思考をプラス思考に変えるには例のようにキッカケが必要だが、ほんのちょっとしたキッカケで人生は変わる。

藤尾氏が引用してくれた私の文に出てくる宮崎課長は実在の人物で、これは三十年前、私と同じ会社に勤めていた頃の実際の話である。

宮崎も前の会社を辞めて研修会社の営業部長になっていたが、二年前会社消滅の危機に遭遇した。社員は仕事に身が入らなかった。

ここで詳しくは語れないが、その危機を宮崎が起死回生の逆転ホームランをかっとばして克服した。社員三十人に生気が甦った。

あの若い時に身につけた“冷や飯の食い方”がここでも生きた。「ピンチはチャンス」を信じ、ピンチを「そら来た、待ってたぜ」と歓迎して乗り切る強い精神、高い意識の勝利である。

もちろん努力もするが努力の根底にこの“明るい意識”がなければ逆境ははね返せない。現在宮崎はアイウィルのライバルの研修会社の社長になっている。

 

 

 

義と勇気と潔さと武士の情け

 

新潟市で教育研修の武心教育経営塾を開き、また格闘技の道場、挙心館を運営、日本キックボクシング協会の理事を務める近藤建氏は“国士”である。

塾生や関係者向けに毎月「武心塾だより」を発行している。

普通の新聞の半分の大きさ(タブロイド版)に教えや所感を手書きでびっしり書いている。すべてひとりでそれも手書きで!

今回は32号、33号の巻頭の主張の三分の二を拝借して紹介する。

☆ ☆ ☆

大阪駅のコンコースで、黒山の人だかり。新潟行きの夜行列車に乗る為に急いでいた私は、何だろうと思い人だかりの輪の中に入った。ヤクザ風の男が女と男二人の若者の内、女の子のブラウスを捉まえ「俺の顔を見て笑いやがったな」と。泣いている女の子の脇にいる男二人は、ヤクザにペコペコ頭を下げて「許してやって下さい。顔を見て笑ったりなんかしてません」と謝っていた。私はそのヤクザをやっつけようと前に出て行ったら、突然鉄道公安官が二人飛んで入り、ヤクザを羽交い締めにして「騒ぐな。お嬢さん、ケガはありませんか」と処理した。

私は夜行列車に乗った後いろんな事を考えながら寝てしまった。あの娘が優しいだけの男に“アンタラそれでも男”と怒ってる夢を見つつ。

今、若い女に理想の男を尋ねると「優しい人」と答える。優しい男とはどんな男?「思いやりのある、私の気持を理解してくれる人」だそうだ。寒い夜デートしていると自分の背広を脱いでかけてくれたり、レストランでは何か好きなものを選んでくれたり、ともかく気の利く人─そんな男がいいそうだ。

私は若い頃から女に気を使う事等一切せず、「俺の後について来い」であり、今の女が求める優しさ落第男であった。父から「ケン坊、男は無駄口利くな。強くなれ。剛毅朴訥仁に近しだ」と教えられて来た。それからずっと、そして今でも「男らしさとは何か」を考え自省しつつ生きている。

男、漢、大丈夫、もののふ(武人)として生き抜きたい私は「義・勇・潔さ」を重んじ「卑怯・臆病」を恥とし、誇りある人生を目指している。松陰の士規七則の第三項「士の道は義より大なるはなし。義は勇によりて行なはれ、勇は義によりて長ず」を人生の指針としている。

今年も新卒社員研修で①「義を見てせざるは」の後にどんな文が続くか尋ねたが三社五〇人の若者は誰も知らなかった。五十歳位の人達の八〇%は知らない。②「武士の情け」という言葉は知っていても、内容は知らない者が八〇%。③「情けは人のためならず」は、情けをかけるとその人の為にならないから、情けをかけない方がいい─と解釈している人が多いという。

小学生から英語を学んだ方がいいの世の流れ。正しい日本語も使えないのに英語学習なんて不要と数学教授の藤原正彦先生は「国家の品格」(新潮新書)で力説している。とにかく国語が大事、一生懸命本を読ませ、日本の歴史や伝統文化を教えよと言われている。

②「武士の情け」について。下らんマスコミをマスゴミと言うそうだが、週刊誌やテレビ、新聞もゴミ化しているのが目立つ。知的レベルが低くなりワイドショー化している。

甘利大臣追及のヤラセ記事、某国会議員の女性問題、田母神閣下の選挙資金問題での逮捕、大臣答弁の揚げ足取り追及。我が党にプラスになると思えば重箱の隅をつつきっ放し。マスゴミに洗脳されて、この程度の事でいつ迄国会を空転させるのかの批判的な感覚も日本人は薄れて来ている。

近藤流武士の情けは、「本人が恥いっているから」「反省している様だから」「可哀想だから」マア今回は“見て見ぬ振りをしよう”“許してやろう”“大目にみよう”である。バドミントンの選手の違法賭博、プロ野球選手の声かけ役問題─いつから日本人の心はこんなに狭くなったのか。NTTはバドミントンの選手だけでなく、監督不行届きでコーチまでクビにした。何とせちがらい日本になった事か。

☆ ☆ ☆

実は今月号のこの欄にバトミントンの桃田選手の事件を書くつもりであった。

プロ野球の声掛け役にみんなが五百円、千円を出す慣習は、暴力団がらみの野球賭博とは関係ないことだが、マスコミは一斉に鐘を叩いてこれを“悪事”に仕立て上げた。

庶民は鐘の音に惑わされて「けしからん!」とプロ野球に対する不信感を募らせた。

これと同じことを週刊新潮が桃田選手に行った。桃田選手がクラブで酒を飲み酒場の女と遊んでいる写真を何枚も載せ、「ディープキスしている」「尻に手を入れているように見える」と“事実”を報道した。

二十歳の男が自分のお金で酒を飲みに行って女といちゃつくことが悪いことでニュースになるなら、六本木や赤坂のクラブには毎日毎晩悪い奴が何千人もいることになる。

マスコミが作った「民意」が「けしからん!」と叫ぶ。それが政治や裁判まで動かす。武士の情けは死んだ。

近藤建氏が書いてくれたのでこうしたことを書かずに済んだ。