アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 330」   染谷和巳

 

 

新渡戸稲造の武士道

経営管理講座

 

先号の藤尾秀昭、近藤建両氏の文章に触発されて『武士道』を読み直した。最終章に「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない。しかしその力は地上より滅びないであろう」とある。著者の予言は憲法改正や武士道に基く道徳教育が行われれば叶うかもしれないが…。

 

 

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ケネディが作った鷹山ブーム

 

「国家がみなさんのために何ができるかを問わないでほしい。みなさんが国家のために何ができるかを問うてほしい」。

昭和三十六年(一九六一)一月のジョン・F・ケネディ大統領の就任演説の一節である。

この第三十五代アメリカ合衆国大統領は世界中から注目され期待されたが、二年後の十一月に暗殺され世界を落胆させた。

そのケネディがインタビューに答えて、「尊敬する日本人は上杉鷹山〈ようざん〉、私は鷹山から多くを学んだ」と言った。

当時鷹山の研究書や専門書、それと娯楽本位の小説はあったが、日本では忘れかけられていた。学生だった私は名前も知らなかった。もちろん中学高校の教科書にも出ていなかったと思う。

ケネディが言ったということで「それっ!」と鷹山ブームが起きた。雑誌、新聞が採りあげ、ビジネス書や小説が続々登場。テレビドラマにもなり、鷹山がその政策をまねたと言われる直江兼続〈なおえかねつぐ〉(上杉家の家老で鷹山より一五〇年前の人)まで脚光をあび、米沢が観光名所になった。

鷹山は倒産寸前の米沢藩を、石門心学の教えを忠実に行い、倹約と殖産で財政再建して借金を減らし、また学問所の興譲館を再興するなど教育を重視して人材育成に務めた。“名君”であり“中興の祖”である。

経営者や政治家は鷹山ものを「指導書」として読んだ。平成になってからの新聞社の調査では鷹山が「理想のリーダー」のトップになっている。

鷹山の箴訓〈しんくん〉「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」は家庭で親が子供の教育に使うほどよく知られている。

また鷹山が隠居後、後継者の息子に与えた「伝国の辞」も有名である。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私〈がし〉すべき物にはこれなく候

二、人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物にはこれなく候

三、国家人民の為に立ちたる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれなく候

この国家を会社に、君を社長に、人民を社員に置き換えれば、そのまま経営者に対する教訓になる。

ケネディが言ったから鷹山は家庭の主婦まで知る国民的英雄になった。もしケネディが言わなければ鷹山は歴史に埋もれた人物のひとりになっていたであろう。

それにしてもアメリカの大統領に言われて、自国の偉人を見直すとは、いかにも日本人らしく、少し恥ずかしい。

ケネディ大統領はなぜ鷹山を知っていたか。新渡戸稲造の『武士道』を読んだからである。

『武士道』は明治三十三年(一九〇〇)にアメリカで出版された。新渡戸はこの本を外国人に日本を正しく理解してもらうため英文で書いた。後に英語以外の世界中の言語に翻訳されるが、当初は英文〔日本で和文に翻訳されたのは明治四十一年(一九〇八)〕である。

この本はアメリカ二十六代大統領セオドア・ルーズベルトが感動し、知人友人に配って勧めた。以来『武士道』は日本理解の参考書として欧米の政治家や知識人によく読まれた。

ケネディ大統領もこの本を熟読精読したのである。

余談だが、世界的に有名なこの本は日本では熟読精読する人が少ない。本を買うが読み切れずに投げ出す人が多い。

理由は二つある。一つは新渡戸が引用するヘーゲルやスペンサーなどの思想家や世界の歴史上の人物があまりに多様で、歴史と哲学と文学についての広い知識がないとついていけない。

二つ目は英文からの翻訳なので和文(日本語本来の文法による文章)になっていない。いわゆる翻訳調の悪文である。たとえば、「切腹をもって名誉となしたることは、おのずからその濫用〈らんよう〉に対し少なからざる誘惑を与えた」(矢内原忠雄訳・省波文庫)。

日本語で言えば、

「切腹こそ名誉ある死に方である。この考えが(武士層に)流行して命を粗末にする軽率な切腹が増えた」であろう。

日本人が日本語の文章を理解するのにくたびれてしまう。それで本を放り出す。著者は日本人なのだから和文の原本も書き残してほしかった。

 

 

この道徳教科書が捨てられた

 

新渡戸稲造は第五章「仁、惻隠の心」で、上杉鷹山の「伝国の辞」の三つ目「国家人民のために立ちたる君にして…」をあげて、当時の封建君主が暴虐専制をほしいままにしてはいなかったことを示した。よき君主は人民を思いやり、人民の意見を聞く。そうすれば人民は国を愛し、国のために働くことを惜しまないと説いた。

また新渡戸は武士道の太い柱を「義」としたが、義は武士にとって君主に対する忠義、国に対する義務であると説いた。

ケネディ大統領の「国家がみなさんのために何ができるかを…」という演説は「武士道」のこの章の影響を受けて生まれたと考えて間違いないだろう。

新渡戸はアメリカで五歳年上のマリー・エルキントン(後の新渡戸萬里子)と結婚した。マリーは夫の考えや行動(思想と風習)の一つ一つについて「どうして?」「どうしてそうするの?」と子供のように質問した。夫はその都度誠実に答えた。

そうした毎日を送っていたある日、学者から「キリスト教のような宗教がないのに日本ではどうやって道徳を教育するのか」と聞かれた。新渡戸は答えられなかった。

この二つがきっかけで新渡戸は自分が身につけている道徳がどこから来たのか考えた。考えた末に“武士道”にたどりつき、妻や学者の疑問に答えるためには武士道について語らねばならないと思った(序文より)。

そして先号「致知」の藤尾秀昭氏が指摘したとおり、病気療養中に一念発起して論文『武士道』を書き上げた。

明治時代の日本の教育三大図書といえば、福澤諭吉の『学問のすゝめ』、幸田露伴の小説『五重塔』、新渡戸稲造の『武士道』であろう。この三作はそのままそっくり学校の道徳の教科書にすればいいと思っている。

現実は絵画などの美術品が日本より欧米の美術館に多く蔵されていることからも解かるように、日本人は価値あるものの価値が判らず、いいものをどんどん捨ててきたし忘れ去ってきた。

この三作は江戸時代の武士の子が「論語」を読み書きしたように、子供の時から何回も何回も読ませるのがいいと思う。

『武士道』は先に挙げた理由もあって、前二作よりも読まれず忘れられかけている。世界中で尊敬され愛読されているこの書が…。

 

 

現代は義も仁も吹っ飛ばして

 

武士道の二本の太い柱は義と仁である。新渡戸もこの順序で書いている。

武士道の淵源〈えんげん〉は歴史に武士というプロの戦士が登場した時にさかのぼる。

だが江戸時代以前の武士道は全く別のものであった。

武士道は卑怯、臆病、偽善を嫌悪するが、戦国時代は国を守るため或いは自分が生き残るために権謀術数を用い、妻や子を人質にさし出しあるいは殺し、父親を捕えて追放したりが日常的に行われた。弱肉強食の世の中にあって、武士層の掟は荒々しく血腥〈ちなまぐさ〉いものであった。

その武士の掟は江戸時代になって磨き込まれ光沢のある玉となった。戦わない武士が平時に自己を律する“道”に変質したのである。

この変質して完成した武士道はその後現在に至るまで武士、軍人、政治家、経営者が拠り所とする“行動規範”になっている。

明治維新の西郷隆盛などの英傑、乃木希典、東郷平八郎から昭和の軍人たちに引き継がれ、現在の有為の政治家や経営者の精神の支柱になっている。

と言いたいが、先号の近藤建氏の文にもあるとおり、勇気に裏付けられた義の行動は稀れとなり、寛容や思いやりから発する仁、すなわち武士の情けも瀕死の状態である。

“自分さえよければ”のアメリカ流個人主義が幅を利かせ、家庭内の暴力や殺人が増え、政治家や経営者にも自己抑制できず、欲望のままに振るまう非道徳人が目立つ。

人々は欠亡や不遇を我慢する精神をなくし、「俺にもよこせ」「支援しろ」「助けよ」と要求し、聞いてくれなければ「訴える」と叫ぶ。依存心ばかり強くなり、義も仁もどこかに吹っ飛ばしてしまった。武士道復活の日は絶望的に遠い─。