アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 335」   染谷和巳

 

 

誰のための脱デフレ

経営管理講座

 

所得が低い家庭の大学進学者で五段階成績三・五以上の人が借りることができた無利子奨学金を、成績基準を撤廃して誰でも借りられるように変えた。来年度から月額三万円以上。働き方改革と同根のリベラリズムに基づく安倍総理の改革である。“悪平等民主主義”社会がさらに進む。

 

 

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みんな平等の社会主義政策だ

 

政府主導の“働き方改革”の推進には胡散臭〈うさんくさ〉いものを感じる。「同一労働・同一賃金の導入」という案を聞いた時にパッと頭に浮かんだのは旧ソビエト社会主義共和国連邦の経済政策だった。

農民の自営は認められず、全員ソフォーズ、コルホーズという集団農場に所属させられ共同で仕事をし、収穫に応じて全員に一定賃金が支払われた。有能無能の差なく、勤勉怠惰の差なく、困難な仕事に携わる人と楽な仕事につく人の差もなく、一切平等。

こうした環境にいると人は低い方に流れる。有能な人は意欲をなくして力を出し惜しみする。

農民だけでなく漁業林業に携わる人や工場労働者も労働の質量は問われず平等の賃金が支払われた。生産性は年々低下し、作られる物は粗悪になり、思いやりや奉仕といったサービス精神はどこにも見られなくなった。

仕事ができる人はいなくなり、率先して仕事をする人もいなくなり、勤務時間中最低限の仕事をして決められた賃金を手にする人ばかりになった。向上心のない家畜同然の人ばかりの国になった。

もしも一九八九年まで四十二年間も続いたアメリカとの“冷戦”がなかったら、社会主義国ソ連は経済破綻と社会の腐敗と国民の反乱によってもっと早い時期に消滅していたであろう。

資本主義は優劣強弱と貧富の差によって成り立つ。競争と下剋上が公認されており、優勝劣敗が社会の常識である。

日本は明治時代以来ずっと資本主義であり、経済に限れば江戸時代の初めから自由競争の資本主義であった。

そこへ「同一労働・同一賃金」である。

仕事が同じならパート・アルバイトも正社員と同じ賃金。ベテランと新米、貢献度の高い年功者と若い社員、上司と部下も仕事が同じなら同一賃金ということである。

この立案は生産性を上げるのが目的と聞くが、どんなに贔屓目〈ひいきめ〉に見ても生産性が上がる目はない。

くどいようだがもう少し。

私が講演で使う設問の一つに「仕事ができない部下を冷たくあしらい、できる部下をほめそやすといった露骨な差別をしてはならない」がある。部下育成に関する上司の考え方としてこれが○か×かを問う。

いつも七割以上の人が○をつける。“露骨な差別”はいけないと信じているからである。人間みな平等、優劣の差をつければ劣った人が傷つくから差別反対。運動会の徒競走で一等二等を廃止した小学校の先生と同じ思想の持ち主である。

少し考えればこの設問は明らかに×である。仕事ができない(成績不良、非協力、反会社の言動、怠惰など)部下と優秀な部下では、賞与はもとより昇給額や昇進昇格面で差がつくのは当たり前。差がなければ優秀な社員は去って行く。

こうした待遇の差だけでなく、上司は部下を育てるために、だめな部下と優れた部下を態度行動言葉遣いではっきり差をつける。だめな部下に対しては白眼視して冷たくする。優れた部下は労をねぎらいほめたたえる。

上司がはっきり態度で示せばだめな部下は傷ついて辞める。しかし三人のうち一人は心を入れ替え努力して上司に認められるレベルに成長する。だめな部下を覚醒させるために上司は冷酷を演技できなければならない。“みんないい子”はみんなをだめにする。「同一労働・同一賃金」は“みんないい子”政策である。

同一労働・同一賃金の本来の目的は賃上げである。賃上げの目的は生産性の向上、デフレ脱却である。この政策が具体化し実施されれば、働く人の労働意欲は減退する。会社も意味のない経費増で疲弊する。生産性は下がり政府の目算は外れる。やってみなくても結果は解っている。

国がムード(空気)に流されて突っ走るのは危険である。国力衰滅の暴挙になりかねない。

 

 

 

過労死は長時間労働が原因か

 

働き方改革のもう一つの目玉は「長時間労働の是正」である。

労働時間が長ければ長いほど生産性は低くなる。生産性は国内総生産を労働量で割った数字である。日本の労働生産性はここ十年ずっと世界二十位に低迷しているそうである。

労働時間を少なくすれば生産性が上がる、生産性が上がれば会社が儲かり社員の給料が上がる。給料が上がれば商品やサービスにその分使う。会社は好況を呈し値上げをする。値上げすれば消費者物価が上昇しデフレ脱却につながる。

政府はこんなシナリオを描いて長時間労働の是正に取り組もうとしている。

これは「風が吹けば桶屋が儲かる」に類する冗談に近いシナリオではないだろうか。

日本は「勤倹貯蓄」の国である。勤倹貯蓄で経済大国になってきた国である。今も六十五歳以上の年金受給者の十人に三人は受け取った年金をそのまま貯金して死ぬまでのあと十年か二十年のために備えている。

賃上げがデフレ脱却につながるというのはアメリカの話で、日本では消費の活性化にすらつながらない。庶民の貯金が少し増えるだけでオシマイである。

残業や休日出勤が過重で過労死や過労自殺が増え、現在社会問題になっている。

この問題を解決するために「長時間労働の是正」をするなら理解できる。

しかし月間の残業時間の上限を法で定めて罰則を設けても過労死、過労自殺の数は減らない。

うつ病などの精神疾患で過労自殺する人は三十代が多く、心臓や脳疾患で過労死する人は五十代に多いそうだが、原因は労働時間の長さだけではないと思う。仕事の種類と質も大きい原因ではないだろうか。

好きな仕事あるいは少なくともイヤではない仕事なら時間は重要な原因にはならない。イヤな仕事やイヤな上司先輩と長時間つき合わなければならない環境にあって、そこから逃げられない状況が続くと大抵の人は参ってしまう。

辞める自由、転職の自由はある。一切を捨てて逃げれば死なずに済む。しかし時すでに遅し。頭や体が病気で萎縮して逃げる気力がなくなっている。

よって残業時間を短くすることは過労死問題を解決しない。

もし国が長時間労働を禁止したら会社はその仕事をする人を増やさなければならない。利益を出さなくていい役所は“仕事が増えたら人を増やす”が常識だが、会社はこんな常識に従っていたら赤字になって潰れてしまう。

長時間労働の是正という改革は会社の首を締める。会社や意欲ある社員がそれを歓迎するわけがない。

 

 

 

日本人のためにならない改革

 

現在日本はデフレだと言い、これを脱却することが急務だと言うが、このデフレで誰が困っているのか、誰が不幸なのか。デフレを脱却すると誰が幸福になるのか。

収入は増えないが食料品などの物価が安定していて暮らしよい世の中である。給料が上がってもそれ以上に物価が上がるなら、今のままのほうがいい。これが日本人の普通の考え方だろう。

一億二千万人が飢えることなく食って平穏に生活できているのがすでに奇跡なのである。飽食暖衣の民の生命力がだんだん弱くなり、子を生み育てる力も衰え、少子化時代を迎え、人口が減り、労働力が縮小し、生産性が低下し、経済が停滞するのは歴史が教える事実である。

その自然の流れに逆らって、成長、向上、発展、拡大といった華々しい言葉を掲げ続け、政治の力で打開しようとはかるのは無暴である。

もう一度聞く。誰のための脱デフレ策か、誰のための働き方改革か、日本的経営を行っているまじめな会社とそこで働く社員のためではない。会社も社員も政府主導の改革なんか望んでいない。

年功序列型賃金カーブの是正、女子力の活用、外国人労働者の受け入れ、いずれも政府が口出しすることではない。税金で助成や援助をしてまで推進する課題ではない。

民間に対する介入を最小限にする政府を保守主義の政府という。その反対に民間の小さいことまでいちいち指導し規制したがる政府をリベラリズムの政府というそうである。現在の日本の政府は保守主義の域をはみ出している。難局打開のためにもがいて何にでも口出ししようとしている。

成長神話をまだ抱き続けている。それだけではない。大企業に二%の賃上げを要請するなど、アメリカの恫喝に答えようとなりふりかまわず突撃しているように見えてならない。