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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 339」   染谷和巳

 

 

勤倹貯蓄死語となる

経営管理講座

 

明治以降日本は「富国強兵(殖産興国)」の旗を掲げてきた。旗の裏には墨痕鮮やかに「勤倹貯蓄」の字があった。この裏側の字が今急速にぼやけ消えつつある。そこに「浪費とゼイタクで消費を活性化」「プレミアム金曜日、三時から酒を飲もう」といった革命的な字が浮かんできている。

 

 

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今日できることを明日やるな

 

私の知人に荒田新〈あらたしん〉という少し変わった男がいる。

“予定”嫌いである。

何日何時何何という予定があると不機嫌になる。手帖にびっしり予定が記されているとふくれっ面である。具合でも悪いのかと聞いたことがある。「実はこんなに予定が」と手帖を見せて、それで憂うつなのだと言う。

中堅企業の部長職だが、これでよく部長が務まるものである。務まるどころではない。会社では社長が最も信頼する人材で、ナンバーツーとして遇されている。

荒田は労を惜しまず働く。若い頃から仲間が尻込みする仕事を「私がします」と買って出て、どんなに遅くなってもその日のうちに仕上げてしまう。社長が「明日すればいい」と言うと「いえ、やってしまいます、社長、どうぞお帰りください」と言う。

荒田が予定嫌いとはどういうことか。予定がびっしり詰まっている手帖を見せる人がいる。これを自分が重要人物である証明にする。面会を頼むと手帖を開いて「すみません、その日は○○が入ってまして、翌日の午前中なら空いているんですが」と多忙な身をひけらかす。

荒田はこういう相手が苦手である。「予定がびっしり」を自慢する心理が解らない。自分なら、予め未来の時間が拘束されている予定表を見て暗澹〈あんたん〉たる気持ちになる。

普通の人は将来の見通しが立たず希望が持てない状況に暗澹となる。これから一ヵ月間何の予定もないなら寂しい。一年間何も決まり事がなければ張り合いがない。

荒田は普通ではない。手帖はまっ白、予定表は空白が理想である。雲が重くたち込めた曇天がきらいで、突き抜ける青天が好きなのだ。

明日でもいい仕事を今日中に片付けるのも明日何もないまっ白な状態にしたいための“努力”なのだろう。

中央アジアの遊牧民族の間には、「明日すればいいことを今日するな」という格言があるそうである。

一日何もすることがないのは虚しい。明日することがあればそれはイキガイになる。だから今日時間があっても手をつけないでおくこと。朝になってお日様が昇ったら「さあ、やるぞ」と張り切って仕事に取り組むことができる。時間は流れていく。何もあわてることはない。

もし明日することが何もないならそれこそ幸せというもの。もしも食い物があって食う心配がなければ、仕事がないこと、働かなくていいことは理想である。

では明日することを今日のうちにすませてしまえばいいではないかという荒田流はやはりよくないのか。

かつて「明日できることを今日やるな」という題の本がベストセラーになったことがある。

「明日からやろう」と“先送り”するのは怠け者でよくない。明日すればいいことを今日する“前倒し”も、今日という日がスカスカだからで、いずれも『今日からの逃亡』であると教えている。

昨日と明日よりも今日が最も大事という価値観に基く考え方である。

荒田は明日でもいい仕事を今日している。前倒しであるが「今日からの逃亡」などと仰々しく言うほどのことではない。一日分の仕事は十分して終業後に残った仕事をしているのである。ともかく明日以降に“しなければならない”ことがいろいろぶらさがっているのがうっとおしい。だからできることは今日中にしてしまおうというのである。

お客様との商談や会議、研修や子供の行事などの予定は今日片付けられない。こうした予定が増えると不愉快になる。もし荒田が変だとするならどうしてこんな変な人ができたのだろうか。

 

 

 

予定嫌いはエネルギーの貯蓄

 

勤勉と倹約は日本的経営のゆるぎない柱であるが、これにどうして貯蓄がくっつくのか。

現代は貯蓄の対象はお金であるが、昔は食べ物であった。

カラスは余った食べ物を木の高い枝にかくす。野生のリスも木の洞〈うろ〉に木の実を蓄える。人も寿命が短い野菜や魚を長持ちさせる工夫をした。大根は干してたくあんに、野菜は塩漬けに、魚はやはり塩漬けにし、干物や燻製〈くんせい〉にした。今でも農家の土間には漬物樽をずらりと並べている所がある。製作者の主婦は「一年分はある」と胸を張る。

こうした食べ物の貯蓄は、島国の農業漁業中心の民族の知恵である。現在はビン詰め、缶詰め、真空包装、冷凍食品など効果的な保存方法がいろいろあるが、こうしたものがなかった時は芋類は穴を掘って暗い所に置いて長持ちさせるなど知恵を絞った。自給自足しなければ生き続けることができないからである。

これに比べて大陸の遊牧民族、狩猟民族は大地を移動することによって食べ物を獲得する。羊の牧草を求めて移動し、他の地域の富を略奪して生きる。チンギス・カンのモンゴル帝国は遠くヨーロッパまで遠征して略奪を恣〈ほしいまま〉にした。こうしなければ種族の幸福な生活を維持できないのだから非難はできないが、閉鎖社会の日本民族は食べ物の貯蓄によって明日に備え、平和な生活を維持することができた、世界でも恵まれた民族といえる。

貯蓄は明日のためにする。今日勤勉に働き倹約することによって明日の糧を確保する。

「食べる」は働くためのエネルギーを体に入れること。食べ物(お金も)を蓄えるのは明日の活力、将来の幸福な生活、働けなくなった老後の健康維持のためである。

エネルギーを入れるの反対はエネルギーを出す。明日何もしなくてもいい状態にしておけばエネルギーを出さなくて済む。

明日を空白にしておくことはエネルギーの貯蓄である。もちろん朝がくれば昨日と同じように働いてエネルギーを消費する。しかし特別な予定には特別なエネルギーを使う。予定がなければエネルギーを温存できる。

荒田の予定嫌いは、農耕民族の貯蓄の習性の変形なのではないか。

一日一日を決裁して未来は空けておく。そうすれば突然何が起きても全力で対応できる。いろいろ予定が詰まっているとその自由がない。予定がないことを喜ぶのは、よりよい仕事をし、よりよく働く心構えから生まれている。現に荒田は同僚よりよく働き、高い実績を上げて認められている。

荒田は単なる怠け者ではないし、もちろん長時間労働反対の人権派でもない。れっきとした企業戦士である。その「予定嫌い」を嘲笑したり軽蔑してはならない。日本的経営の忠実な実践者だと見なしてほしい。

 

 

 

迎合型時間短縮はやめなさい

 

ある社長が「社員の幸福」の条件のひとつに「労働時間が短いこと」を挙げている。長時間労働の是正は働き方改革の柱であり、実際に休みが少なく疲労が蓄積している人々にとっては、涙が出るほどありがたい幸福の条件であろう。

これを、時間も仕事量もそれほど過酷とはいえない状態にある人が「そうだ、もっと時間を減らせ!」と呼応するネタにするのは間違いない。ここに問題がある。

「プレミアム金曜日」は毎月最終金曜日を十五時終業にするという制度である。二月から始まり実施企業は二・五%。ある大企業は社員全員に遊ぶためのお小遣いを一人一万円支給したそうである。十五時終業などできないし考えられない会社にとっては、羨ましいを通り越してばかばかしい話である。ばかばかしいで済めばいいが、この狂気が社会の本流になりかねないから本当は恐い話である。

休みが少ないうえに毎月百数十時間の残業を二年も三年も続けている人に対しては、待遇の改善が早急になされなければならない。現在、会社がこうした過重労働を強いているなら、売上げが落ちても利益が出なくなっても大改革を断行しなければならない。

もしそれほど社員を酷使しているのでなければ、今以上の時間の短縮は必要ない。

特に二十代三十代の若い人を遊ばせてはならない。学ぶ時、鍛えられる時、この時は能力を伸ばして人間を作る時期である。この時期に楽をして逃げる人は四十代五十代に大成することはない。いずれ会社の、社会のお荷物になる。

近藤建の「武心塾だより43号」にこうある。「旭ファイバーグラスの友澤社長が名僧に言われた。『まるで戦争にでも行くように悲愴感を漂わせているが、そんなに肩肘をはらずに、困難とたわむれ遊ぶ気持で仕事をすればいいのではないか』。以後友澤社長はつねにゆったりした気持ちで仕事に取り組んだ」。多忙を楽しむゆとりだ。

荒田のような予定嫌いは極端だが、働き方改革も極端。勤倹貯蓄という美風を捨てて遊び人を礼讃する社会にしてどうするのだ。