アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 340」   染谷和巳

 

 

「覚える」と「忘れる」考

経営管理講座

 

現在、人工知能が「覚える」を極めれば「考える」に到達することを証明しつつある。やはり記憶力は大事だ。しかし記憶力がいい人が仕事ができるとは限らない。記憶力がよくない(勉強ができない)人にも仕事ができる人は大勢いる。ということは「忘れる」にも価値があるのでは。

 

 

    PDF版は右の画像をクリック⇒

 

漢字が覚えられない荒田だが

 

荒田は頭が悪い。小さい頃から自分は頭が悪いと思っていた。

そろばん塾に通っていた。検定四級まではスムーズに行ったが三級不合格。三回挑戦したが受からない。後から塾に入ってきた人や年下の女子がつぎつぎ合格、二級合格の子もいた。自分はダメだと思い塾を辞めた。

漢字の書き取りテストはいつも百点満点で五十点程度。覚える能力が低い。これは大人になった今も変わらず、手紙には誤字当て字があり読み直して気付くこともあるが、そのまま出してしまうのが大半。おそらく相手は「こんな字も書けないのか、情けない」と思っていることだろう。

漢字を覚えられないから本を読むのに国語辞典が手放せない。

中学三年の期末テストで、どんな意図があったのか今もよく解らないが、国語の先生が「辞書を使ってよい」試験を行った。

問題の量は漢字の読み書きも含めていつもの二倍あった。

辞書を引き慣れている荒田のために考えてくれたとしか思えない(もちろん荒田のためではなく、先生は“覚える”ではなく“調べる”能力のテストを試みたのである)。漢字の書き取り五十問は辞書なしでは一割も書けない。

荒田はこのテストでただ一人百点を取り、学年で表彰された。今まで一度も勝ったことのない並いる秀才に勝った。

覚える力は人並み以下だが辞書を引くスピードは群を抜いている。このことが解った。これが実証されたがこのことにどんな意義があるのか荒田は解らなかった。ともあれ荒田に敵わなかったことを口惜しがる秀才たちを見て、「自分にも取り柄があるんだ」と生まれて初めて優越感を抱いた。

中間試験、期末試験の学年の総合順位と点数では秀才連中七人には一度も勝ったことがない。「あいつらには追いつけない」と荒田は思った。

勉強では敵わなかったが荒田の詩が優秀作として全教室で紹介された。また生徒会長選挙の応援弁士として立ち、皆を笑わせて候補者の名前を覚えさせ、学年では三番手くらいと見られていた候補が下級生の大半の票を集めて番狂わせの当選を果たした。夏休みの宿題の絵は金賞になり、額入りで校長室に飾られた。音楽教師は荒田の作った曲をピアノで弾いて紹介した。八百人の生徒がいる中学校で荒田は秀才よりも知名度の高い生徒になっていた。

高校はトップ校に入れず二番手校。ここでも成績はパッとしなかった。美術の授業で教師に「君は才能がある」と言われた。だが荒田は画家になろうとは思わなかった。

三年になって試験勉強に没頭した。連日夜中まで。休みの日は朝から晩まで机に向かった。半年もこうした試験問題と取り組む日を続けたある日、荒田は自分が持っていた芸術的才能の芽が死んでしまったことに気付いた。絵も音楽も詩も遠く離れた存在になった。時間をかけて絵を描く気力がなくなった。描いても以前のようないいものはできなかった。その時「受験勉強は芸術の才能を殺す」と思った。今もそう思っている。

こうした受験勉強のうち一つだけ一生残る“いいこと”があった。

それは「世界史一〇〇〇題」という厚い問題集(国語、数学など科目ごとに一〇〇〇題シリーズがあった。今も本屋にあるかもしれない)を一日一時間三ヵ月かけて征服した時だった。年代、地名、人名は覚えていなかったが、世界各地の人間の五千年の活動が総合的に理解できた。言い換えると初めて「世界観」ができた。問題集の裏表紙を閉じた後、自分の視野と奥行きが以前と全く違っているのに気付いてしばし呆然とした。

このこと以外何もいいことはなかった。相変わらず記憶力が劣り、一流大学に合格した人の優れた記憶力に敬服した。中学時代の秀才の多くは官僚や都県の役人になったと聞いている。それを知って荒田は、“自分は公務員試験は受からない”“自分は頭が悪い”と今さらながらに思ったものだ。

 

 

“放射能が移る”は愚痴の極

 

荒田は記憶力が劣ると言っているが本当なのか。

「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪?」。荒田が中学生の時流行した春日八郎の「お富さん」である。ラジオで毎日流れていた。荒田は今でも歌うことができる。記憶しているから歌える。十回二十回と聴き、十回二十回と歌えば覚えてしまう。

荒田は思った。

「秀才とはきのうの朝ごはんは何を食べたか、聞かれてパッと答えられる人である。自分のようにしばらく考えて『忘れました』と言う人は凡才である。記憶力のいい人というのは一回見ただけで、一回聞いただけで覚えてしまう人、記憶力がよくない人とは何十回も頭に入れないと頭に定着しない人、つまり覚えるのに時間がかかる人である」。

見たこと聞いたことを覚えないということは記憶力よりも忘れる力の方が強いからである。

忘れるはよくないこととされている。忘れるはいけないことか。覚えさせることが目的の学校の勉強ではいけないことになっているが人の一生、人生全般において“忘れる”は価値ある能力なのではないか。記憶力よりも忘却力のほうがむしろ高い価値があるのではないか。半分負け惜しみのようだが荒田はこう思った。

覚えていて物事に執着することが人を不幸にする。忘れてしまえばこだわらなくて済むのに。

お寺のお坊さんの説教。

「福島からの移住者の子を『毒をまき散らすな』『福島に帰れ』といじめる子がいる。大人の中にもズケズケ言う人がいる。原発の放射能など少しも恐くない。その毒は爆発現場のピンポイントに限られている。本当に恐いのは過剰反応して地の果てまですっ飛んで逃げる人、それと福島からの移住者を嫌いいじめる人、野菜や魚など現地の産物を拒絶する人や国である。人間の心のほうが放射能の千倍もオソロシイ」

説教は続く。

「世間には三毒がある。貪瞋痴〈どんじんち〉。貪欲〈どんよく〉、瞋恚〈しんい〉、愚痴〈ぐち〉である。貪欲はわかりますね。愚痴は愚かで人としての道理を弁えず迷信を頼りにすること。瞋恚とは妬〈ねた〉み、恨〈うら〉み、憎しみの感情で、抑えがきかないと狂暴になって相手を攻撃したり、絶望して自滅したりする。

この三毒のうち瞋恚が最も始末が悪い。あとの二つ貪欲と愚痴が高ずればみな瞋恚に変わる。たとえば出世欲や名誉欲に取り憑かれた人が思いどおりにいかないと人を恨んで復讐したりする。道理に暗い愚痴も、常識外れの行動として皆から白眼視されると、『何を! ならば』とむきになって敵対する。憎悪の固まりとなって拗〈す〉ねる、嫉〈そね〉む。やはり瞋恚に変わる。

福島から来た子が放射能をまきちらすと言うのは愚痴の極みである。迷信に踊らされる愚か者そのもの。『帰れ』と脅したり、嘲っていじめるのは、これの愚痴が瞋恚に変って悪質になったためだ。みなさんも瞋恚に取り憑かれて人生を狂わせないように」。

 

 

 

忘れよ!瞋恚の炎を燃やすな

 

この説教を聞いて思い当たることがあった。天艸義照〈あまくさよしてる〉作「囲碁讃歌」の一節である。

「自分だけ得しようという独善流、貪りの心を持たないこと/耐え忍ぶことが負けない碁である/感情的になることは 相手に利することである/打ち過ぎて負けることを知ること/失敗の原因はすべて己にあり、それを他に転嫁しないこと/勝つことばかりが大切なのではなく、負けることもまた大切である」。

人間の三毒を別の言葉で表現している。囲碁を通じて三毒に冒されない精神を養いなさいと言っている。

石田梅岩は貪瞋痴の三毒に冒されないために自分の職(仕事)に一心不乱に、無我夢中で取り組めと教えている。そうすれば「赤子の心」と同じ状態になる。この状態が悟りであり、成仏であり“善”だと言う。

無我夢中や赤ん坊の心というのは“無心”の状態である。無心とは人の心に言葉や記憶や喜怒哀楽の感情(瞋恚)が詰まっているのと反対の状態である。一切空〈いっさいくう〉なる状態である。

言い替えれば全て忘れてしまった状態である。

災害や悲劇が時間とともに風化して忘れられるのは仕方ないが、決して忘れてはならないこともあると説く人がいる。

忘れないために記録し記念碑を立てる。これで十分である。

過去の災厄を心に刻んで、瞋恚の炎を燃やすのは許されない。「放射能! 近寄るな」と石を投げつける人は“忘れない人”であり記憶力のいい人であり、そして毒に冒された病人である。