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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 341」   染谷和巳

 

 

日本固有の思想あり

経営管理講座

 

日本はこれまで西欧の思想を有難がり日本固有の思想をあまりに軽視しまた無視してきた。物まねはうまいが独自の思想などないと断言する人までいる。こんな立派な国が、こんな優れた民族が独自の思想を持たないはずがないと思わないのか。人間の社会は思想を土台に成り立っているのに。

 

 

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吉村昭氏にノーベル文学賞を

 

尊敬する作家吉村昭が(…と書き初めて思考が飛んだ)。

余談だがノーベル文学賞の選考に疑問を持っている。昨年はアメリカのミュージシャン、ボブ・ディランが受賞した。詩人としての貢献が評価されたのだが、この受賞は近年の文学賞では最も妥当な選考だと思う。

かつて日本の出版社の世界文学全集はほとんどノーベル文学賞受賞者の作品であった。今から五十五年前(一九六一)の話である。それ以降の文学賞受賞者は名前を知らないし、作品を読んだこともない。私の年齢のせいだけではないようである。今も新しく世界文学全集が出ているが、冒険活劇物や探訪記事、奇跡的出来事などばかりでサラッと見ただけで読む気がしない。

選考者の力量が落ちたのか。一説によれば欧米諸国で翻訳されている本が優先的に対象になるそうである。これはうなずける。選考者は日本語は読めないから自国語に訳された日本の作家の本を読む。あるいは映画やテレビドラマを見て知る。こうして川端康成(一九六八)、大江健三郎(一九九四)が選ばれ、今は毎年村上春樹が候補に上がっている。

川端の小説は大きく展開する筋などない私小説に近いもので、文章の美しさで読まれていた。俳句短歌を英訳したら全く別の造花のような作品になるが、川端の英訳仏訳小説も同様であろう。もし川端がノーベル賞なら志賀直哉や谷崎潤一郎も同格あるいはそれ以上の作品を残しているから、なぜ川端にしたのか理解できない。

大江健三郎のノーベル賞は、アメリカの国務長官、武力を背にした外交を行ったヘンリー・キッシンジャーの平和賞受賞(一九七三)と同様に物議を醸した。もちろん表立って「おかしい、なぜだ」と言う人はいないが、本を読む人々は「この人がなぜ文学賞なのか。誰がどんな理由で選んだのか」いぶかった。

知人の荒田が言った。

「北朝鮮を地上の楽園と書き、沖縄戦の日本軍人を市民を見捨てた卑怯な殺人者と書いて共産党など左翼の支持を得た。受賞後のテレビで大江は息子を連れて来て『みなさん頼みます』とお願いしていた。みっともない光景だった。

来年は村上春樹か。軽いスナック菓子のような腹のたしにもならないあの小説のどこがいいのか。時間のムダだから大人は読まない。女子大生とそれにつられたチャラ男が読む。ハリーポッターと同じ読者層だろう。

もっと文学賞にふさわしい人がいるだろう。たとえば吉村昭。亡くなってしまったが生存中に受賞させたかった」。

吉村の「戦艦武蔵」「海の史劇」などの戦史小説、それに続く「ポーツマスの旗」などの歴史小説は皆古典としてずっと読み継がれる作品である。

川端、大江、村上ほど欧米で翻訳出版されていないから候補にもあがらなかったのだろう。荒田の言うとおり吉村が受賞したら日本中が心から祝福したに違いない。

ここからは余談の余談である。

タイム技研の丹羽公男会長が言っていた。「韓国の学者や研究者は外国の文献や論文を読むために外国語を勉強しなければならない。たとえば日本の研究論文を調べるために日本語を勉強する。語学に時間とエネルギーを使うから傑出した人がなかなか出て来ない。韓国だけでなく他国も同じ傾向が見られる。

その点日本は世界中の論文や小説を日本語で読むことができる。自分が理解できる言語のものが簡単に手に入る珍しい国である」。

日本語は平仮名、漢字に加えて外国語に対応力のあるカタカナ、ローマ字があり、前野良沢の『解体新書』(一七七四)以来、翻訳力は幅と深さにおいて他国の追随を許さない高いレベルになり、それが日本の経済はもとより学問の各分野の発展に寄与した“事実”は否定できないだろう。

アジアで日本のみノーベル賞受賞者数が多い理由の一つがここにある。

 

 

 

思想のきざす土壌が貧弱だと

 

本題に戻る。

吉村昭がこう書いている。

「思想とよべるものが日本にあるとしても、それはすべて外来のもので、固有の思想はない。思想のきざす土壌〈どじょう〉が、貧弱なのだ」(「陸奥〈むつ〉撃沈」)

文章は、この貧弱な土壌が“敗戦”によって肥沃になる養分を得て、日本にようやく思想らしいものが生まれる得がたい機会が訪れたと言える、と期待していたが、思想らしきもののきざす気配はきわめて薄いと続いている。

日本には固有の思想はないと断言する吉村に「そうだ」と賛同する人は少なくないだろう。

吉村は平成十八年(二〇〇六)に七十九歳で亡くなっている。三十八歳で「戦艦武蔵」を書いてから重量感のある小説を多作した。

「陸奥撃沈」は昭和五十四年(一九七九)五十二歳の時の作品である。

この一文を山本七平が読んでいたら異議を申し立てていたであろう。昭和五十四年に山本は五十八歳で文筆家として最も脂が乗っている時期だった(平成三年六十九歳没)。

もし読んでいたなら「吉村さん、日本にはルソーやマルクス、ケインズに匹敵する思想家が二人もいるんですよ。近代の日本の資本主義発展の礎〈いしずえ〉となった思想です。この二人がいなければ今の経済大国日本はありません。ここ三百年に亘って日本人の心に深く強い影響を与えてきた思想です」と諭したであろう。

そんな偉大な思想家を学校教育でなぜ教えないのか。

それは明治維新という政令が第一の、そして敗戦が第二の原因である。

明治政府は“江戸時代の否定”から出発した。徳川幕府は悪であり、創始者家康はずる賢いたぬきオヤジであり、大老井伊直弼は大悪人、二百六十年間の長きにわたり民は悪政にあえぎ、つねに貧しく冷害や旱魃で米がとれないと飢えて百姓一揆を起こした。江戸時代は暗黒の時代であり、文化は低迷し、どの分野も進歩は見られなかった。よって歴史に名を残す人物は現れず、英雄といえば幕府に弓を引いた大石蔵之助くらいしかいなかった。

敗戦後アメリカは日本の戦前の教育を全否定し、また明治以降の天皇中心の政体をぶちこわした。忠義の武士道は自由平等の民主主義に反すると禁止し、一時は時代劇の映画の製作まで禁じた。江戸時代の解禁と正当な評価はアメリカによる占領が終わる昭和二十六年(一九五一)を待たねばならなかった。

以後ゆっくりではあるが家康が偉大な政治家であったことが明らかになり、江戸時代が世界でも稀に平和で安全で豊かな社会であったことが認められるようになった。

この時代、その後の明治大正昭和平成の三百数十年間の日本人の共通認識すなわち心を占めた思想は、江戸時代の初期から中期にかけての二人の思想家、鈴木正三〈しょうさん〉と石田梅岩〈ばいがん〉によって確立された。

この思想「心学」を山本七平は「日本資本主義の原点」と表現しているが、私はより身近な言葉で「日本的経営の柱」と言っている。

二人の思想は現代の日本においてあまりに人々の血管に自然に染み通り、社会常識になっているので、欧米のような論理的思想を頭に描く人には物足りないかもしれない。しかし、思想が先行して社会を作るという事実から言えば、時代を超えて人々を感化し続けてきた二人の思想は“日本人のバイブル”とも言える偉大な遺産である。

 

 

 

偉大な二人の思想家に注目!

 

明治以降、西洋かぶれの学者たちが、また敗戦後の大学のマルクス経済学者たちが、日本の土着の思想を無視した。吉村昭と同じように日本には思想も独自の思想家も全くないかのように振舞い発言した。

哲学は独特な専門用語を駆使した文章で成り立っている。一度読んだだけでは理解できず何度も読み直す。難解であることを有難がる。文章の解釈に終始し、“思考を深める”段階に至ることはない。

それに比べ単なる戦国武士の鈴木正三や呉服屋の番頭石田梅岩の文章は、読み書きができる商人や大工、かじやなど誰でもたやすく理解できる。実生活に密着しており、己れの毎日と照らし合わせながら読むことができる。

あまりに当たり前で庶民的で解りやすい思想なので、学者には有難みがない。「こんなものが一流の思想のはずがない」と脇にどけて忘れた。

日本人は世界でも最高に優秀な民族である。世界でも最高の二人の思想家がそれに寄与した。会社も学校も空疎な哲学に振り回されて、この原点を外してはならない。