アイウィル 社員教育 研修日程

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 343」   染谷和巳

 

 

潔く廃校する勇気を

経営管理講座

 

かつて日本企業はニューヨークの高層ビルを丸ごと買い、日本人の群〈むれ〉はパリでブランド品を買いあさり、欧米人から「札びらを切る猿」と蔑まれた。今中国が同じことをしている。“爆買い”や北海道の広大な土地購入に続き、大学を手に入れ、要所に中国人人材をはめ込んで行くつもりだ。

 

 

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過疎地の学校は廃校になるが

 

小学校を社員の合宿研修に使ったことがある。校舎も校庭も自由に使っていいと言う。まわりに住宅がなく大声を出しても歌を歌っても苦情は来ない。

椅子と机は大人には小さくて使えない。座卓と座布団を運び込み、寝具はリース、食事は宅配弁当を頼んだ。これで三日間の研修は滞りなく行うことができた。手間暇はかかったが、一般の研修施設であれば一人一日安い所でも一万円以上かかるが、この場合は経費込みで一日五千円程度で済んだ。

三十年前の話だが、今も学校の古びた静かなたたずまいを鮮明に思い出すことができる。十年前に小豆島の「二十四の瞳」の小学校を見学した時、「あの研修をした学校と同じ雰囲気だな」と思った。

小学校が幽霊屋敷になっていなかったのは廃校になってまだ日が浅かったからだろう。教室は使い道がなかった。建物を取り壊してサラ地にしても山間の僻地なので買い手がない。それで私たちのような民間の研修会社でも「使ってくれればありがたい」と貸し出したのだろう。町の職員は始めと終わりに顔を出しただけで自由に使わせてくれた。

木造二階建て六教室の校舎は木目が風雨にさらされて浮き出ており、長い歴史を感じさせた。これだけ教室があるということは、最盛時は百人以上の児童が通っていたのだろう。

町は最盛時八千人の人口が三十年前四千人台に減少していた(今はもっと少ないだろう)。それも老人ばかりで子供がいない。過疎化のはしりであり、テレビなどで全国のモデルケースとしてとりあげられた。現在過疎地の廃校になった小中学校は数えきれない。

数年前、札幌の郊外の廃校を菓子メーカーが借り受けて新製品の工場にした。じゃがいもを材料にした菓子は札幌みやげの人気商品になり工場はフル稼働。働く人つまり工場へ通う人が増え、近くにコンビニまでできた。

こうした廃校活用の成功例は稀であり、過疎に悩む市町村は「うちにもそんな話はないか」と羨ましげである。

人がいなければ町も村もない。子供がいなければ学校はいらない。

公立の学校は赤字黒字の経営責任がない。児童生徒がいなくなれば先生はよそに移ってもらって学校は閉鎖、これでオシマイ。

私立校はこうはいかない。生徒数を確保して国の補助金をもらって存続しなければならない。今や二流三流校は試験でふるい落とすどころではなく、定員割れに怯えながら必死に生徒集めをしている。

北海道の土地を中国人が買いあさっているということだが、今度は学校を買うそうだ。苫小牧の駒澤大学は学生が集められず経営危機に陥っている。(産経新聞六月十九日「異聞・北の大地」)。

京都にある日本語学校、関西語言学院は学生五四〇人(昨年七月)全員が中国人、ここで日本語教育を受けさせ日本の大学に入れるのを目的とする学校である。

この関西語言学院を経営する中国企業の「育英館」に駒澤大学は一切を譲渡するという。土地や校舎など総資産約五十億円を無償で移管するらしい(無償というのはウサンくさいがここでこれを詮索するつもりはない)。

駒澤大学は日本人学生を集められないから、関西語言学院の卒業生を入れる。優秀な人は日本の一流大学へ行くが、優秀でない人をごっそり苫小牧に持ってくる。さらに中国で日本語教育の学校を卒業した学生を“留学”させる。

駒澤大学は苫小牧市の支援で成り立っている。苫小牧市長は「廃校を避けたいという思いが強く、やむを得ない選択だった」と語っている。

文部科学省はおそらく「大学の設置者変更の認可」をするのだろう。数年後にはいずれ日本企業のビジネスマンや官公庁の役人になる人を教育する中国人特科大学が苫小牧に堂々とオープンする。

 

 

 

売上げゼロなら会社は潰れる

 

会社はお客様があって成り立っている。需要がなければ会社は生存できない。会社は新製品を開発し、新分野を開拓して需要の喚起をはかる。新製品開発と新規開拓が企業努力の二本の柱である。

死にそうな会社が新製品がヒットして生きかえることがある。また既存客が離れて青くなっていたら、営業が新しい分野の客を発掘して息を吹き返したところもある。

アイウィルのお客様は創業時は六十代前後の比較的高年齢の経営者が多かった。私の考えとやり方を支持してくれたのは戦前生まれの方々だった。

まだ五十前の私を見て六十代のある社長は「どんな苦労をしてくるとそんな顔になるのかね」とつぶやいた。自分だって鬼のような顔をしているのに、私のほうがよほどひどい顔だと言っているのである。こうした経営者がアイウィルの初期の顧客層だった。

十年がたちこの創業社長が引退すると関係が断絶する。

先代が病気や死亡により若い息子が後を継いだ場合、つなごうとしても門前払いをくう。自由平等個人主義で育った若い人はアイウィルが大嫌いである。

また新しく大企業から社長が派遣された会社も同じ傾向がある。

最近地方の優良電機部品メーカーで社長が交替した。高齢の創業社長は部品を納めている親会社に経営を委ねた。

百二十名の社員に研修を何度も受けさせてきた教育熱心で熱烈なアイウィル支持者だった。

親会社から来たサラリーマン社長は総務課長に「こんな思想の色のついたものはやめてください」と言ってヤアーッを机の上に放り出した。課長は「研修は私を変えてくれたし、ヤアーッもためになると思っていますが、今後送らないでください。すみません」と電話してきた。

持ち株の関係もあり、社長は親会社に経営権を譲った。私は「この会社の研修は終わりだ」と思った。案の定、担当者が新社長に挨拶に行く前にピシャリと断られた。

社長が交替しても先代が会長として実権を持っている場合はいい。社長がアイウィルの研修を受けていて「よかった」と評価している場合はなおいい。この会社は会長がいなくなってもアイウィルのお客様でいてくれる。

後継者は会長に育てられ選ばれて社長になることができた。長年会長のそばで仕事をするうちに会長の価値観に似てきた。会長が「よし」として実行してきたことをそのまま引きつぐ気持ちが強くなってくる…。

こうした有り難い会社もあるが数は少ない。社長交替によって離れていく会社が圧倒的に多い。

アイウィルの売上げの九〇%はリピートオーダーによるものである。次々と社員を派遣し、出す人がいなくなったら、毎年新入社員研修だけ出すといった会社がたくさんある。したがって一社消えると売上げの落ち込みが大きい。ユーザーの会社の“社長交替”は当社の生死に関わっている。

社会の支持を失った会社は死ぬしかない。死にたくないから新製品開発と新規開拓に懸命になる。

幸い自由平等個人主義とゆとり教育で育った甘ちゃん社長と違う後継社長や創業社長が続々と現れてきている。アイウィルは新しいこの客層に支えられて生き続けられるだろう。

中国企業への日本の大学の身売りのニュースを知って“会社存立の意義と目的”について考えた。

自社もこの大学と同様の苦境に立たされないとは限らない。社員の生活を守らなければならない。どうする? やはり金持ちの中国企業に買ってもらうか──。

 

 

 

中国の日本侵蝕戦を阻止する

 

私立でも学校は一般の民間企業とは違う。

苫小牧市はただで広大な敷地を提供し他にも様々な金銭上の支援をしている。国も私大補助金を支給している。大学は多大な地方税と国税で成り立っている。よって大学の経営方針には市や文部科学省の意思が反映される。中小企業の経営者のように独断で判断決定することができない。

大学がなくなって一番困るのは苫小牧市である。町が活気をなくす、消費が冷え込む。人口が減る。大学の存亡は町の存亡に直結する。

苫小牧は大型船が停泊できる太平洋に面した良港である。「一帯一路」政策の最北端である。それで近辺の広大な土地を何ヵ所も手に入れ、いずれは中国人の町にしようと企〈たくら〉んでいる。

さらに大学を経営し中国人による日本企業、官庁、マスコミ、学校そして政府を乗っ取る深遠な謀略の端緒とした。

こう憶測すれば、私なら学生が来ない大学は断じて廃校にする。強欲な者に身売りをすれば、そのツケを背負った子孫が死ぬ思いをすることになる。