アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 352」   染谷和巳

 

 

平等思想の行き過ぎ

経営管理講座

 

奇しくも先月号のこの講座と四面鈴木健夫の生論が旧優生保護法をとりあげ、同じテーマを別の切り口で論じた。私は法のもとに不妊手術された人が今になって国に損害賠償の訴訟をおこすのは納得できないと言い、鈴木は障がい〈(原文ママ)〉者と共に働く会社が健全に存続すると優生思想を否定弾劾した。

 

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知的障害者を対等に扱う会社

 

鈴木は説く。経済効率のために優秀な人ばかり集めた集団の不正、不祥事が後を絶たないのは同一種の人の集団だからである。同一種の集団は意外に脆い。会社が永く存続しようと願い、人間性豊かな社員を社会に還元しようと思うなら、様々な障害のある人たちと共に働くべし、と。

この鈴木と同じ主張に出合った。

「自然界の集団では必ず、個としての能力や生産性は低いけれども他者に依存しながら生き残るグループがみられるという。能力が高い個体だけの集団は存続力が弱く、生き残れないのだ。近年、大腸菌の進化実験や働きアリの研究で明らかになった。『共生』は人類を含む地球上の生物が命をつなぐために備えてきた仕組みだと考えられる」(平成三十年三月三十一日産経新聞一筆多論・中本哲也)。

中本は妊婦の生前診断で、医師から障害など胎児の異常が告げられたケースでは中絶が行われているが、障害者として生まれようとする命が選択的に絶たれている現実から目を背けるわけにはいかない、「それでいいのか」と問い掛けている。

中本の論説は「どうしますか」という問題提起で結んでいるが、鈴木は「優生思想こそ自然の法則に反している」と断じている。

鈴木が経営する㈱ヘイコーパックは社員百六十名のうち三十八名が障がい者である。八〇%が知的障がい者で五〇%以上が重度判定者である。この三十八人はそれぞれの職場で欠くことのできない戦力として働いている。

全体の二四%にあたる障がい社員の存在が、会社を救っている。効率と合理性ではなく、職場の改善は優しいか、温かいかで決めるようになったという。

こうした実績をバックに論じているので説得力がある。共に生き共に働くことこそ会社の存続と社員の豊かな人間性を作るという主張には敬意を持って頭を下げる。

もう十五年も前だが、これに関連する一つの忘れられない出来事があった。

愛知県のあるクリーニング工場は優先して障害者を採用していた。八十人のうち四十人が障害者である。

一人が誤って洗剤のカンを倒した。床に液体が広がっていく。従業員はぬらぬら光る液を眺めながら、それを避けて歩く。

これを知った工場長は血相を変えた。モップと雑巾を集め従業員に配り、自ら先頭に立って後始末にかかった。床が元通りになるまでに五人がかりで二十分かかった。

工場長はカンを倒して放置した従業員(重度の障害者)の胸ぐらをつかんで「倒したらすぐ戻さなきゃダメじゃないか!」と怒鳴った。

従業員は謝ることもなく驚愕の表情で固まっていた。工場長はこれ以上責めても仕方ないと思って「みんな、仕事に戻ってください」と命じてその場を離れた。

翌日からその従業員は出社しなくなった。激しく怒鳴りつけたから恐くて来られないんだろうと工場長は思った。工場長はアイウィルの十八ヵ月間経営者養成研修を卒業したばかりだった。以前は障害者従業員のミスや怠慢に寛大だった。全く注意しなかった。もちろん叱ったことはない。

四日目、工場長が家族に「事情を説明しなければ」と思っていた矢先、母親とそのまだ二十代の従業員が来社。

「辞めるのか聞いたら行くと言うので、連れてきました。ご迷惑でしょうが、もう一度使ってください」と母親が頭を下げる。

「人権躁躙〈じゅうりん〉だ、訴える」と言われるのを覚悟していた工場長は従業員を見た。頬を赤らめうつむいている。いい顔をしていると思った。

特別扱いしないで一人の人間として認めて真剣に叱ってくれたのが嬉しかったようだと母親。「これからも無責任なことをしたら厳しくお願いします。私が甘やかして育ててしまったもので…」と母親はまた頭を下げて帰って行った。

この話をして工場長は「国も社会も障害者の支援を十分にしている。それに甘えて努力しない、真剣に仕事をしない人がいる。差別するなと言いながら特別扱いを求めている。私は当人たちのためにもこれからも差別しないで接します」と私に語った。

おそらく㈱ヘイコーパックもこのクリーニング会社と同じように〝差別〟しない同じ土俵で働いているのだろう。

 

 

 

極端な平等思想も自然に反す

 

優生思想は自然の法則に反しているか。

自然は厳しい。種族をつないでいくために、強い子孫を残すことに動物は必死である。メスと交尾する権利を得るためにオス同士は血を流して戦う。勝ったオスだけが子を作る資格を得る。

弱いものは群れから遅れ捨てられる。動物は自分の子は命をかけて守るが、病気やケガの仲間には冷たい。群れの生存と活動の足手まといになるだけの存在だからである。

優生思想の反対は平等思想であり、現在民主主義の根幹となっているが、この考え方も自然の法則に反している。

人は千差万別、背の高い人低い人、重たい人軽い人、白い人黒い人、頭の回転のいい人悪い人、老人壮年子供赤ん坊、男性女性とそれぞれ違いがある。貧富の差、収入の差、歩く速度、走るスピード、勤勉な人怠け者とそれぞれ差がある。

この個人差を一切認めず、すべて平等であるというのが平等思想である。

男と女はすべての面で対等平等であるべしという発想から平成十一年(一九九九)「男女共同参画社会基本法」という法律が施行され、赤ん坊の名前が男か女か判らないらりるれろやいゆえよになり、男らしさ女らしさを否定し、結婚しない子を生まない〝男らしい〟生き方を女性に勧めるようになった。

行き過ぎた優生思想がドイツの安楽死政策「T4作戦」に至り、極端な平等思想が「男女共同参画社会基本法」を生んだ。

障害者の不妊手術訴訟、出生前診断による堕胎禁止、弱者優遇からの障害者雇用支援などはこれと同根の極端な平等思想である。

 

 

 

個人第一主義の価値観が元凶

 

不妊手術を「本人の意思を無視して強制的に」されたとして賠償金を請求する裁判がこれから増えるだろう。

現代は強制はハラスメント(いじめ)という犯罪とされ、個人が一番偉いから、不妊手術〝被害者〟の言い分は万人が是認する。

被害者は重度の知的障害者が多いから自分で訴訟はできない。弁護士や地域の役所の役人や市民団体が代行する。

優生保護法当時(平成八年まで)親などの親族と医師が相談決定実行して結果を役所に報告した。本来は手術が妥当かどうか審査して許可不許可を申し渡すことになっていた。その審査がおざなりに行われたこと、当時の被害者の記録と資料がほとんどないことが今度は問題になっている。記録がなければ被害者を捜し出すのに手間暇かかる。騒ぎがだんだん大きくなってきたので、役所は青くなって記録捜しに奔走している。

日本人の価値観がガラッと変わった。五十年前までは個人の意思よりも、国家や村などの地域、会社、家など集団の意思のほうが上にあった。個人がいやだと言っても国の法で定められたことには従わなければならなかった。従わなければ処罰された。会社の意思に従えなければ社員は会社を辞め、家(親)に従えなければ家を出るしかなかった。個人が所属する組織や家、親や先生などの大人の言うことを聞くのが常識だった。わがままは許されず、強制されるのは当たり前だった。

優生思想が自然の法則に反するか否かは別の問題とし、当時は優生保護法に反映された。その法律に従って親や医師が不妊手術の判断をした。親は知的障害を持つ我が子に泣く泣く不妊の決断をした。もし不妊手術を拒否する理解力、判断力のある人をだまして強制的に手術したのなら親と医師は責任を問われる。しかし大半は本人の意思を尊重する状況ではなく、強制的一方的に実行して何も問題なかった。

現在は個人第一の時代である。私の命、私の健康、自立、自主性、個性、個室…個人の権利が何よりも優先する。個人が被害を被れば会社を訴え、国を訴え謝罪させ賠償金を得る。

個人第一、個人優先の価値観が日本人の心の柱になった。ここから利己的個人主義、依存症人間、弱者保護、弱者優遇の枝がのびて葉を繁らせ大木となった。

「働き方改革法案」に対する反論を述べているうちに少し脱線したようだが、一本の木の違う枝の問題なので関連は深い。