アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 353」   染谷和巳

 

 

人生史の意義と目的

経営管理講座

 

人が残す財産のうちで最も価値あるものは「人生経験」である。どう育ち、どんな苦労をして成功したか失敗したか、何を学びどう考えたか、これを知ることは後世の貴重な知恵となる。偉人英雄でなくても誰にでも語っておきたい一冊の人生史がある。それを子孫に存分に残せた人は幸せだ。

 

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凄いドラマを見せてもらった

 

一通の手紙の全文である。

「ドラマは高木書房の斎藤社長から『アイウィルの酒井さんから出版の問い合わせがあった』という一報から始まりました。

平成二十九年八月中旬『高木書房さんにお願いする』との第二報。山田末廣様の一代記・自省録の制作を受けることが決まりました。

斎藤はさっそく名古屋に行き山田様にお会いし、完成日時も十月末と指定されたとのこと。

原稿を整理するのにどの程度手間がかかったか、今は概略しか覚えていないが『どんなことがあっても山田様にお届けする約束を守れ!』と激励しました。

十月二十八日斎藤からのメールの報告。『本が完成し、染谷先生、畠山専務、酒井さんが山田様が入院している病院へ行って渡した。ほとんど意識がなかったが、胸の前にしっかり手を組んで「ありがとう」と言ったという。そしてその翌日山田様は亡くなられました』。

私はすぐ斎藤に電話。『おい、信二! よかったな、出版社高木書房の最高の物語だぞ、ありがとう、ありがとう』と半分泣きながら感動の心を伝えました。

昨日出張から戻った私の机の上に立派な帙〈ちつ〉入り、布張り表紙金箔押しの本が置かれてありました。「自省録 土との闘い -杭打ち人生- 山田末廣」。この本を山田様は命のつきる前の日に手にされたんだなとその情景を想い浮かべながら読みました。漢の人生、経営、家族と山田様のすばらしい生き方と行動に感心し、共感し、感動しました。

今、読み終えて、さてこの感動を誰に伝え、お礼の気持ちを表せばいいのか迷いましたが、このドラマの発端を作ってくださった染谷先生に、まとまりのない手紙を書かせていただきました。ありがとうございます。

武心教育経営塾塾長 近藤 建

平成二十九年十一月二十八日

近藤氏の手紙だけでは解らないだろうから事の顛末を報告する。

会長から「会って話がしたい」と電話があったので約束した。

昨年の六月二十八日、午前十時に名古屋駅構内の銀の時計前で山田会長と待ち合わせた。

山田会長が創業した㈱中建サービスは杭打ち用の掘削機や発電機や円筒の太い鉄管などのレンタルを業としており、中部地区では大手に数えられている。アイウィルの研修に何十人も派遣してくれており、教育熱心。私や経営者養成研修セミナー講師の橋野昌幸が招かれて百名近い社員に講演をしたこともある。

会長は十時丁度に現れた。一年前に会った時は血色よく精気みなぎっていたが、どこかやつれていて元気がなかった。自宅から直接やってきたようでワイシャツのすそがズボンから少しはみ出ていた。

「昼食には少し早いのでどこかでお茶でものみましょう」と歩き出した。歩みは遅かった。八十二歳という歳のせいだけではない。病気ではないかと思った。

会社の現状、問題点、会長の自分と息子の社長との関係そして苦労してきた若い頃の話と会長は一方的に話をした。喫茶店で話し、カニ料理の食事をしながら話した。

話がつきた帰り際に、会長は「私の人生史を書いてくれませんか、染谷先生」と言った。これが今回の目的だったのだ。

経営者養成研修で研修生に課題として「人生史」を書かせている。私もかつて自分の人生史を書いた。しかし他人の人生史を書いたことはない。それを仕事にしている出版社があるのは知っている。おそらく山田会長も知っているだろう。にもかかわらず「あなたに書いてほしい」「退職金たくさんもらったからお金の心配はしないでいいですよ」。

二時間話を聞いた後なので断れなかった。その時ひらめいた。「わかりました。引き受けます。こうした仕事は私より専務の畠山のほうが得意ですから、畠山に担当させます。私は監修者になります。それでよければ」。山田会長は少し気落ちした表情になったが「お願いします」と答えた。

その後またひらめき、文章力のある酒井正子を助手につけることにした。

七月初め、二人は会長宅を訪れ、半日取材した。

八月末まで計七回、半日では足りず前日から名古屋へ行きホテルに泊まり、朝から夕方まで取材した。奥様も取材に応じてくれ、写真や資料集めに協力してくれた。

 

 

 

本を見て「ありがとう」と言った

 

取材したものを原稿にして渡すと俄然、会長の目の色が変わった。次回行くと原稿はまっかに加筆修正されていた。

さて編集制作をどこに頼むか。六月九日に銀座のホテルで高木書房五〇周年記念パーティが開かれた。高木書房の斎藤社長は、三〇年前近藤氏の部下だった。「東京で出版社をやってくれ」「はい、かしこまりました」。

斎藤は新潟の人で東京は慣れていない。編集も本作りもしたことがないズブの素人である。家族をおいて単身で東京に出、出版社勤めを始め、仕事を一から学んだ。社長になり三〇年間ほとんど一人で出版に取り組んだ。

正確スピード緻密、商売第二の誠実な精神態度がその表情に刻まれている。私は「ここにやってもらおう」と酒井に言った。これが近藤氏の手紙の冒頭につながる。

畠山、酒井の取材に合わせて斎藤社長も会長宅に挨拶に行った。会長は顔色が悪く入院を勧められているという。

取材と原稿チェックが済み後は斎藤社長の編集制作に委ねられた。九月中旬会長のガンは進行し入院。「日に日に悪くなって体が小さくなっています。口をきくのも大儀そう」と奥様。

編集校正の原稿のやり取りはむだなく正確でしかも感性豊か。畠山と酒井は斎藤の〝仕事〟に舌を巻いた。「斎藤社長は無理を聞いてくれます。これなら十月末に完成します」と酒井。

本は一週間早く完成。十月二十五日に見本を届けることにした。

実は前日の二十四日夕方に届けることができた。私は「会長は二十五日と聞いて待っている。約束どおり明日行きます」と言った。

二十五日午後一時、病院に行くと奥様と社長が「きのうから何を言っても返事もしません。寝ているのか意識がないのか。もう解らないと思いますよ」と言う。

「会長! 本、できましたよ!」

会長は薄く目を開け、それからカッと目を見開いて本と私を見た。ウンウンとうなずき、胸の前に手をしっかり組んで感謝の意を表し「ありがとう」と言った。奥様は驚いて「あら、喋った」とつぶやいた。

会長は手でふとんをずらして起き上がろうとした。力がなくてそれはできなかった。私は小さくなってしまった会長におおいかぶさり「よかったですね」と言いながら頬ずりした。酒井が目に涙を浮かべていた。

 

 

 

社員や子孫に読ませる教科書

 

中建サービスに本が届くと社長はさっそく社員一人一人に一冊ずつ手渡しし、東京などの拠点にはそのために出張して、やはり一人一人に「読んでください」と言って手渡した。

「社員はみなすぐ読んだようで、読みやすかった、面白かった、一気に読んだ、会社の歴史が解って勉強になった、会長の努力に感動したと感想を述べていました」と社長。「会社のためにいいものを残してくれました」と改めて喜んでくれた。

十一月三十日の名古屋のホテルでの「偲ぶ会」には四百名が参列。会長の「自省録 土との闘い」の文章や写真がそのままビデオや展示物に使われていた。

人生史は自分を客観的に眺めて、いろいろな人に教えられ助けられて今があることを知るために書く。まわりの人に感謝する心と社会に対して謙虚になる心、先人や祖先を敬う心を育む。よって自力で自筆で書くのがいい。

もうひとつ、子孫や後世のために自分の言動足跡を書き残すのが目的の人生史がある。経営者が後継者や社員に〝教科書〟として提供する。この場合、人が読むに堪える文章が決め手である。自分で書いてもいいがプロに手を入れてもらい〝作品〟に仕上げる。山田会長のように話したことを文にしてもらって後に確認するやり方もこれに入る。

アイウィルと高木書房は依頼があればまた受けるが、できた人生史を見て依頼者が喜ぶ顔を見たいがためであり、これを商品として第四の柱にするかどうか逡巡〈しゅんじゅん〉している。

「囲炉裏〈いろり〉のはたに縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る 居並ぶ子どもは眠さを忘れて 耳を傾けこぶしを握る」(小学唱歌「冬の夜」二番)