アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 364」   染谷和巳

 

 

正義清潔が絶対の社会

経営管理講座

 

犯罪ではなくても誰にでも人に言えない恥ずかしいことはある。汚ない、醜い、悪い一面がある。自然は美しいが決して清潔ではない。それを陰や悪や醜を一切認めず許さず正義(フェア)と清潔(ピュア)を求める。上っ面をきれいにすれば中身もきれいになるという教条が威力を振るっている。

 

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使用禁止用語と差別撤廃運動

 

「野性の証明」という映画をBSテレビで観ていたら音声が途切れた。「あれ?」と思っているとすぐ戻った。前後のつながりから「きちがい」という言葉を消したのだと判った。

四十年前の映画のせりふをチェックして〝使ってはいけない言葉〟を消している。そうしないと上から文句を言われる、いや文句では済まない、会社が裁判所に呼ばれて処罰されるかもしれないからである。

新聞やテレビは〝使用禁止用語〟を選び出して自主規制している。

テレビのバラエティ番組でタレントのヒロミが、妻の元アイドルの松本伊代が家事をほとんどしないと話していた。

今日は早く帰ると言うと妻が「じゃ夕飯作っておくね」と言う。ここまではよい。家に戻るとテーブルにのびて固くなったそばが置いてある。朝、自分が出掛ける前にゆでてそのまま置いたのだ。ヒロミは「うちのはプロだから」と笑って言う。ヒロミは片付けや食器洗いは好きだから率先してしていると言う。そして「させると遅いし逆によごしてしまう。何といってもうちのはプロなんで」。

短い話の中で「プロ」が三回出てきた。

ばか、あほうは好ましくない言葉で、出演者はこうした言葉を使ってはならない。〝自粛してください〟ということなのだろう。そこでヒロミは代わりに「プロ」と言った。頭のいい人だと思った。

荒田はさっそくまねて家で「プロだねえ」「プロにつける薬はない」とプロを連発している。女房は怒ることなく、まんざらでもない顔をしている。

言葉狩りはアメリカに習って五十年前から日本でも熱心に行われるようになった。

めくら、つんぼ、おし、せむし、びっこは使用禁止。浮浪者、乞食はホームレス、看護婦は看護師、スチュワーデスは客室乗務員、保母は保育士になった。

アメリカに倣ってと言ったが、アメリカ大陸に乗り込んだ白人は原住民を大量に虐殺してその土地を奪い、メキシコに戦争を仕掛けて領土を奪い、ハワイを占領併合し、カリブ海や南洋の島島を略奪すると〝安定期〟を迎えた。

それ以後『自己正当化』に情熱を燃やし、自由と平等の民主主義を標榜してその盟主となった。

言葉狩りではたとえば黒人をニグロではなくアフリカン・アメリカン(アフリカ系のアメリカ人)原住民インディアンはネイティブアメリカンと呼んで人種平等の先駆者となった。

また女性差別になるからとビジネスマンをビジネスパーソン、カメラマンをフォトグラファーと表現し、「マン」のつく言葉を一掃した。

さらに人種差別の撤廃運動を法制化し、会社や学校はその地域に住む黒人、ヒスパニック(スペイン、ポルトガルの植民地だった中南米諸国からの移民)、アジア人そして白人の比率に応じて労働者や学生を受け入れなければならなくなった。この比率を守らない会社は処罰された。

また「年齢や性別、障害の有無を理由に採用不採用を決めてはならない」が徹底し、不採用、不合格になった労働者や学生の訴訟が増加し、大抵の場合訴えた側が勝ち、会社や学校は罰金を払いなおかつ不適格な人を受け入れなくてはならなくなった。

本来の会社の生産性や学校の教育レベルの向上といった大義より、差別のない平等と弱者の人権尊重という旗の方が上に立ち権力を振るう国になった。

日本もアメリカに追従して差別撤廃運動に精を出し、差別語使用禁止だけでなく法律によって男女平等、障害者雇用の促進を社会に浸透させ、現在は労働時間の削減、パワハラの禁止、親の子に対するしつけのための暴力の禁止と親分アメリカも顔負けの〝前進〟を続けている。

 

 

正義と清潔の建前社会が成立

 

産経新聞の論説委員 阿比留瑠比〈あびるるい〉が、「ポリティカル・コレクトネスで日本が滅びる」と言っている。

ポリティカル・コレクトネス(以下省略してポリコレ)は政治的妥当性と訳されているがこれでは意味が解らない。解る日本語にすると「差別偏見のない言葉を使う運動から出発し、すべての差別をなくす国家的規模の活動」である。端的に言えば「法律による弱者優遇」である。

阿比留の先輩の元産経新聞記者 高山正之がこう言っている。

「新聞が建前に走り始めたのは一九五八年、昭和三十三年の売春防止法の適用からだね??市川房枝だとか女性運動家といった人々も出て、女に春をひさがせるなど許せないと建前を前面に出して、売春防止法を成立させた。あそこから本音が引っ込んで建前ばかりが表に出てくるようになった。弱者救済とかね」(「マスメディアの罪と罰」㈱ワニブックスより)。

高山の言う「建前」がポリコレである。

アメリカの価値観はフェア(正義)とピュア(清潔)に尽きる。何事もこの物差しではかる。

人種差別撤廃に反対する人はいない。建前としては。それが正義だから。しかし白人の黒人蔑視と差別は厳然と続いている。

建前に正面切って反対する人はいない。なぜなら建前はフェアでピュアだから。反対すればフェアでない人、ピュアでない人と見倣され、社会からつまはじきされ除け者にされるからである。

売春防止法は国会で賛成多数で可決成立した。賛成した議員の中には内心「こんな悪法は成立させないほうがいい」と思いながら正義の建前に逆らえず起立した人が少なくなかったはずである。

高山の指摘どおり、以来差別反対と弱者優遇の法律が山のように生産された。

本音では「何もそこまでしなくても」と思いながら正義の刃で切られるのが恐ろしくて「いいね」と答えてしまう。

以前「忌諱〈きき〉多くして民貧す」という老子の言葉を借りて法律や規制が多くなればなるほど、社会は正義と清潔の建前が跋扈〈ばっこ〉して住みにくくなると書いたが、まさに今の日本はポリコレの建前社会になってしまった。

子供に対する親の暴力が一切禁止になる。

荒田は将棋を指している最中、小学生の長男がテレビに気を取られてよそ見をしたのでゲンコを見舞った。高校生の次男とパチンコ屋で出逢ったのでその場でビンタを張った。女子は叩かなかったが、娘が小さい時、バスの中で「座りたいよお」と母親にせがんだので頭をコツンと叩いた。荒田のこうした行為はこれからは許されない。悪い親と非難される。

 

 

価値あるものを皆捨てる民族

 

マッカーサーは「日本人は中学生並み」と評したが、人間の練度つまり人間性と社会性においてはアメリカ人のほうが子供っぽい。

正義清潔が大事でないとは言わないが、これよりもっと価値のあるものがある。日本人ははるかに洗練された尊い価値観を身につけていた。それは貴賤貧富に関わらず共通の常識あるいは社会通念として誰もが持っていた。

義理 人情 恩 恥 恕である。

「義理がすたれりゃ、この世は闇だ」と流行歌にあるが、正義を貫くことがもし義理を欠くことになれば、正義を捨てて義理を通した。

「情けは人のためならず」と言って、思いやりとやさしい心を高く評価した。計算ずくで人に尽くすのではなく、心から相手のために力を貸せばそれは必ず自分に戻ってくることを知っていて他人に親切にした。

「恩を仇〈あだ〉で返す」人は人でなしと言われた。恩を受けたら感謝し恩返しの機会があったら必ず返す。日本の昔話には恩返しの話が多い。

「恥を知る」のが大人で、恥知らずな言動をする人は一人前に見られなかった。

「恕の精神」は思いやりの心で相手の過ちを許す。自分も同じことをする。〝お互い様〟の寛大な心を持つ。

「清濁併せ呑む」度量の大きい人が立派な人で、濁を許さない正義派は偏屈な未熟者とされた。これがかつての日本人の価値観。

今の日本人はこれを捨ててアメリカ流の正義清潔を上等の価値観と信じている。信じて自らを不幸にする法律や規制作りに精を出している。ゴムがのび切ってパチンと切れるまで気付かない。切れて痛みが身にしみるまで…。

働き方改革法、改正入国管理法、道徳や英語を小学校の授業に入れる教育改革など、こうした法律は役人の仕事を増やし役所の予算を増やし役人の数をさらに増やすメリットがあるが、デメリットはその十倍はある。