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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 305」  畠山裕介

 

恩義と正義に生きた三成

 

-ナンバー2(32)-

 

日本史上最大の内戦といえば、関ヶ原の役に尽きよう。名のある戦国武将たちが、東と西に分かれて天下を競った。

東軍は徳川家康を総大将とする約七万の軍勢。西軍の軍勢は八?十万人。ボスは毛利輝元だが、これはお飾り。実質上のボスは石田三成。

三成は亡き秀吉恩顧の小大名にすぎない。領国も二〇万石弱。

三成は豊臣家を守るために、計算度外視でナンバー2の立場を選んだ。

秀吉は死の床で家康、前田利家らの重鎮に遺言する。「秀頼のこと、どうかお頼み申す…」。見苦しいほど、何度も懇願した。そして家康以下全員がそれを了承した。秀頼を輔けて豊臣政権を存続させるという誓いである。

家康はその約束を破った。豊臣家に弓を引いた。豊臣恩顧の武将たちをつぎつぎと籠絡(ろうらく)した。

三成は、それが許せなかった。約束が違う。亡き太閤殿下に対する裏切りではないか。わしは絶対に許さぬぞ。これが三成の義であった。

三成は幼時から賢かった。秀吉は三成の才能を愛し、とくに目をかけた。

軍事は得意ではなかったが、計算に明るかった。企画力に秀でていた。豊臣軍の兵站は、ほとんど三成の頭脳が取り仕切った。

余談だが、兵站とは物資輸送のことである。戦争するには人、兵器が要る。軍需品や食糧が要る。戦争とは、最終的には兵站の優劣で勝敗が決まる。

旧日本軍は兵站を無視して、大東亜戦争に突入せざるを得なかった。初めから負けいくさだった。

三成は太閤秀吉の意思の忠実な代弁者であった。自分の利害は捨て去って、太閤を立てること一筋に生きた。

当然だが、敵も多く作る。たとえば秀吉子飼いの加藤清正、福島正則、黒田長政らは本来は仲間である三成を蛇蝎(だかつ)の如く憎んだ。三成が秀吉のために汚れ役を引き受けていたためだ。清正、正則らは、それを知らない。

戦いが始まった。清正、正則ら秀吉子飼いの大名たちは、ほとんど家康麾下(きか)に寝返った。

戦いは、わずか半日であっけなく終わった。三成は負けた。京の町を引き回された。

喉が乾いた。「水をくれぬか」と警護の者に頼んだ。「水はない。干し柿でも食らえ」と言われた。「柿は啖の毒だ」と答えた。「これから死ぬ奴が、啖の毒も何もないだろう」と笑われた。

「燕雀(えんじゃく)焉(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」

三成は金も利も名も命も求めず、亡主秀吉への恩義を貫いた。志の高さはナンバー2の鑑である。