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人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 300」  畠山裕介

 

空飛ぶセールスマン

 

-ナンバー2(27)-

 

世界のホンダは、本田宗一郎と藤沢武夫のコンビが作った。世界のソニーは、井深大〈いぶかまさる〉と盛田昭夫のコンビが作った。この両社はみごとに相似形である。

井深は盛田より十二歳年長で社長を務めた。盛田が副社長。だがソニーの歴史は、二人を共同創業者と位置づける。

井深は技術屋で、日本測定器という会社でモノ作りに没頭していた。そこへ海軍中尉の盛田が乗り込み、井深の研究を手伝った。

終戦後、二人は東京通信工業という名の会社を興す。ソニーの前身である。

物事に執着する頑固な技術屋の井深。商家の出でしゃれ者の盛田。この組み合わせは絶妙で、社業は大きく膨らんで行く。

井深は創業時、社是を決めた。

一、人のやらないことをやる。

一、他より一歩先んじる。

一、最高の技術を発揮する。

一、世界を相手とする。

これが後年、有名な『ソニースピリット』となる。

テープレコーダーから始まり、トランジスタ・ラジオ、そして世界を席捲したウォークマン。ソニーはまたたく間に〝もの作り日本〟の代表選手に成長した。

世界市場を開拓したのが盛田。世界中にソニーを売り歩く盛田を、マスコミは『空飛ぶセールスマン』と呼んだ。

ある時、盛田の妻が何かの拍子に軽く井深の悪口を言った。盛田はいきなり立ち上がり、奥さんの頬を張り飛ばした。「井深さんのことをそんなふうに言うなって、すごい剣幕でしたよ。盛田に叩かれたのは、後にも先にもその時だけでした」とは奥さんの弁。

後年、井深は文化勲章を受けた。井深は病気で言葉も少し不自由だった。「私が介添えする。私は井深さんの言うことがわかるんだ」と盛田が会見に同席した。

記者とのやりとりの中で、井深がたどたどしい口調で何かをつぶやいた。その場にいたほとんどの人は、井深の言葉を理解できなかった。

盛田ははっきり理解していた。そして両の目を真っ赤にしていた。井深の台詞はこうだった。

「自分は製品の開発など、好きなことだけやってきた。嫌なこと、大変なことは、みんな盛田さんが引き受けてくれた」

古代中国の名著『史記』(司馬遷)・刺客列伝に「士は己を知る者の為に死す」とある。男子たるもの、自分の価値をわかってくれる人のためには命をも投げ出すという心意気を謳った格言である。

この人の恩義に報いる。このトップを男にする。そのためには自分は泥を啜ることも辞さない。

これを理解できない人は〝支える喜び〟を一生知らないままで過ごす。男の矜持を持てぬまま死ぬ。