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コラム『講師控え室』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

2022年8月号「講師控え室 158

 

父親が八十八歳になった。母親は八十一歳になる。この年齢までよく生きてくれている。

二人とも介護施設に世話になることもなく、実家で過ごしている。私の兄夫婦と子どもが二階に住む二世帯住宅だが、特に面倒な世話をかけることもなく元気である。

このことがとんでもなくめずらしいという実感がわかない。周りの同世代の話を聞いていると、親のどちらかが既に亡くなっているとか、施設に世話になっているなどがどちらかといえば当たり前である。

私の両親は子ども孝行である。いくつになっても子どもたちに心配をかけずにピンピンしている。有り難いことである。

先日、母親が電話でこう言った。「幸せだよ。お父さんは八十八歳になったけど、その歳まであんたと普通に話ができるんだからさ。わたしなんかは若いうちに父親が亡くなったから、親孝行なんかしたくてもできなかったよ」

はじめは「ん?一体誰の幸せの話をしているんだ」と思った。しかしすぐに気づいた。父親、母親、そして私が幸せ者だということ。誰か一人の話ではなく、皆が幸せであるということ。

この幸せがとんでもない幸せだと実感できるほど、私は人間として成熟していない。

いつかは親がなくなる。今年私は五十二歳になるにもかかわらず、そんなことは考えたくもない。しかしその時が来て不幸を覚えるなんてことは、親不孝に違いない。

私は、八十八歳、いや八十一歳まで生きることができるだろうか。大病を患い、親よりも早く逝ってしまうような親不孝者にはならないだろうか。そんなことを考えていたら、健康である我が身の有り難みが染みてきた。いや、健康な人間として生み育ててくれた親に感謝の念がわいてきた。

米寿の祝いで子ども二人を両親に会わせた。無類の孫好きの二人は嬉しくて仕方ないというほど喜んだ。

コロナで足が遠のいたとはいえ、半年に二・三回は会いに行っている。かわいいだけの小さな頃ならいざ知らず、子どもたちは既に二十二歳と二十歳の大人である。それでも孫のかわいさは昔と変わらず、いやそれ以上に目に入れても痛くないほどかわいがってくれる。

今のこの幸せが、いつまでも続くわけはないことはわかっている。それでもこの当たり前では決してない幸せに感謝をし、噛み締めて生きていく。

親孝行が子ども孝行から生まれるものだと、五十歳を越えて知った。自分の子どもに言葉だけでなく健康に生きることで継いでいく。
浜中孝之