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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 368」   染谷和巳

 

 

仁に過ぎれば弱くなる

経営管理講座

 

弱い人が「私をもっと大事にしろ」「みんなで力を合わせて私を助けるのが君たちの義務だ」と大きい声で言い、誰もが「そうだ」と賛同する世の中になった。本当は心が冷たい自己中心の若い経営者が仁〈じん〉(思いやり)の仮面を被ってダメ社員が喜ぶやさしい生ぬるい経営を行う時代になった。

 

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社長は弱者優遇の改革をした

 

創業社長には〝異色〟の人が多い。異色といえば聞こえがいいが、はっきり言えば変わり者、偏屈、頑固一徹のわがままな人である。

起業前からこうした兆候はあったのだろうが、社長を長くするうちにこれが露骨になり、社員は辟易〈へきえき〉し、中には「こんな社長にはついていけない」と辞める人もいる。

しかしその強い意志と旺盛な行動力で会社をその地方、その業界で知らない人がいない規模にまで成長させた。

その一人、Y社長は六十歳の時に頭の病気が見つかり「もしかするともうダメかもしれない」と思い、十年後にバトンタッチを予定していた三十歳の息子に急に社長を譲り、自分は会長になった。

二代目は修業のため大手に四年近く勤めて二十六歳の時父親の会社に入り、社長になるまで営業課長をしていた。

部下は三十代四十代のベテランばかりだったが、課長がやさしくておとなしいので反発する人はいなかった。というより、皆課長より社長のほうを見ており、課長は影が薄い存在だった。

その課長がいきなり社長になった。社員は「何もできないだろう」と思っていたが、二代目社長は新しい方針を次次打ち出した。

会社は労働時間の長いブラック企業としても有名だった。始業一時間前出社は当たり前で二時間前、三時間前出社の社員もいた。夜は七時八時は当たり前、十時十一時まで仕事をしている人もいる。研究開発や設計部員だけでなく営業部員も夜遅くまで残っていた。

町工場の頃からY社長は一番出社、一番遅くまで仕事をするを貫いてきたので、長時間労働が〝社風〟になっていた。

二代目はまず新鋭機械の導入で製造部の労働時間を短縮。つぎにパソコンの電源を切って朝八時から夜六時までしか使用できなくした。大半がパソコンに向かって仕事をしていたが、それができなくなった。最後に始業八時半の三十分前以前の出社を禁じ、夜六時以降の在社を禁ずる告示をした。

初め、仕事に没頭すると徹夜も辞さない研究開発部員が強く反発した。しかし社会には〝働き方改革〟の風が吹いており、こうした仕事人間も会社の方針に徐徐に従っていった。

Y社長は人の好き嫌いが激しかった。高成績を上げる社員、労を惜しまずに働く社員が好きで、その反対の社員を嫌った。その好き嫌いは昇級賞与などに露骨に反映された。課長になり給与賞与を同期でまだ平社員の三倍もらっている人がいる。年齢や在社年数よりも能力実績、忠誠心を重視したので、二十代の課長や女性の部長が何人もいた。

二代目は格差縮小と平均化に取り組んだ。それは賞与の査定にすぐに実行された。

たとえばY社長の時はトップの営業マンは三百万円、平均以下の人は三十万円だった。それを二代目はトップ百五十万円、平均以下を百万円にした。二代目は言う。

「社員みんなが気持ちよく働ける会社にする。強い人が大きい顔をして弱い人が萎縮して暗い顔をしている。強い人の多くは思いやりややさしい心が欠けている。自分さえよければの利己主義者になっている。成績があまりよくない社員を冷遇すれば非人間的なとげとげしい会社になる。今までこうした傾向があったと思う。下のほうの人を優遇すれば、会社の期待にこたえようと努力もするし真剣にもなる。全体の成績は前より上がります。見ていてください」

病が癒えて元気になったY社長は二代目の言を苦苦しい顔で聞いた。

二代目は自己啓発の厳しい外部研修を中止した。Y社長がその研修の考え方やり方を気に入って二十年近く前から社員を派遣していた。管理者から新入社員までほぼ全員が研修を受け、中級、上級にも出している。二代目も入社してすぐこの研修を受けた。

号令と命令調の強制が肌に合わなかった。試験で追い込んで合格すると感激し、仲間と喜び合うオーバーなやり方も気に入らない。

確かに読んだり書いたりは自己啓発になったが、朝六時から夜九時までの合宿などしなくても自己啓発はできると思った。

Y社長はこの改革になぜか文句を言わなかった…。

 

 

戦意も戦力も不要という会社

 

「大道廃〈すた〉れて仁義あり」は老子の言葉。

大道とは老子が頂上に置く理想境であり、天道、宇宙、自然、無などといった違う言葉でも随所に使われている。

この人間の社会の最高の状態が崩れてなくなってしまったから、人は代わりに仁義(思いやりと義理人情)を大事にして社会をうまく治めようとしたのだと言う。

仁義は儒教が最高の徳目としたもので孔子は家族の和や上に対する忠誠心、弱い者に対する思いやり、他人に対する礼節を重んずることが聖人君子のあり方であると説いた。

江戸時代にはこの儒教が国家の思想として根を張り、また日本的経営の柱といわれる石田梅岩の〝勤勉倹約〟の石門心学もこの儒教の影響を強く受けている。

こうした流れに逆らうように仙台藩の伊達政宗は「仁に過ぎれば弱くなる」と言い、儒教の徳目を批判した。

話は横道にそれるが伊達政宗が遺した「五常訓」は、

仁に過ぎれば弱くなる

義に過ぎれば固くなる

礼に過ぎれば諂いとなる

智に過ぎれば嘘をつく

信に過ぎれば損をする

で、孔子の「仁義礼智信」に懐疑的である。これに対し老子の言葉は

大道廃れて仁義あり

智恵出でて大偽あり

六親和せずして孝慈あり

国家昏乱して忠臣あり

である。政宗の遺訓は老子に似ている。仁義礼智信なんて絶対のものではないんだぞと孔子の教えをありがたがる人に警告している。

戦いに明け暮れる戦国武将の言である。敵に情けをかけて一族郎党殲滅〈せんめつ〉することなく許したために後に勢いを回復した敵に滅ぼされた例をいやというほど見ている。部下に甘くなれば気が緩み、厳しい命令に従わなくなる、指導者が自分の意思を貫けなくなる。戦いに負ける…。

会社は戦う組織である。勤勉と倹約の日本的経営を行う経営者は孔子よりも伊達政宗の教えを行動の規範にするほうが成功の率は高いし失敗の率は低いのではないだろうか。

いじめ、虐待が社会問題になり、パワハラや残業時間がチェックされ、過労死、過労自殺がニュースになり、〝被害者〟は以前より楽に損害賠償や補助金を手にすることができるようになった。

「弱者優遇」が国家の重要政策になった。これに従って会社も、有給休暇を無理にでもとらせる、育休(育児休暇)を男性に勧める、早朝出社、夜間居残りの禁止、障害者の率先採用と〝働き方改革〟を進め、ついには上司に「部下を厳しく指導してはならない」という通達を出す会社も出てきた。

社会は人間の幸福を「楽しい」に限定し、「楽しんでますか」と聞き「楽しいかどうか」で幸福度を計るまでになった。何人もの手をわずらわせて海外観光旅行に行く車椅子の人に、手助けした人々は「人並みに楽しむことができてよかった」とやさしいほほえみを送る。

政宗は「思いやりは戦意を喪失させ強い人を弱くする」と言ったが、現代の私たちは弱い人を保護優遇するあまり、自分が「戦えば必ず負ける」弱い人になってしまっていることに気付いていない。

 

 

働かない社員が威張る会社に

 

ある創業社長は「私くらいみんなの意見をよく聞いて権限委譲している社長はいない」と言った。幹部の意見に耳を傾けたこともないワンマン社長が、である。

Y社長もこの社長に似てわがままだった。社員はおとなしいイエスマンにならざるを得なかった。

二代目は自分だけでなく社員みなが同様に思っていることを知って〝改革〟を行った。「仁の経営」に舵を切った。

Y会長になってからは「任せた以上は」と口出しを控えた。我慢できず意見しても息子は親に似て頑固でそのうえ弁が立ち、会長のほうが引き下がるのが常だった。

三年経ち会社は変わった。以前とは別の会社になった。ぬるま湯のだらけた空気、社長や上司に友だち口調で「それはいやだ」「こうしてくれ」と要求する部下。優秀な売り上げを上げていた営業マンは力の出し惜しみをし、平均以下の営業マンの成績はさらに下がった。

労働基準監督署は「いい会社だ」と折紙をつけたが、取引先やお客様は「ミスが多い信用できない会社」と警戒するようになった。