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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 374」   染谷和巳

 

 

薄れる会社の家族意識

経営管理講座

 

今回は労働局作成のビラをそっくり紹介した。これを見て同じように驚く人が多いのではないかと思ったからである。応募者を家族の一員として迎えようとして家庭のことや読書傾向、尊敬する人を聞いたら「そんなの関係ないでしょ。必要ないでしょ」と拒絶されて悩んでいる人も多いだろう。

 

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面接で聞いてはならないこと

事務所の掲示板に「STOP!違反質問!」の貼り紙。聞けば「ハローワークの窓口で、これお願いしますと渡されたんです」と女性社員が言う。

採用に携わる社長や人事の担当者は熟知のことだろうが、長らく採用面接から離れている者には新鮮でありかつオドロキだった。

タイトルの下に

「家族構成は?(兄弟は?)、お父さんの仕事は何ですか?、お母さんは働いていますか?、出身地はどこですか?、尊敬する人は誰ですか?、どんな本を読んでいますか?──どうしてそんなこと聞くの?──応募者の適性・能力に関係のない質問は違反です」とある。

その下に都内高校生(平成三十年三月卒業)の採用面接における不適正質問の円グラフがあり、都内高校から通報があった不適正質問の%がそれぞれ「家族構成三八・五%」「家族の職業一九・六%」と表示されている。

「違反質問をしない『公正な採用選考システムの確立』をお願いいたします」と締めくくっている。

驚いたと言うと荒田は「え、これはもう常識ですよ」と笑った。

三十年前の平成の初め頃、荒田は研修講師をしていた。研修生の十八歳の女性社員数名と食堂で昼食をとっていた。

この子の親は自分より若いんだろうなと感慨深かった。

隣の子に「田中さん、お父さんはいくつ?」と聞いた。田中は「えっ」と言って固まった。「年齢ですよ」と追うと「そんなこと、関係ないでしょ」と冷たく言い放った。

会話は途切れた。気まずい空気。田中は仲間と話したが荒田を無視した。

荒田は後に知った。就職する人は学校で「家族のことなど聞かれたら答えなくていい」と教えられている。面接時でなくてもプライバシーに関しては答える必要がないことを学んでいる。年齢を聞いた荒田が間違いで田中は正しいのである。

「三十年以上前から応募者の家族について知りたかったら興信所に頼んで調べてもらうしかなかった。平成十五年(二〇〇五)に個人情報保護法が施行されてから違反質問は、重い場合六ヵ月以下の懲役または三〇万円以下の罰金が科せられることになり一層徹底されたんです」としたり顔の荒田。

貼り紙の裏面には「就職差別につながるおそれがある14事項」があり表面の詳細が記されている。

 

●本人に責任のない事項

①本籍、出生地に関すること

②家族に関すること

 (職業・続柄・健康・病歴・地位・学歴・収入・資産など)

③住宅状況に関すること

 (間取り・部屋数・住宅の種類・近隣の施設など)

④生活環境・家庭環境などに関すること

 

●本来自由であるべき事項

⑤宗教に関すること

⑥支持政党に関すること

⑦人生観・生活信条などに関すること

⑧尊敬する人物に関すること

⑨思想に関すること

⑩労働組合(加入状況や活動歴など)、

 学生運動などの社会運動に関すること

⑪購読新聞・雑誌・愛読書などに関すること

 

●採用選考に関わる事項

⑫身元調査などの実施

⑬全国高等学校統一応募用紙・

 JIS規格の履歴書に基づかない応募書類(社用紙)の使用

⑭合理的・客観的に必要性が認められない健康診断の実施

 

末尾に「お問い合わせはハローワークと東京都労働局へ」とあった。

「面接は何のためにするんだ」と聞くと、荒田は、

「応募者にどういう会社かよく理解してもらうためと、応募者が会社が欲しい人か、適した人かを見極めるためです」

「こんなに聞いていけないことがあればどういう人か解らないじゃないか」

「そうですね、顔を見て判断するしかない。⑫身元調査の実施も禁止されているので、知りたければ内緒で秘密探偵社に調べてもらうことになる」と荒田。

「違反質問」など意に介せず、聞きたいことをすべて面接で質問している会社もある。質問に答えない人はお引きとりいただいている。替わりに「会社について聞きたいことがあるなら何でも聞いてください」と面接をお互いをよく知る場にしている。

学校のアンケート用紙に「こんなことを聞かれた」と答える学生がいるので、この会社は労働局から指導を受けているが、今も〝違法面接〟を続けている。

 

会社を敵視する考えを改めよ

本来、日本の会社は搾取する資本家と弱い立場の労働者という構図はなかった。両者をはっきり敵対する関係にしたのはアメリカである。戦争に勝って占領した日本に〝労働三法〟を作らせ、その法を行う労働省という役所を設け、労働者の地位向上や権利の庇護を行わせた。デモ、ストライキが法の下に奨励されることになり、激しい争議が全国で行われた。戦前も労働争議はあったが、当時は法の楯がないため労働者は暴徒として警察や軍隊に粛清された。

日本の会社は〝家〟から発生している。親兄弟や近親が集まって家業に精を出す。人手が足りなくなって近所の他人を入れる。家族の一員として遇される。

会社は社員とその家族の幸福を最優先事項に掲げる。決められた給料を決められた日にきちんと支払うのが会社の最低の義務。これが行われないと社員の生活が破綻する。これが行われないと社員は会社に忠誠を尽くせないし、仕事に身が入らない。

会社は社員を終身雇用し、社員は家を永続させるために、次の時代を背負う若い人を教育する。会社はまさに「生きかはり死にかはりして打つ田」であり、社員にとって有難いものでこそあれ、決して敵や悪者ではない。

この日本的美点を労働省は軽視し、会社に向けて〝労働者の権利〟を声高に求めた。その声に押されていつしか社員も「私の自由、私のプライバシーを尊重しろ」と主張するようになった。

こうして時は流れ、件の「STOP!違反質問!」の紙が会社の中に貼られるようになった。

会社は新しい人、これからずっと苦楽を共にする家族の一員を迎えるにあたり、その人の生まれ育ちすなわち家族構成や家庭環境、両親がどんな人かを知る必要がある。誰を尊敬しているのか、どんな本を読んできたか、感銘を受けた作品は何かを聞かなければならない。

会社には伝統と文化があり、理念信条がある。それに共鳴する人か、反発する人か見極めなければならない。これから何十年も一緒に仕事をしていく仲間なのである。

面接で質問し質問を受けてお互いを知り、お互いが合否の判断をする。応募者も会社の人がどんな人かを知って仲間になるかどうかを決める。

この面接で応募者は何を聞いてもいいが、会社はこれこれは聞いてはならないという。これこそ労働局の常套句の〝就職差別〟ではないか。

 

家族的経営を貫く会社であれ
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今は就職する側が会社を選べる状況にある。中小企業は時に募集しても人が採用できないことに苦しんでいる。また今いる社員に辞められては困るので気をもんでいる。令和四年には「パワハラ防止法」が施行され、経営者の気持ちは一層重苦しくなる。

ここで会社は安易に膝を屈してはならない。家族の一員である社員の幸福のために、仕事ができる人に育てあげ、歴史と世界を広い視野で見ることができる立派な社会人に仕立て上げる。こうした社員の揃った会社だけが社会の支持信頼を獲得し続けられるからである。

社員の「何でも自由」や「仕事より私生活」という風潮に一緒に流されてはいけない。「幸福な人生」を怠けて遊んで暮らす人は決して手に入れることができない。

今も自宅の二階にこもっている百万人のニート族を見よ。会社や社会に心を傷つけられたとはいえ、耐えきれずに他人だけでなく家族との交わりまで絶った人ではないか。成長が止まった幼い頭でわがままにふるまい、親を心配させ手を焼かせている反会社、反社会の半人前の問題児ではないか。

自分の家族をこんなみじめな人生を送る人にしてはいけない。

弱者優遇の時代は続くし今後まだ顕著になる。その弊害が随所に現れ、このままではいかんと反省の声が出始め、何とかしなければと有意の人々が腰を上げるのはいつのことか。十年後か五十年後か。それまで会社と経営者は〝家族的経営〟を貫かなくてはならない。

 

 

 

日本の会社は感情を重視する

 

包容力は人間としての器が大きくなければ発揮できない。

前にも述べたが器などというものが会社の経営や上司の部下指導に求められるのは日本の中小企業だけで、アメリカの大企業は上司も部下も契約とそれに基づくルールに従えば、人間性などはそれほど問題にされない。

もちろん人間だから感情はある。上司は好きな人を優遇し、嫌いな人は遠避ける。アメリカの会社で出世したければ(冷や飯を食わせられたくなければ)上司に〝ゴマをする〟ゴマスリ能力が不可欠と言われている。

ゴマスリは日本では実力のない人が保身のためにするものであるが、アメリカではどんなに能力があり仕事ができても、上司にうまくゴマがすれない人は出世できない。

上司の部下評価は絶対で、低く評価されれば出世の道は閉ざされる。高く評価されれば上司の後継者になれる。ここでは上司が部下に思いやりを示したり遠慮をしたりする包容力の出番はない。器は小さくても、変形していても上司は務まる。

それと比べると日本の会社は人間の感情の部分がすべての人に大きい意味を持っている。器だとか包容力とか経営や仕事と無関係のものが重視されている。

創業社長は食わねばならぬ、金持ちになりたい欲望から会社を興した。成功したい、会社を大きくしたい、社会に認められる会社にしたいと欲望は大きくなるが、欲望が活力の源である点はまだ創業期と変わりない。

この欲望と人間としての器や包容力はつながっていない。社長が経営よりも人間性の修行に力を入れたら業績悪化を招きかねない。

かといって社長が金の亡者で、社員を大事にしないなら優秀な社員は育たないし残らない。会社は「社会貢献」と「社員の幸福」を謳うことによって一人前と認められる。この時期から器や包容力といった人間的なものが経営に参加するようになる。

仕事に対する社員の意欲を高める、社員の献身を引き出す忠誠心と団結を強くする、そのため上司は部下に思いやりを示し、部下に寛大な処遇をする。こうした日本的経営を軽視すると会社は生き残れない。

人間として器が大きいこと、これが指導者の条件である。危機が訪れたときに「今こそあなたについて行きます」と喜んでついてきてくれる部下がいる上司、部下が信頼する上司、部下が慕い寄ってくる上司は器が大きい。

 

 

 

他を容れる空間作りは難しい

 

器が大きいとは〝ゆとり〟があるということ。器が小さいとは自分以外入らないこと。そのゆとり部分に他人を容れる。これが包容力である。

人は誰も欲望のかたまり。大事なのは自分、自分の命、健康、自分の家族、自分のお金、自分の物、自分の考え、信念、思想、自分自分自分である。つねに自分を主張し自分を攻撃する相手から身を守る。器の小さい人はこれで精一杯。毎日自分の欲望を満たすため、自分を守るために全時間と労力を使い果たしている。

器の大きい人は自分中心の器の上のほうにほんの少し無私の部分、他を容れる空間がある。その人と少しつき合えばそれが解る。それを言葉では「器が大きい」「包容力がある」あるいは「人間的魅力がある」「人望がある」「徳がある」と表現する。

器の上のほうに他を受け容れる空間を作るには、自分の欲望を消しゴムで少し消し去るしかない。無欲、無私の部分、無心の心を作ればそこに他(異質のもの)がすんなり入ってくる。

これが器の大きい包容力のある上司になる具体的方法である。

この説明を聞いて荒田は苦笑した。「そんなの屁理屈です。理屈は筋が通っていますが心に少し空間を作るのはそう簡単なことではないでしょ。誰でも努力すればすぐ器の大きい人になれると言いますが信じられません」。

生まれ、家庭での育てられ方、受けてきた教育、読書、教師や友人の影響、社会人になってからの社長や上司やお客様の影響、こうした諸諸の力が働いて人間は成長する。少ししか成長しない人と大きく成長する人がいる。この大きく成長した人がゆとりのある器の大きい人ではないか。

経営者の中には「自分が絶対」で人の意見を聞かない人が少なくない。人の話をよく聞いて、いいことは取り入れるという〝ゆとり〟を持つ人は滅多にいない。だから荒田は欲望を少し消して空間を作るという方法に首を傾げる。