アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 375」   染谷和巳

 

 

ウイルスより恐いデマ

経営管理講座

 

マスメディアは正義の仮面をかぶっている。そのためウソがばれた時の人々の失望は深く、軽蔑の気持ちも強い。ではなぜ事実でないことを捏造するのか。民を喜ばせ民の信用を一層深めるためである。新聞なら部数、テレビなら視聴率を伸ばすためである。そのため正義を装うデマも流す。

 

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流言蜚語風評被害ネットデマ

 

ペスト、コレラ、ジフテリア、天然痘と人を大量に殺し、それによって国まで滅ぼしてきた細菌。これらを世界の医師や科学者が、ひとつずつ流行を叩き潰してきた。

現在世界中の人を脅えさせている武漢コロナウイルスも、遠からず効果のある薬やワクチンが開発され沈静化するだろう。

するとまたすぐさらに強力な新しい細菌やウイルスが発生して拡散する。人類はこうして病原菌をモグラ叩きのように克服してきた。

ウイルスは恐い。しかしウイルスよりもっと恐いのは人の心で増殖する不安と恐怖である。

不安と恐怖が流言蜚語を生む。誰かがふと思いついて言ったことが、たちまち燎原〈りょうげん〉の火のように広がって事実として信じられる。

吉村昭の「関東大震災」は地震の甚大な被害を述べた後に、それとほぼ同時に発生した流言蜚語の恐ろしさを克明に記している。

地震は大正十二年九月一日の正午頃起きた。東京中心に関東一円が家屋崩壊と火災の被害にあった。

その三時間後「社会主義者が朝鮮人と協力して放火している」という流言が、夕方七時頃には「朝鮮人放火す」「朝鮮人強盗す」「朝鮮人強姦す」「朝鮮人が井戸に毒薬を投じている」「朝鮮人が集団で襲来して日本人を殺しまわっている」という流言が飛び、たちまち関東全域に拡散した。

ケータイやパソコンがない時代である。電車は止まっており自動車も順調に走れない。流言は地震から二日後の九月三日には福島県まで達していた。吉村昭は「それは口から口に伝わったものだがその速度は驚異的な早さであった」と書いている。

この流言をもとに各町村に自警団が結成され、猟銃や日本刀で朝鮮人を殺した。法学博士吉野作造の「朝鮮人虐殺事件」の論文中には十月末までの二ヵ月間で殺害された朝鮮人は「二千六百十三名」(政府発表は二百三十一名)とある。

一度広がった流言はなかなか消せない。人々が正気に戻るまでに時間がかかる。それまで殺人は続いたのである。後に「朝鮮人云々」が全て根拠のないデマだったことが判明した。

三月の初めスーパーの売り場からトイレットペーパーが消え、次にティッシュペーパーが買えなくなった。「材料がマスク増産に回されるので不足する」と誰かが思いつきで言った。この流言が拡散して市民の買い溜め行動が起きた。「マスクとティッシュペーパーは材料が違う」という事実の声は流言に掻き消されている。

在庫のマスクを高価で売ったら「けしからん」と叩かれた県会議員がいた。紀伊国屋文左衛門はただ同然の紀州みかんを江戸で高値で売って儲けたが「偉い人だ」と囃された。

この程度の害は罪が軽いが〝虐殺〟につながる流言はウイルスより恐ろしい。

電車の中で「マスクしろ、マスクしないで電車に乗るな」と怒鳴っている男がいたが、武漢ウイルスに対する不安と恐怖が、あの朝鮮人虐殺の自警団の心理と似た攻撃的行動をとらせている。

不安と恐怖で苛立っている人は自分を救ってくれる情報に餓えている。誰かが「こっちへ行けば助かる」と叫べば何も考えずについて行く。

今はネットデマ。誰かが思いつきで書き込んだことが広がる。武漢ウイルス対策はこうすればいいといった類の思いつきがあふれている。関東大震災時の流言蜚語は三日間で関東一円に広まったが、今は三時間で世界中に広がる。その中で人の心を強くとらえるデマはデマでなくなり行動となり運動となって社会を変える。

不安と恐怖それと不満、この〝不幸〟な状態から「こうすれば脱け出せます。救われます。幸福になります」と言われれば大半の人がその声に従う。

アイデア、考え方、思想、どこかから聞こえてきてしだいに大きくなるささやき声、この声のほうがウイルスよりずっと恐い。

 

 

 

ポピュリズムは弱者が首謀者

 

極端なフェア(公正)を求める声が差別反対や言葉刈りのポリティカル・コレクトネス(社会的公正)を生んだ。

極端なピュア(純粋)を求める声が禁酒法や売春防止法を生み、現在の個人情報保護法やパワハラ防止法に繋がり、自分の子の尻を叩くのも犯罪という改正児童虐待防止法に至っている。

今は弱者優遇の風が強まりそれが正論になり社会の常識になっている。

最近の小さい新聞記事。

見出しは「逮捕日に夕食なし、一万一千円賠償判決」。

男性受刑者が都に十五万円の国家賠償を求めた訴訟で東京高裁は(二月)十五日、一万一千円の支払いを(都に)命じた。

「判決によると男性は脅迫事件で逮捕状が出て、平成三十年三月、逮捕された。八王子署で取り調べを受け、留置場で就寝。翌朝、留置係の警察官に夕食がなかったと訴え、朝食の提供を受けた。訴訟で都側は『容疑者への食事の提供を義務付けた法令はない』と主張。一審東京地裁は男性側の請求を棄却していた」。

荒田はこの記事を見せながら、

「昔、アメリカで泥棒が屋根から落ちて骨折して逮捕された。泥棒は『人が落ちる急傾斜の屋根を認めている市が悪い』と訴えた。泥棒は裁判に勝ち莫大な損害賠償金を得たというニュースがありました。あの時は笑っちゃいましたが、日本もついにアメリカに追いついた。これ!もう笑えません」と言った。

犯罪者の権利を一般人並みに尊重する。もうすぐ「手錠をかけるのは人権侵害だ」という訴訟が起き、裁判官がそれを認め、警察官が手錠を携帯しない時がくる。

弱者優遇は自由平等、自己の権利の主張といった民主的価値観のバックアップを得て、今や世界最強の風になっている。この風はポピュリズム(大衆迎合主義)という衣をまとっていて、本体が見えにくいが、ヨーロッパの移民排斥運動、アメリカの自国保護政策、そして日本の働き方改革法、パワハラ防止法、子供の虐待防止法など一連の社会改革も、大衆迎合のポピュリズムであり、その衣を剥げば「弱者優遇」というご本尊様が正体を現わす。

 

 

 

フェアとピュアを盲信するな

 

この弱者優遇を大うちわで扇ぎ立てて強風にしているのは誰か。

虐げられた人を権力者(政治家や経営者などの指導者)から守る人、きれいな言い方をするなら「個人の権利と自由を尊重する自由主義者(リベラリスト)」、フェアとピュアの守護神マスコミである。テレビで笑っている芸能人は関係ない。まじめな顔で弱者の味方を装って国家転覆を謀る一部マスメディアである。

韓国人の〝慰安婦強制連行〟は朝日新聞が発信したデマだったと二年前に証明された。朝日は虐げられた人が正しく、国や軍隊という権力者は悪という方式に当てはめて情報を捏造した。

虐げられた弱者は賠償金が手に入るならと活動家の言いなりにウソをつく。慰安婦問題に勝ち目がなくなるとつぎは「徴用工」である。

当時を知る人は「軍艦島などの工場で働いた朝鮮人は、奴隷のように強制されて働いたのではなく、日本人と同じ待遇で喜んで働いたと証言している。

アイウィルの中村安貴子の感想文。

「私の田舎には昔鉱山があった。戦時中には軍の要請で鉄鉱石を掘っていたが、その労働力は昔でいう朝鮮人や捕虜になったアメリカ兵だった。

主人の叔父はその頃所長として幅をきかせていたようで、山の中の鉱山では冬の寒さははんぱではなく、その中の労働の厳しさは想像がつく。これは日本人を含め全員同じ経験である。

そして終戦。それぞれ帰国となった際、叔父は全員に手土産を持たせ、その都度駅まで見送りに行ったと聞いている。しかも一名の病死者、ケガ人もいなかった。みな感謝して去って行った。

こういった話はなかなか伝わりにくい。私は労働者が冷遇されやせ細っていた訳ではないことを伝えたい。悲惨だった徴用工は捏造情報だと思う」。

権威ある(と思い込んでいる)マスメディアが発信する情報に人は影響を受ける。その情報を信じてまわりの人が行動を起こすと自分も遅れまいと流れに乗る。この図式は昔の流言蜚語虐殺事件の時と変わっていない。

マスメディアが信用を失いつつある今はネットが情報発信受信の時代になっている。思いつきでつぶやいた事が大事件になることがこれから続続と起きる。

 

 

 

他を容れる空間作りは難しい

 

器が大きいとは〝ゆとり〟があるということ。器が小さいとは自分以外入らないこと。そのゆとり部分に他人を容れる。これが包容力である。

人は誰も欲望のかたまり。大事なのは自分、自分の命、健康、自分の家族、自分のお金、自分の物、自分の考え、信念、思想、自分自分自分である。つねに自分を主張し自分を攻撃する相手から身を守る。器の小さい人はこれで精一杯。毎日自分の欲望を満たすため、自分を守るために全時間と労力を使い果たしている。

器の大きい人は自分中心の器の上のほうにほんの少し無私の部分、他を容れる空間がある。その人と少しつき合えばそれが解る。それを言葉では「器が大きい」「包容力がある」あるいは「人間的魅力がある」「人望がある」「徳がある」と表現する。

器の上のほうに他を受け容れる空間を作るには、自分の欲望を消しゴムで少し消し去るしかない。無欲、無私の部分、無心の心を作ればそこに他(異質のもの)がすんなり入ってくる。

これが器の大きい包容力のある上司になる具体的方法である。

この説明を聞いて荒田は苦笑した。「そんなの屁理屈です。理屈は筋が通っていますが心に少し空間を作るのはそう簡単なことではないでしょ。誰でも努力すればすぐ器の大きい人になれると言いますが信じられません」。

生まれ、家庭での育てられ方、受けてきた教育、読書、教師や友人の影響、社会人になってからの社長や上司やお客様の影響、こうした諸諸の力が働いて人間は成長する。少ししか成長しない人と大きく成長する人がいる。この大きく成長した人がゆとりのある器の大きい人ではないか。

経営者の中には「自分が絶対」で人の意見を聞かない人が少なくない。人の話をよく聞いて、いいことは取り入れるという〝ゆとり〟を持つ人は滅多にいない。だから荒田は欲望を少し消して空間を作るという方法に首を傾げる。