アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 380」   染谷和巳

 

新刊書発行前夜の裏話

経営管理講座

 

ビジネス書を出しているコンサルタント先生が「あんたの本はよく売れるね。私のは全く売れない。こうして自分で売るしかないんだよ」と恨みがましく言っていた。多くの人が買う本には〝運の神〟がついている。本屋で「君、これ、見て、これいい本だよ」と運の女神が薦めてくれるのだ。

 

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新刊一冊出すという年間目標

 

もてようとして格好をつける歳ではない。新刊書に〝渾身の力作〟と謳いたいが違う。時間はかけたが渾身とまでは言えない。

力作かどうかは読んだ人が判断することで著者や出版社が言えば食品の化粧箱みたいなもの、中身をよく見せる宣伝文句になる。

会社では毎年正月の仕事始めの日、全員が仕事と私生活の年間目標を一つずつ出す。それを一覧表にして壁に貼り出す。私は毎年、仕事は「新刊書を一冊出す」で私生活は「体重を5キロ減らす」や「禁煙」と書いている。前に出た本が平成二十七年(二〇一五)の九月だから、以後五年毎年この目標を書いてきた。毎年達成率ゼロパーセント。社員の模範にはならないし、本人も含めて誰も私の目標に期待しなくなったし、気にもかけなくなった。

それが五年目、突然、仕事の目標、新刊一冊が達成できた。

武漢ウイルスのおかげである。

ビジネスマンの青春は十代二十代ではない。四十代から六十代の三十年間だと、サミュエル・ウルマンの「青春」の詩を引き合いに出して言ってきた。二十代三十代は蓄積の時、学ぶ時、鍛えられる時で苦労する。この苦労がみのって大きい花を咲かせるのが四十代からである。人生が一番輝く時、それが青春時代である。

私は昭和五十六年(一九八一)十二月、四十歳の時、『管理者の人間学』(アマゾン・ベストセラーの日本の本一〇〇冊に入っている)を出した。平成十二年(二〇〇〇)二月、五十八歳の時『上司が鬼とならねば部下は動かず』(プレジデント社刊、新潮文庫、韓国語版、中国語版を含めるとこの本だけで六十五万部以上、現在も毎年版を重ねている)を出した。

零細企業の社長であり、作家ではないのだがまずまずの青春であった。

以後何冊も出しているが盛りは過ぎた。そのエネルギーは消えそうな焚き火の煙のように弱くなっていた。

四百字の原稿を書くのは百メートル全力疾走するのと同じエネルギーを消耗すると言われている。作家だけでなく誰でも四百字十枚文章を書けば千メートル走る力を費す。頭を使えば体全体が疲れるということである。

五年前の本の最後の五行。

「荒田は己の人生を振り返ってみた。同じ時間、同じ空気を吸って生きてきた仲間の顔を思い浮かべながら思った。『祖先の教えを忠実に守ってきた。おかげで次の代に引き継ぐことができそうだ。私は運が良かった。子孫もまた宇宙の力の加護を受けて、運のいい人生を送ることができますように』」

ここを指して旭紙工㈱の橋野昌幸社長が「遺書のようですね」と笑った。

確かに「これでおしまい」である。それが六十日間の外出制限で焚き火の残滓〈ざんし〉が復活し、なかなかの一冊を作り出した。制作協力武漢ウイルスである。いや、こいつがいなければできなかった本だから、「武漢ウイルス共著」としなければなるまい。おかげで久々に大きい顔ができる。

 

 

高木書房に出版を頼んだ理由

 

断られるだろうと思っていたら案の定である。「相当部数ご購入いただけなければゴーサインは出せません」という編集長の返事。

この二十年の間に私の本を七冊出してくれた出版社に「検討してください」と原稿を送った。その返事がこれである。かつては景気が良かったが、経営者が変わり人が変わり方針が変わり年月とともに沈んで行ったのであろう。今まで一度も「本を買ってくれなければ」などと言われたことはなかった。

「では何冊購入すればよろしいでしょうか」とは聞かなかった。「ご検討ありがとうございます。お元気で」と手紙を出した。

恩義ある出版社である。ここを通さないで他社から出したとなれば、礼儀知らず恩知らずと非難される。そうならないため原稿をこの出版社に送った。案の定断られた。案の定なのでビックリもガッカリもしなかった。

思い出せば二十年前『上司が鬼とならねば部下は動かず』の原稿を「検討してください」と四社に持ち込んだ。一社断られるとまた一社。四社とも「うちではちょっと」「無理ですな」の返事。しょんぼりしていると四社目の編集長から「この前のあれ出します。ただし二十ページカットするので二十ページ新しく書いてください」という電話があった。これが平成十二年の春この本が本屋に並んだ経緯である。

新刊『指導者として成功するための十三の条件』は初めから高木書房から出してもらおうと決めていた。なぜか。

高木書房の斎藤信二社長とは、三年前に新潟の武心教育経営塾塾長近藤建氏に高木書房五十周年記念パーティに招かれて初めて会った。

その後アイウィルは名古屋の㈱中建サービスの創業者山田末廣会長から六月末に一代記の制作を依頼された。私はビジネス書を何冊か出しており、山田会長はその熱心な読者だった。

自分は文章を書くが、人の人生史を書いたことはないと断った。しかし山田会長の執念に負けた。取材執筆は専務の畠山と酒井正子が担当した。

七月中旬契約。この時会長は余命数カ月のガンを患っていた。死ぬ前に本を完成するのが受け請った者の使命である。

編集から完成までの仕事をどこに頼もうか。当社のお客様には印刷会社、出版社が何社かある。六月に会ったばかりの斎藤社長を思い浮かべて「これは高木書房に頼もう」と私が決めた。

斎藤は酒井にアドバイスし、原稿に手を入れ、山田会長にも直接会って話を聞き、段取りよく仕事を進めた。

何といっても仕事が速くて正確だった。

十月、会長は病院の集中治療室からも見放されて、治療なしで放っておかれる病室に入った。「急げ!間に合わせるんだ!」

十月末納品予定。それを斎藤は十月二十五日に完成させて当社に届けた。私も雑誌編集や出版に携わっていたことがあるので、一週間の納期短縮に驚愕した。他の本の制作もあるだろうに、おそらくこの一ヵ月間は不眠不休で仕事をしたのであろう。

十月二十六日、名古屋の病院に畠山、酒井と本を持参した。「もう口もきけません」と家族が言ったが、本を開いて見せる私に会長は「ありがとう」と言った。奥さん息子さんは口をきいた会長を唖然として見つめていた。

十月二十七日早朝会長はなくなった。八十四歳。

『自省録 土との闘い?杭打ち人生?山田末廣』布張りの表紙に金箔押しの文字があった。

斎藤の仕事能力と責任感に対する私の信頼が強くなった。

本の後半に山田会長の故郷奄美大島の写真があった。「この写真をレイアウトしたのは誰?」「斎藤社長です」と酒井。

海と田んぼと山の風景写真を見開き二ページ全面を使って載せている。六十年以上前の白黒の古い写真、シミがついており半分破れた線が入っている。それを丹念に修復して大きく載せている。

「この写真をこのように大きく扱うというのは編集者の感性だ。山田会長は心から満足しただろう。わかる?」酒井はそんなものかという顔で「はあ」と答えた。

つぎの、大阪の会社の創業社長の人生史も高木書房に頼んだ。半年で完成の予定がなかなかできない。本人だけでなくまわりの人が注文をつけてくる。「あれが足りない」「これも載せて」と。その注文に応えて酒井が大阪に行きゲラ刷り(印刷所の校正刷り)を見せるとまた新たな注文。

「またか」と苛立つ私に「だんだん依頼者が熱が増していろいろ言ってくる。こういうものだと斎藤社長が言っています」と酒井。大阪に五回行けば済むはずが十一回行き、一年半後に完成。お客様の要望には可能な限り応える。これを斎藤は行動で示した。

速くて正確、責任感、感性そして忍耐力。仕事ができる人の条件を斎藤は全て備えていた。

というわけで高木書房に頼んだ。

 

 

本が売れる売れないは神頼み

 

小出版社の社長が「これすべて資産勘定なんですよ」と積み上げられた在庫の本を見上げて言う。税務署は「ほらそこに二千万円あるじゃないですか、税金払ってください」と言う。出版社は在庫の山に潰される。

本が売れなくても著者は痛まないが出版社は大金を投じている。死活がかかっている。

高木書房が「あなたの本を扱ってよかった」と言ってくれるよう、また運命の女神(または武漢ウイルスか)に手を合わせて祈る。