アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 383」   染谷和巳

 

第二次働き方大改革か

経営管理講座

 

過労防止のため残業時間を減らせ、その分減る収入は副業で稼いでよい、労働力不足は外国人で補えばよいという泥縄式働き方改革法が施行されたのは昨年四月。現在はウイルス禍で在宅勤務が日常化し、「この際日本的経営をやめてアメリカ流契約雇用にしよう」という声が出てきている。

 

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満員電車の通勤がなくなった

 

荒田は六十年前からラッシュの電車に乗っていた。まだ地下鉄がない時の常磐線。金町から日暮里に出て山手線に乗りかえ、池袋で下車してバスで学校へ通っていた。

終点上野の一つ手前の日暮里は大勢降りるが、それでも乗った時から、無事降りられるかどうか心配した。

ある朝、日暮里で下車する人が少なかった。奥に居た荒田は「すみません、降ります」と前をふさぐ人に声をかけた。ナッパ服の工員風の男が壁になっている。荒田が横を抜けようとすると男は体をそのほうに寄せて邪魔をした。「意地の悪い奴だ」と思った。

男を押しのけて前へ出た。男が後ろから荒田の背中にストレートパンチ。痛くはなかったが「何をする!」と睨みつけた。男は殴る構えで睨みかえす。ドアが閉まるので荒田は降りた。

やられっ放しで〝逃げた〟後味は悪かった。以来、ラッシュ時の電車を毛嫌いした。

都心に勤める人にとってラッシュ時の満員電車ほど不愉快なものはない。朝よりも夜のほうが堪え難い。

今は東京メトロ千代田線を利用している。大手町や西日暮里から下りの電車に乗る。電車は夕方から夜中までいつもほぼ満員。予定時刻より二、三分遅れるとギューギュー詰めになる。夜のほうが皆疲れており、酒を飲んでいる人もおり、吐く息が汚れており、車内の空気が濁っている。不愉快を通りこして、腹が立ってきて怒りが爆発しそうである。

その満員電車にこの一年ほとんど乗っていない。四月、五月は一日中空いていた。今は十時頃乗り三時頃帰るのでやはり楽楽である。座れる時のほうが多い。ずっとこのまま続いてほしい…。

人口の大都市圏集中、会社の都市中心部集中、それにともなう通勤地獄は、長年問題にされながら未解決である。

武漢ウイルスで混雑が消えた。外国人が見られなくなり、社員が会社へ行かなくなり、学生が学校へ通わなくなったせいである。

これは問題を解決したことにはならない。

車の渋滞をなくすためにバイパスを作る、新しい道路を作る、これは渋滞解消の正攻法である。

満員電車をなくすにはどの線も山手線のように一分おきに電車が入ってくる密なダイヤにするか路線を増やして複線にするかだが、人員や経費の点で実現は難しい(国は終電を早め電車の本数を減らす逆の道を進んでいる)。少子高齢化でいずれなくなると言う人がいるが、外国人ばかりの満員電車に替わるだけである。

なくせないものなら見方を変えるしかない。

快適、快楽を追求する世の中で、この程度の不愉快はあっていいではないか。不愉快を我慢することは精神の鍛練になる。柔弱になっている精神が強くなる。体も押されて耐えて緊張して強くなる。

大都市の人は大田舎の人より足腰が強いという調査結果がある。田舎の人は日常の買い物も車である。歩かないから足が弱い。大都市の人は通勤で歩く。大手町などは乗り換えに十分近く歩かされるケースもある。階段の昇り降りが何度もある。それに加えて満員電車の緊張が心身を強くする。

毎日三十分一時間満員電車の不愉快に耐えるという試練は、お金を払ってスポーツジムで筋肉を鍛えるのと同じ、いやそれ以上の心身強化の効果がある。

通勤なしの〝在宅勤務〟が何ヵ月も続いている。パソコンの普及がこれを可能にした。仕事の成果は通勤時と変わらないという人が多い。では今までの通勤は何だったのかとなる。武漢ウイルスが去った後も在宅でいいではないかという声も聞こえてくる。

今、日本の会社は『迷路』に足を踏み込みつつあるのではないかと荒田は危惧している。

 

 

 

偽物の現実に合わせて改革?

 

テレビや映画は、風景に奥行きがあり、人が歩いたり話したりする姿は実物そっくりの立体に見える。しかし、映し出しているのはガラスの平面やスクリーンの二次元である。紙焼きの写真が進化したものだと思えばいい。

五感のうち参加するのは視覚と聴覚のみで、味覚、嗅覚、触覚は不参加。いい香りや嫌な臭い、そよ風や強風、冷たい温かい、寒い暑い、柔らかい固いなどは役者が態度や口で説明しなければ伝わらない。「ああ、現場は寒いのだ」と解っても見ている人の肌が寒さを感じるわけではない。

現物や実物ではない、科学技術で作り出された偽物の現実感である。私たちはこれに慣れ親しんでいるので、この偽物を現実そのものと思い込んでしまう。

この偽物の現実を「バーチャル」とか「仮想空間」というが、偽物の現実が一番解りやすくピタッとくる。

パソコンや携帯電話もテレビと同じ、ガラスの平面に映る画像で偽物の現実である。

現在、武漢ウイルスのせいで多くの仕事が人間距離(じんかんきょり。ソーシャル・ディスタンス〈社会的距離〉などと格好をつけて言うことはない。車と車の間隔を車間距離と言うように人と人との間隔は人間距離がふさわしいと荒田は主張するが賛同する人はほとんどいないだろう。テレビや新聞で何回も接している言葉を疑いもせず口にするのが常識人であり、世間の常識に逆らうような奇妙な言葉を使う気にはなれないのである)を大きくとって行われている。

その仕事のし方をテレワーク、リモート、オンラインなどとカタカナで言うが、総括すれば会社に勤める人の「在宅勤務」あるいは「在宅仕事」である。このパソコンの画面を眺めながら仕事をする期間が長びいていることから、これを肯定しこれに合わせた働き方や組織の改革を説く学者や経営者が出てきている。

お互い、ガラスの画面を見ながら話すのは偽物の現実であるから、直接対面して話す場合の半分しか意思が伝わらない。

社員の採用は直接面接ができないし、新入社員教育は以前のように集合して大きい声を出して行うことができない。上司が部下の態度や行動を見てその場で注意したり叱ったりほめたりする〝指導〟も難しい。必要に応じて行われていたミーティングや会議も気軽にスピーディーに行うことができない。

偽物の現実の世界では適切な社員の採用はもとより、教育研修や現場での上司の部下指導が難しくなる。

信用できるのは社員の仕事の結果だけである。成功か失敗か、何%できたか、これはガラスの画面を通しても事実が伝わる。

よって今後は、人を育てて一人前の仕事ができる社員にする日本的経営を捨てて、アメリカ流の〝契約雇用〟に変えたほうがいいと言う改革案である。

会社は「この仕事ができる人?」と募集をかけ、人は「はい、私できます」と応募する。「ではやってもらいましょう、働く場所はここ、時間は何時から何時まで、給料はこれこれです」。これで契約成立。仕事の結果を出せば契約は継続し、結果を出せなければ契約解除。このアメリカ式雇用にすれば偽物の現実世界でも会社は生き残れると説く。これが改革案の内容である。

 

 

 

日本的経営を貫く会社が勝つ

 

会社は日本的経営を捨ててアメリカ流契約雇用に変える改革を実行してはならない。

パート、アルバイト、期間限定準社員など契約雇用が増えているが、会社の本流は〝新卒で入社した正社員を教育して仕事ができる人材にして、その人が後進を指導育成し、定年まで働いてもらい、年金生活の老後を穏やかに送ってもらう〟日本的経営である。

会社を不動産のように売り買いするM&Aが増えている。これは会社を金儲けの道具と見做し、そこで働く社員を機械と同じ金儲けの道具としか見ないアメリカ流経営では当たり前のことで、善悪の感情が入り込む余地はない。

日本の会社は生きかはり死にかはりして打つ田んぼであり、命をかけて守るお城である。経営者は代代継続していくことを使命としている。会社を売って個人財産を得る人は日本的経営を外れた人、アメリカ流に染まった人である。

外出自粛、在宅勤務が続き、恐怖と不安が消えない期間が長びくと、偽物の現実を受け入れて経営していくしかないと思ってしまう。白紙の社員を採用して育てていく面倒から解放され、アメリカ流契約雇用で行くほうがずっと楽だと思う。

この道を行く会社の将来は暗い。ウイルスは地震や台風と同じ天災である。天災は必ず終焉する。満員電車は復活する。その時、この会社はもう元に戻れない。