アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 385」   染谷和巳

 

プラス思考で低迷打破

経営管理講座

 

人のキズや欠点を拡大して見る人、物事のマイナス面を強調する人がいる。「だからあの人はだめだ」「失敗するからやめましょう」と否定する。こうした人が会社の幹部の席にいると問題である。巧妙な批判と弱点欠点の追及で前進と改革を阻んでしまう。会社の指導者として不適格の人である。

 

    PDF版は右の画像をクリック⇒

 

野党の支持率が低迷するわけ

 

弱い犬ほどよく吠える。

国会で野党がモリカケサクラで総理大臣などを追及している。追及の先生は女性の蓮舫議員や辻元議員。口汚なくののしる。目つきが険しい。犬よりも〝正義の甲羅〟で身を固めた亀といったほうがいいか。

蓮舫・辻元議員の追及を見る度に思い出す。

アメリカの動物愛護協会の会長が「馬を虐待している。馬を救え。こんな残虐なことをする人は許せない」とテレビで訴えていた。

ロディオ競技で出る馬や牛が可哀想だという。

ロディオはカウボーイが野生の馬を慣らす仕事として始めた。一八八三年アメリカのテキサスで初の本格的ロディオ競技大会が開催され以来現在まで各地で行われている。

暴れ馬を乗りこなしておとなしくさせる技と時間を競う。馬に振り落とされてケガをする人もいる。観客は迫力と緊張のスリルを堪能する。

調教しなければならない野生の馬がいなくなった。すぐ人が御することができるおとなしい馬ではロディオは成立しない。

そこで競技のため馬の局部に電気を流す。馬はたまらず暴れる。おとなしくなるとまた電流のスイッチを押す。野生の暴れ馬と同じ迫力がある。

競馬では馬の尻を騎手がムチで叩く。馬は叩かれると痛みのため力を出して走る。ゴール前はムチの叩き合いになる。ロディオの電流はこれと同じ理屈である。

動物愛護協会の会長は中年の女性である。その容貌が異様だった。目は残忍な殺人鬼のごとく険があり、くちびるは薄く冷酷。「馬にこんな虐待をする人は人間ではない、訴えます」と言った。

その後テレビはロディオに馬を提供する牧場主を映した。牧場主は困った顔で「そりゃ馬は痛いだろうがほんの短い時間だし、その時間を我慢すれば後は優遇されるんだから馬にとっては悪い話ではないと思う。馬肉にされるより、ちょっとの時間のことなんだから…」と言った。

牧場主の顔は柔和でやさしい。馬に対してもあたたかく接していることが想像できる。動物愛護協会の会長とは対照的な人間らしい表情である。

動物にやさしくするのが愛護協会なら会長は慈愛に満ちたやさしい顔をしているはずと思った。それが逆である。〝虐待している〟牧場主が思いやりのあるやさしい顔をしており、いじめている顔ではない。

会長は蓮舫・辻元と同じ残忍酷薄な顔をしていた。荒田は一度どこかで書いた覚えがあるが、このテレビの場面をよく思い出す。ちっぽけな正義を追求する人は人間味をなくし、酷薄な顔になるという好例だと思うのである。

野党は反政権の立場でいいが、質問追及反対するなら政策に対してするべし。贈収賄や浮気は政策と関係ない。もし追及して勝ったとしても野党の得点にはならない。選挙で野党に投票する人は増えない。事実、総理大臣がウイルス禍に八人で会食したことを謝罪しても野党の支持率は〇・一%も伸びなかった。

野党が無党派層と保守層の支持を得たいなら、たとえば「習近平の国賓招待」に猛反対する。「電力不足による停電と電気料金高騰を押さえるため原発を稼働せよ、新設せよ。政府は公約を果たしていないではないか」と追及する。「労働時間を減らすばかりの働き方改革法は労働者の生活を脅かす。労働者の生活の安定と幸福のために修正改善をすべし」と提案する。

野党は与党の政策の欠陥や未熟をついてこそ存在価値がある。重箱の隅をつついて得点をあげても支持者は増えない。与党の政策に正面から立ちはだかっていってこそ、評価は上がっていく。

これからも礼儀知らずを通り越して醜怪きわまりない発言を繰り返すキャンキャン犬、いや正義の亀を前面に立てていけば、何回選挙をしても野党は議員の数を減らすだけ。「あの人は国政を担う政治家だ」と評されるレベルの指導者が出てきてほしいものである。

 

 

長所を見ず短所に目が行く人

 

会社の中でも同じことが行われている。

人は都合の悪いことは隠し、自分の都合をよくするためのウソをつく。

誰にも人に知られたくない秘密がある。知られれば信用を失い、時には地位収入を失う。だから用心する。あるいは知られるはずがないと高をくくる。

秘密を知った他人がそれを武器として使うかどうかは状況条件次第である。

他人の汚点欠点に敏感なのはどんな人か。実績のない実力不足の後継者候補や大番頭などの幹部である。実力者が上におりその人と比べると、まわりの尊敬信頼が小さい。それが劣等感になっている。その劣等感が他人のアラ捜しに走らせる。

人の〝いい所を認めほめる〟が人を育てる指導者の鉄則だが、劣等感の強い幹部は人の欠点をあげつらう。ささいな非を取り立てて大げさに言う。

経営者養成研修に「尊敬リスト500人」の課題がある。一日一人尊敬する人を挙げその理由を記す。これを一年半続ける。

人のいい所を見る。見えなければ探す。これを習慣にする。どんな人にも弱点欠点はある。それに目を向ければどんな人もダメになる。逆に人を肯定し認めてほめれば、人は自信と勇気を得て成長する。指導者は人を肯定的に見ることができなくてはならない。

かつて経営者研修の研修生に「尊敬リスト」が一人も書けない人が二人いた。二人とも会社の後継者だった。二人とも理数系の学部を出ていた。数学は間違いが許されない。つねに正解は一つ。ほぼやだいたいではダメなのだ。文学系はいい加減であいまいな部分を認める。正解に幅があり大まかである。人の弱点欠点に寛大である。二人は自分に対してこんなことが許せなかった。二人は経営者研修を卒業できなかった。

二人が社長になってもう十年もたつが、社員が次々に辞めて衰退が続いていると噂に聞いている。

野党が与党の〝ささいな欠点〟を天下の一大事のように攻撃する。会社で社長や実力ある人の欠点をさりげなく人に伝え、時にはマスコミに内部告発する。こうした行動で相手を貶めることはできるが、自分が得することはほとんどない。野党のように支持者を失い一層孤立していく。

この幹部は時間がかかっても仕事の実績を作り、上やまわりから認められる存在になる努力をするのが本道なのだが、その場しのぎの「社長は家族の食事代まで接待費で落としている」「専務はこんなウソをついている」「あの人はあの人とできている」などの〝秘密〟情報を流して自分の劣等感をやわらげて心のバランスを保つ姑息な手段に頼る。これによってますます信頼を損ない人が離れて行くということに気付かずに…。

 

 

合格の評価を得られる指導者

 

法律違反でも逮捕されるほどの犯罪ではない行為、たとえば浮気や不倫、お世話になった人への謝礼の程度でも、政治家や有名人だと命取りになる。

週刊文春、週刊新潮、写真週刊誌の商売のネタはここにある。読者はスクープを読んで「けしからん」と溜飲を下げる。槍玉に挙げられた人が辞職、失職、家庭崩壊といった結果に至ると「当然だ」という声が半数、「可哀想に」と同情する声が半数。やがて時間とともに忘れられ、新しい事件がまた出る。

ある時期週刊誌が朝日新聞と同じように前総理大臣の安倍さんを叩く特集を組んだことがあった。

荒田はその号は毎回買わなかった。読む気になれなかった。荒田と同様の人が少なくなかったのではないだろうか。「安倍叩き」の特集をすると販売部数が落ちる。何回かこれを体験して週刊誌は安倍叩き特集をやめたのだろう。

習近平の国賓招致や働き方改革法の制定など間違った決断もいくつかあるが、大局的に安倍総理は外交と経済において立派な功績をあげた。それで自民党は選挙で毎回大勝することができた。久しぶりに世界に高く評価された指導者であった。総理大臣として合格の人を貶めるためにサクラで追及する野党や一部マスコミ、これに乗って特集を組む週刊誌に同調する人は少なかった。

国民の良識が機能し、いつもの亀の正義は通用しなかった。

週刊誌レベルのネタを集めて、それが自分を守る武器、勝つための武器と思っている幹部諸君、その〝財産〟を捨てよ。こんなものは実力実績の不足をカバーしない。社長や周囲の信頼を得るには本業に勤しみ成果を上げるしかない。