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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 388」   染谷和巳

 

礼のない悪党にも じょ

経営管理講座

 

「あなたは商人だから何を売っていくら儲けてもいいが、国だけは売らないでくれ」と荒田が赤くなって言った。中国の横暴にはだんまりを決め込み、習近平の国賓招聘を歓迎し、オリンピック委員会の森会長の発言を「問題だ」と批判して辞任に追い込んだ経済界の重鎮たちに怒ったのだ。

 

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「義理・人情・恩・恥・じょ」の凋落ちょうらく

 

荒田は車の運転が下手である。田舎の小さいスーパーの狭い駐車場でバックしていて隣の車にぶつけた。見ていた車の持ち主が夫婦で同時に「あらあ」と言った。荒田は「すみません」と謝った。「謝って済むことじゃないだろ(でしょ)」と夫婦が同時に怒鳴り、鬼のような顔で荒田を睨みつけた。

まず非を認めて謝るのが礼儀だと思う。頭を下げて済むとは思っていない。弁償するつもりでいる。

もし逆だったらどうだろう。相手が「すみません」と謝ったら荒田は「はい」と答える。「やっちゃいましたね」と同情の言葉をかけ、それからお互いに傷を調べて弁償の交渉に入る。

アメリカや中国では事故を起こしたら、こっちに非があっても決して先に謝ってはならないと聞く。謝れば一〇〇対〇でこっちが悪いことになる。まず相手の非を大声でなじり、相手にも非があることを認めさせてから交渉に入るのが常道だそうである。

かなり古い軽自動車でへこみや傷がある。そのバンパーがこすれている。「二万円だね」と男が言う。修理なんかしないだろう。二万円丸儲けだ。荒田は二万円払って済ませた。

二万円は惜しくなかったが、「謝って済むことじゃないだろ」と間髪を入れず怒鳴った相手が不愉快で今も忘れられない。

何でだろうと考えた。

かつての社会は「義理・人情・恩・恥・恕」の価値観で成り立っていた。正義や自由や平等といったものより、こうした儒教的価値観が〝常識〟になっていた。お世話になった人にお中元お歳暮を届ける。恩を受けた相手にはそれ相当の金品のお礼をする。こうしないと当人の気が済まない。こうしたことをきちんきちんとする人が尊重される仲間であり、こうしたことをしない人は恥知らず、人非人としてつまはじきされた。

恕とはゆるすこと、譲り合うこと、自分が傷つけられても我慢して相手を責めないこと。この〝礼儀〟が何でも訴えるギスギスした現代とは違う社会を作っていた。

明治二十四年(一八九一)頃書かれた小泉八雲の「日本人の微笑」から引用する。

「自由や平等という近代的な公式に具現された理論は、すでに確立している社会的諸関係を壊滅させ、礼儀作法を無視する…絶対の平等、絶対の自由など得られるはずもないから、権利・義務によって規定された制限が、いろいろ置かれることになっている。しかし、だれもが、多くの権利をもとめて、義務はできるだけ少なく負おうとするが、結果は果てしない論争と争いに終始する」

「現在日本の若い世代の人たちがとかく軽蔑しがちな過去の日本を、ちょうどわれわれ西洋人が古代ギリシャ文明を回顧するように、いつの日か、かならず日本が振り返ってみる時があるだろう。(中略)古風な忍耐と献身、昔ながらの礼儀正しさ、古い信仰のもつ古い人間的な詩情、こうしたいろいろなものを想い悲しむことであろう」(「小泉八雲集」新潮文庫)。

まるで百四十年後の今の社会を批判する文章のようである。

人は子を教育し、子は孫に伝えるから価値観(物の見方考え方)は少しずつ変わっていく。明治維新で政治はがらっと変わったが毎日生活している人の価値観は江戸時代のままである。昭和二十年の敗戦で日本は焦土となりアメリカに占領されたが、生き残った人の価値観は明治以降のままである。戦後八十年がたった今、日本人は戦前の人とは全く違う価値観の持ち主になった。

長年アメリカに撫育ぶいくされてきたから仕方ないが日本も、弱者が何でも国や会社を訴える訴訟社会になり、弁護士活躍社会になった。

かつては「その程度のことで何も…」と笑って済ませたことが今は国会でとりあげられ断罪されている。中国ほどではないがこうした制裁や粛正によって社会は逼塞ひっそくし、人の心が冷たくなった。

 

 

中国に恕で接してはならない

 

自分の非を絶対認めない相手に対しても〝恕〟を示すのか。

日本を代表する大企業の一製品の製造を任されている社員百人程の会社がある。社長は創業者で細々と工場をやっていたが親会社に技術を認められて協力会社になった。

「私が中国へ行くと国賓待遇です」と社長は言う。年に何回か行くが空港に着くと黒い車が迎えに来ておりパトカー先導でホテルへ送ってくれる。政治家や経営者が王候級の食事と女性の接待でもてなしてくれる。「民間人では私が一番VIP待遇を受けている」と社長は自慢する。

なぜそれほど優遇されるのか。荒田は聞かなかった。〝日本の大企業の技術漏洩〟という言葉がパッと頭に浮かんだからである。

中国は儒教の祖を生んだ国でありながら、今は〝自利〟一辺倒の国である。利害損得しか頭にない。この社長(名前は日本人だが、中国系の血が混じっている顔をしている)を大事にすれば大きいメリットがあると判断して厚遇した。社長は請われるままに仕事の話をし、書類や図面を見せた。

社長はそのスパイ活動に対する謝礼に〝国賓待遇〟の接待を受けていたのだ。以後、荒田はその会社に二度と足を運ばなかった。

この社長のように中国に籠絡されている日本人は少なくないのではないかと荒田は思った。

「核心的利益」などという利己的な言葉を堂々と使って、それを損なうもの敵するものには二倍の報復をする。中国人を一人逮捕すれば中国はその国の人二~四人を即座に逮捕する。さきの社長のように友好的な人でも監獄に繋ぐ。

不利なことは全て隠す。脱線した新幹線の車輌をただちに穴を掘って埋め証拠を隠蔽した事件はニュースになり世界の軽蔑を買ったが、以後、事実が漏れないよう情報遮断を徹底し、不利なニュースはテレビ画面をまっ黒にして隠すなど手段を選ばない。

WHO(世界保健機構)が武漢ウイルスの原因調査の委員十人を派遣したが、委員は事実を何も調査できず、すごすご戻って無価値な報告書を出した。「ここは立入り禁止。ここは見せない」と関係各所に大量の監視員が壁を作って調査を不可能にし、毎度おなじみの饗応で心を溶かし、「武漢ではない」という中国傾の声を耳がこわれるほど聞かされ、医師科学者からなる調査団員は中国に丸め込まれてしまった。

こんな結果は〝隠蔽の巧者〟中国の手にかかれば自明の理であり、大金を投じての調査団派遣は初めからムダと判っていた。

ウイグル、モンゴル、チベットなど他民族に対する虐殺、人権蹂躙、文化の破壊と共産党への同化を欧米が非難すると、「内政干渉だ」と言い「お前のほうこそ黒人やアジア人を人種差別している。そんな国が文句を言う資格があるのか」と逆襲してくる。

海側では南シナ海の珊瑚岩礁に空軍海軍の大基地を作り、尖閣諸島や台湾を奪い取る準備をしている。

この敵国に日本は政治家経営者が欧米ほどはっきり反対抗議の声をあげない。理解を示し、どちらかというと味方をしている。

これは「お互い様」と相手をゆるす恕の精神からくるものではない。自動車はじめ日本の企業は中国で儲けさせてもらっている。厳しく出てオーストラリアや台湾のように輸入規制などの報復をされるのが恐い。中国のご機嫌をとることで儲けを確保したい。そこには経済第一でそのためには魂も売る醜い商人の姿がある。恕の美しい礼を身につけた日本人とは程遠い。

これは中国を怒らせると何をされるかわからない。被害は甚大である。黙っていようという態度である。遠慮、忖度で強者に媚びる弱者の卑怯というものだ。

こうした明らかに非がありそれを認めず改めない相手に〝恕の精神〟は通じない。こうした相手とは命をかけて戦うしかない。

 

 

正義の法と規則で雁字〈がんじ〉がらめ

 

義理人情〜の日本的価値観は正義ではないし清潔でもない。人間の自然の心の動きがそのまま社会の慣習となったものである。

仲間として今後も良好な関係でつき合っていくための適切な考え方と行動のし方である。これがほとんど〝悪〟と認定され、代わって一点の瑕疵かしも許さない正義清潔が唯一の物指しになった。

かつては週刊誌の記事を手にして国会で議員が大臣を追及することはなかったが、今は恥ずかしげもなく週刊誌の暴露記事を元に正義の銃弾を撃ち込んでいる。

行政のトップを見習って市民の運動家も大威張りで何でも訴訟して勝っている。「ま、仕方ない。ここは大目にみよう」という恕の精神はもうなくなってしまった。