アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 390」   染谷和巳

 

言葉と真剣に対決する

経営管理講座

 

言葉は情報伝達の道具であるが、用い方によっては銃弾よりも殺傷力の強い武器になる。美しい言葉遣いの人と汚ない言葉遣いの人がいる。言葉はその人の人格を表わす。人の話や文章の言葉を気にする人としない人がいる。言葉をあまり気にしない人が八割、敏感に気にかける人は二割か。

 

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『十三の条件』がようやく重版

 

この月刊ヤアーッの今月号は三九二号になるが言葉遣いや文字の間違いが少ない。ほとんどないと言っていい。数年に一度ミスが発覚すると大事件のごとく大騒ぎ。訂正のお詫びをし、外部の人の文章なら謝罪する。

なぜ間違いが少ないか。

校正のプロがいるからである。アイウィルの専務の畠山裕介。

畠山は大学の工学部卒業後、専門学校のエディタースクールで編集技術を学んだ。その後数年間、雑誌社、新聞社で校正のアルバイトをした。こうした契約仕事をしているうちに正規の編集員として採用してもらえることを期待したが、声はかからなかった。仕方なく新聞募集で私がいる社員教育用教材開発会社に入った。

以来四十年以上私と一緒に仕事をしてきたが、発刊三十三年になるこの月刊ヤアーッの校正責任者を務めてきた。このプロフェッショナルがいなければ、世の大半の広報誌や社内報同様、誤字脱字や間違った言葉遣いが当り前の印刷物になっていたであろう。

校正は創造的でないので職人仕事と見做されているが、適性のある人は稀少であり、特殊な才能と認められている。

一流と言われる出版社の本や全国紙の新聞にも時折校正ミスがある。あまり繊細敏感ではない私が〝発見〟するくらいだから、ミスの頻度は相当に高いのだろう。今後コンピュータ(人工知能)が校正を担当してもミスゼロにはならないのではないだろうか。

苦〈にが〉い経験をしている。

『上司が鬼とならねば部下は動かず』(プレジデント社)が出たのは平成十二年(二〇〇〇)だが、その前の平成十年にPHP研究所から『部下を伸ばす上司、ダメにする上司』を出している。

もちろん出る前に著者校正を二度、出版社の担当者(女性編集者でこの人に頼み込まれて書いた)も校正しているはずである。

できあがった本を手にしてじっくり読むとミスが見つかる。校正をしたことがある人は誰もが経験している。完成してからミスが見つかるのである。

この本はひどかった。数ページに一つ、全部で四十以上の誤字脱字、間違いが見つかった。畠山にも見てもらい、付箋紙をびっしり貼って出版社に「重版の際直してください」と送った。担当者は何も言って来なかった。

重版の通知はついに来なかった。

それはそうだ。真剣に心を込めて大事に作った本か、間違いだらけのだらしない本かは見ただけで解る。本屋で手にとっただけで感じとれる。売れるわけがない(興味のある方はアマゾンで古本を一円で出しているので買って調べてみてください)。

二年後の『上司が鬼?』は持ち込み原稿である。PHP研究所にはお願いしなかった。出版社に三社持ち込んですべて断られた。ガックリ肩を落としていると断られた三社のうちの一社プレジデント社から電話があり「出します」と言ってくれた。文庫版、翻訳版合わせて六〇万部のベストセラーはPHP研究所から出る可能性もあったのである。

あの苦い経験をまたするのかと思った。

昨年九月発行の『指導者として成功するための十三の条件』は自信作である。部下を持つ人の自己啓発用に大量購入してくれるお客様が多かった。

校正のプロ畠山から「拝読しました。間違いに付箋をつけました」と本を送ってきた。

私もできた本を読んでいくつか直したほうがいい点を見つけたが、畠山の指摘も「こう直したほうがよりよいのでは」というものが多かった。しかし一つ決定的ミスがあった。大石くらのすけを蔵之助と印刷していた。正しくは内蔵助。固有名詞のミスは致命的である。私と高木書房の斉藤社長の二人だけで校正を済ませたのが間違いだった。出す前に畠山に校正をしてもらえばよかったと思う。その後武心教育経営塾の近藤建氏からもいくつか指摘があり、直したほうがいいところが表紙の題字の行間を詰めるなども含めて二十ヵ所近くに上った。

半年たった。あのPHP研究所の本と同じに重版なしで終わるのかと苛立った。

「第二版出します」と斉藤社長から連絡があったのが五月中旬。六月初旬に欠点を完全に修復した本が出た。初版を購入してくださったお客様には申し訳ないが、待ちに待った重版、私は今、ホッと胸をなでおろしている。

 

 

 

不愉快な言葉を遣う人を嫌う

 

新聞にはさみ込まれていた〝安心のリフォーム〟の会社のチラシ。

「スマートフォンから詳しく見れます」とあった。この「見れます」で、この会社は安心と信用第一を謳っているが全く信用できないと思った。

繊細敏感の反対を粗暴鈍感とするなら荒田は明らかに後者に属する。小さいことにこだわらないその人間が〝言葉〟にはこだわる。

ありがとうございました、おめでとうございましたと言う人はたとえ大社長でも尊敬の圏外に置く。見れる、食べれる、生きれるなどのら抜き言葉を遣う人も切り捨てる。文章の中でこうした言葉に出合うと、読むのをやめる。

荒田が嫌う言葉ベスト10。

①寄り添う 昔NHKが放映した軍艦島の捏造番組についてNHKの会長が「島民の方々の気持ちに寄り添いたい」と国会で答弁した(五月十九日産経新聞)。生存者が抗議しているが、捏造を認めて謝罪する方向である。しかし国営放送が国民全体を騙して韓国に忖度した大問題である。この映像を根拠に、日本が朝鮮人労働者を奴隷のように扱ったと韓国が抗議している。「島民の方々の気持ちに寄り添いたい」といったきれいごとで済まされる問題ではない。

「被害者に寄り添って」「家族に寄り添い」と寄り添うはマスコミでよく遣われる。意味はそばにくっついて同じ方向に一緒に行くといったあいまいな言葉で、何をどうするかは言っていない。支える、協力する、助けるというニュアンスは含んでいるがならば支える、助けると具体的にはっきり言えばいい。

②生きざま 自分の人生、生き方を卑下して言う時に遣う。「渋沢栄一の痛快な生きざま」という言い方は間違い。最近は他人の人生に平気で生きざまを遣う人がふえている。中身のない人生を嘆く時にのみ遣っていい言葉なのに。

③巻き込む 研修のスピーチでも研修生が「部下を巻き込んで」「開発部門を巻き込んで」などよく言っている。本来、巻き込むは事件に巻き込まれる、陰謀の計画に巻き込む、機械に巻き込まれてケガをしたなど、あまりよくない意味で遣われてきた。それを協力者にする、賛同させる、意思統一をはかるなど、「寄り添う」同様あいまいな格好いい言葉として遣うようになった。不要かつ不愉快な言葉である。

④私的には 大臣が「私個人としては」と答える場面がよくある。「個人としては」はいらない。責任逃がれのつもりなのだろうが、こう言ったからといって責任は減らない。「私は」でいい。私的〈わたくしてき〉の的は「自分の意見は聞いていただくほどの価値のあるものではありませんが」と自分を謙遜する態度を表すために遣う。そのやさしい気遣いが気持ち悪い。

⑤とても 「とても美しい」「とてもおいしい」と遣われている。女性あるいは女性的男性の文章に多く見られる。非常に、大変と同じ意味だが語感がやわらかいので女性が好むのかもしれない。本来は「とても無理」「とても行けない」など否定を強調する意味に遣われていた。それ以前は「どうせ」「しょせんは」という打ち消しの頭に遣われていた。

それが今のように「とても美しい」と遣われるようになったのは「ありがとうございました」と同じ時期の昭和二十年代からである。荒田が憤っても言葉遣いはとても変えられないが。

⑥何をか言わんや 新聞のコラムや論説の末尾に今も遣われている。こんなにばかとは思わなかった。言っても解らないだろう。もう何も言ってやる気になれないの意。知識教養優れた筆者が相手の稚拙と無知を嘆いて吐く常套句。人を小馬鹿にして逃げるのではなく読者が「なるほど」と感心してくれるまで自分の文章の説得力を磨くべし。

⑦僕 小説では許されるが、評論、解説などでたまに「僕ちゃんは」と書く人がいるが、後を読む気がしなくなる。これは荒田だけの偏見かもしれないが。

⑧超 ⑨ヤバイ テレビの芸人が流行らせた醜語。

⑩かわいい 感嘆符「!」として遣う。のべつ幕無し何でもかでもカワイイ! である。きもい!

自分の文の校正もできないくせに、嫌いな言葉を挙げさせてもらった。このような嫌いな言葉を遣う人もまた嫌いである。

荒田のように「あれはだめ、これもだめ」と自分から世間を狭くする偏屈な人は人から嫌われる。解っているがやめられない。