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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 307」  畠山裕介

 

刎頸 ふんけい の交わり

 

-ナンバー2(34)-

 

現職総理大臣の犯罪とくれば、ロッキード事件である。

昭和五一年二月の国会証人喚問で、驚くべき賄賂事件が発覚した。ロッキード社が自社航空機売込みのため、三〇億円の賄賂をばらまいた。そのうちの五億円が時の総理大臣田中角栄に流れたという。

田中の政敵だった三木武夫首相は、これを田中追放の道具に使った。結局田中元首相は逮捕され、実刑判決を受けた。

この事件では、二つの有名な台詞が生まれた。ともに証人たる「昭和最大の政商」小佐野賢治〈おさのけんじ〉の口から出たものである。

一つは「記憶にございません」。小佐野は、関係者を不利にする質問には、この言葉を連発して逃げ通した。いや、最後は偽証罪で懲役一年の実刑を受けた。それでも知らぬ存ぜぬを貫いた。田中をはじめ容疑者のほとんどは、心で小佐野に手を合わせたであろう。

もう一つは「刎頸の友」。『史記』にある。中国の戦国時代、趙の将軍廉頗〈れんぱ〉と元宦官〈かんがん〉の外交官藺相如〈りんしょうじょ〉の友情である。

当初はいがみ合っていた二人だが、ともに国のためには命を捨てる義士とわかり、深い信義を結ぶ。お互いに相手に首を刎〈は〉ねられても悔いのない友という意味。

証人喚問で田中との関係を問われた小佐野は「刎頸の交わり」と短く発した。

田中と小佐野の境遇は相似形であった。ともに極貧の家で生まれ育った。尋常小学校しか出ていない。寒村から身ひとつで上京し、泥水をすすりながら食いつないだ。歳は小佐野が一歳上。戦後の混乱期に大成しようと夢を膨らませた。かたや政治家として、かたや実業家として。二人はすぐに意気投合した。

両雄は互いに相手を利用して、サクセス・ストーリーをひた走った。

そのきわめつけが、田中派の立ち上げ。

昭和四七年、田中は八一人の議員を率いて派閥を発足させた。そして「角福戦争」と呼ばれた七月の自民党総裁戦に臨む。福田赳夫との一騎打ちに勝利し、ついに田中は総理総裁の座に就いた。

この時、裏では六〇億円のカネが乱れ飛んだとされる。その資金面で田中を全面的に支援したのが小佐野だった。

小佐野の行動の正邪善悪は、ここでは問わない。ただ何がなんでも友を守り抜くという覚悟は見上げたものである。

キリスト教では友のために死ぬのをもっとも尊い死という。小佐野の決意は、それに類するものであろう。

ひるがえって組織のナンバー2は絶対にトップを裏切ってはならない。トップを守るためにはからだを張らねばならない。