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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 321」  畠山裕介

 

保科正之 ほしなまさゆき 一分 いちぶん

 

-ナンバー2(48)-

 

一六五七年、江戸を大火事が襲う。明暦の大火である。火はやがて、江戸の大半を呑み込んだ。

無理もない。当時の家屋は木と紙でできている。しかも長屋などはびっしりと密集している。ひとたび火事になれば、あっという間に燃えひろがる。

江戸城も天守閣が燃え、本丸も二の丸、三の丸も焼け落ちた。唯一残ったのが西の丸。幕閣たちはここに将軍家綱を避難させた。

火はどんどん迫る。ここも危ない。みな右往左往する。そこに正之の怒声が響いた。

「将軍が逃げてどうするか!」

家綱や幕閣たちは、瞬時に我を取り戻した。火事は二昼夜に及び、十万人が焼け死んだ。

正之は被災者のために一日千俵の米を提供。粥の炊き出しまで行い、町民を飢えから守った。また家を失った人びとの救援に十六万両を支出した。

「そんなことしてたら、幕府の金蔵が空になるではないか」と反対する幕閣もなくはなかった。

「金はこういう時にこそ使って、民衆を救うものだ。いま使わなくて、いつ使うのだ!」と一蹴。

江戸は火に弱い。幕府のお膝元を火災に強い町にしよう。決心するや、正之は即実行に移した。

主要街道の道幅を一・五倍広くした。火除けのための空き地、広小路を作った。いまの上野広小路である。

きわめつけは、焼け落ちた天守閣の再建問題。天守閣は武門の権威の象徴。まして江戸城は、幕府の権威を表す。「最優先で再建すべき」の声が多いなか、正之は真っ向から異を唱える。

「天守閣は信長が岐阜城に築いたのが初まりだが、平和の時代には必要ない」

そしてその後も現在に至るまで、天守閣は再建されていない。テレビで暴れん坊将軍が江戸城の天守閣をバックに馬を走らせる場面がある。あれはフィクション。

正之の最大の功績は、人びとの固定された価値観を転換させたことにある。つまり天守閣を作らなくても幕府の威光は保てる。この驚くべき発想の転換を、幕閣たちの常識にしたことである。

幕府の権威を高めるのは、武力による強権ではない。庶民一人ひとりにまで目の届いた善政である。これが正之の高遠時代から変わらぬ信念であった。

徳川の世を長く続かせた要因は、武力の否定である。武断政治から文治政治への大転換こそ、最大の原動力であった。

正之は四代将軍家綱を二三年間補佐した。江戸時代の平和と秩序は、家綱と正之のコンビによってもたらされた。正之を信じ、その有能を使い切った家綱はやはり名君であった。