畠山裕介の『人と話の交差点』
人材育成の新聞『ヤアーッ』より
「人と話の交差点 326」 畠山裕介
管仲と鮑叔牙
-ナンバー2(53)-
管鮑の交りという。
古代中国の春秋時代、斉の国に管仲と鮑叔牙という若者がいた。二人は幼い時から仲がよく、無二の友だった。
二人で商売をして、管仲が儲けを多く取った。鮑叔は管仲を責めなかった。管仲の家が貧しいのを知っていたからだ。
管仲は三度いくさに出て、毎回逃げ帰ってきた。鮑叔は見下さなかった。管仲には年老いた母がいるのを知っていたからだ。
鮑叔は管仲にいつもあたたかい友情を注ぎ続けた。
ある日、鮑叔に仕官の出世話が来た。鮑叔は喜んだが、「私より管仲のほうがはるかにすぐれています」と友を推した。
管仲が仕えたのは、斉の国の桓公。当時の斉は弱小後進国だった。桓公も凡庸な君主だった。管仲はそんな桓公をよく盛り立てた。桓公もまた管仲を深く信頼し、政治の実権を任せた。
管仲はわずか七年で、桓公を覇者たらしめた。そして国際社会で桓公の名声を高からしめた。
管仲の政治の特徴は、民の暮らしを豊かにすることにあった。
政治家の第一の務めは、倉庫をいっぱいにしておくことにある。なぜなら人びとは『倉廩(倉庫)実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(名誉や恥)を知る』からである。これが管仲の終生変わらない政治哲学だった。それは自身の幼い頃からの貧乏生活が生んだ教訓でもあった。
管仲にもうひとつ、有名な言葉がある。
『一年の計は穀を樹うるに如くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし』
一年の成果を感じるには、穀物を植えるのが一番。十年の成果を感じるには、木を植えるのが一番。一生の成果を感じるには、人材を養成するのが一番。国家や社会の発展にとって、人材の養成こそが一番重要である。
民をわが子のように慈しむ。民をしっかり食べさせる。経済の発展に力を注ぐ。国家百年の計として、人材育成を柱とする。
管仲は前六八五年に宰相に迎えられ、前六四五年、現職のまま没した。
四十年間も宰相の地位にあって斉の国政をきりもりした。その間、斉は国際社会でリーダーであり続けた。そして桓公は覇者としてゆるぎない地位を確立した。これらはすべて管仲の功績である。
管仲が死んで、桓公の勢威は徐徐にしぼんだ。そして二年後死んだ。まさに組織の盛衰を決めるのは、ナンバー2である。
「我を生む者は父母なり。我を知る者は鮑叔なり」
管仲の鮑叔評である。評するも人、評されるも人なり。