畠山裕介の『人と話の交差点』
人材育成の新聞『ヤアーッ』より
「人と話の交差点 328」 畠山裕介
天才の挫折
-ナンバー2(55)-
「すごい二代目が出ましたなあ。あの人は二代目やのうて、やってはることは創業者ですわ」と〝経営の神様〟松下幸之助は驚嘆した。
「彼は明日の日本をしょって立つリーダーだね」と〝今太閣〟田中角栄は褒めちぎった。
一時期はアメリカの経済誌フォーブスが発表する世界長者番付で六度も一位。世界一の大金持ちになった。総資産額、推定三兆円(当時)。
この頃が、人生の絶頂期だった。
二〇〇四年、総会屋への利益供与と有価証券報告書の虚偽記載が発覚。関連企業の全役職を降りた。翌年、インサイダー取引の疑いで逮捕され、有罪判決を受けた。
天国から地獄へまっさかさま。
もうおわかりだろう。元西武鉄道グループオーナー、堤義明のことである。
堤義明の父親は、西武グループ創業者の堤康次郎(やすじろう)。衆議院議長まで務めた父親から、義明は徹底的に帝王学を仕込まれた。
義明には異母兄が二人いた。しかし、なぜか義明が後継者になった。康次郎は鉄拳のスパルタ教育で義明を育てた。そして常に義明の上に君臨した。義明は心底から父親を怖れた。これが義明の人格形成に大きな影を落としたことは想像に難くない。
かつて異様な光景をテレビで観た。正月の鎌倉霊園。ヘリコプターからの図である。黒の上下に身を包んだ数百人の男たちが列を作っている。墓参の順番を待っているのだ。
墓の主は堤康次郎。男たちは西武鉄道グループの幹部社員たち五〇〇人。そのうち堤義明がジェットヘリで到着し、厳かなる墓参の儀式が始まる。これだけで、この儀式が義明の命令であることがわかる。世間の常識では、珍妙きわまる光景だった。
西武鉄道グループは、唯一の盟主堤義明を中心にした巨大な一枚岩組織だった。グループ数万人の社員は堤家の〝使用人〟にすぎなかった。義明の一言一句はさながら天の声だった。
全国のプリンスホテルの支配人たちは、義明の巡回をなにより怖れた。ほこり一舞(ひとまい)の粗相もないよう、支配人以下全員で事前練習を徹底した。
従業員にとって最上のお客様は、利用してくださる一般客ではなく義明なのだ。
義明は天才肌の経営者だった。巨大な構想力を持って、事業を推進させる才能とエネルギーを持っていた。そして全社員の上に義明一人が君臨している。それが西武鉄道グループの実態だった。
独裁は必ず腐敗する。
惜しむらくは、側近に人がいなかった。義明の独走を諫め、止めるナンバー2がいなかった。トップ一人では組織は動かないのだ。