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畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 330」  畠山裕介

 

天下人の謀臣2

 

-ナンバー2(57)-

 

本多正信の謀略家としての真骨頂を、さらに見よう。

大久保忠隣(ただちか)事件。大久保家は三河以来の譜代の名家。さらに正信は若い時期、忠隣の父にひとかたならぬ世話を受けている。また、忠隣は老中まで登りつめた大物である。

正信は、忠隣の増長を見抜いていた。そして徳川家の将来のために、恩人の息子を追放した。

本願寺分裂事件。

京都駅北口に豪壮な西本願寺と東本願寺がある。もともとは一つの宗教団体であった。江戸初期、巨大な勢いを得る。いずれ徳川に害をなすと正信は直感した。

折りしも教団は長男と三男が仲違いをしている。正信はこの機をとらえて一気に分裂させてしまう。

正信の政治は常にこのようであった。頭にあるのは主家徳川の安泰、繁栄、永続のみであった。

自分の利益を図らない。正信は生涯に渡って無私無欲であった。

正信は老中であり、かつ相模国玉縄藩主であった。所領二万二千石。徳川幕府の老中としてこの俸給、あまりに少ない。

徳川幕府はこの点、明瞭な思想を持っていた。関ヶ原以前からの部下である譜代大名には、政治権限を与えた。関ヶ原以降に部下になった外様大名は、政治にタッチさせなかった。そのかわりカネを与えた。

これが徳川のやり方である。これで幕府は二六〇年続いた。これも家康、正信の合作と言えよう。

カネや物欲について、正信は息子正純(まさずみ)に言い残している。

「我の死後、汝はかならず領地加増を賜るだろう。三万石まではよい。だがそれ以上は決して受けてはならぬ。辞退せねば、かならず禍が降りかかるであろう」

正信は生前ことあるごとに、正純に言い聞かせたという。

人間はカネに弱い。カネは人間の志や節操をたやすく溶かす。正信はこのあたりの人間における真実を知り抜いていたのだろう。自分でも、そういう誘惑を何度も体験したのだろう。かろうじて身を持した経験も、何度かあったろう。

正信は賢くも生涯二万二千石に甘んじた。

息子正純はどうしたか。

父の戒めを聞かず、どんどん加増を受けた。最終的には宇都宮に一五万五千石を拝領するまでになった。

そして父正信の言うとおり人の嫉妬や恨みを買った。その後は一千石まで減らされ、失意の晩年を送ったという。

儒学者、新井白石は家康と正信をこう評した。

「何も言わなくても、顔を見ただけでお互いの考え方がわかり、すでに心の中で相談が済んでいるのである」