株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 394」   染谷和巳

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 〝守り〟についての考え方

大局観と先見性は経営者と同じように必要であるが、優れたナンバー2に共通する力、欠かせない力がある。それは危機に直面した時に社長の前に出て矢面に立つ覚悟、忍耐力と恕の精神、汚れ仕事裏の仕事の責任者だという自覚。この三つを備えた人が真のナンバー2になる資格がある。


〝守り〟の軽視は会社の命取り

若い頃荒田は社員十人たらずの出版社に勤めていた。専門書の他に食品添加物や漬物メーカー向けの月刊誌を二種類出していた。広告料だけではやっていけないので都内ホテルでの勉強会や一泊二日の温泉での研修会を頻繁に開いていた。

荒田は食品添加物の知識ゼロでその一つの雑誌の編集長であった。旧知のこの会社の営業マンに「編集長に」と誘われて、潰れそうな住宅雑誌社から転職したのであった。

事務所は酒屋の二階にあり、板張りの階段はキューキュー鳴り、板張りの床もきしんだ。事務所には小さく囲った社長室があり、社長は終日その囲いの中で原稿を書いたり電話をしたりしていた。

給料日には社長自らお札を数え、硬貨をチャラチャラ封筒に入れた。その音が外の荒田たちによく聞こえた。荒田は隣の同僚に「原始的だなあ、これでも出版社かね」とささやいた。

女子事務員は社長室から一番近い席にいたが交通費など小口の精算はするが、給料などの大口は計算すら任されていない。やがて社長室から出てきた社長が社員の名前を呼んで給料袋を手渡す…。

町の商店はもとより日本の中小企業の大半は社員が何十人いようと〝個人商店〟である。その典型はかつて小売業売上げ日本一になったスーパーの㈱ダイエーである。創業者中内?氏は「経営は私とコンピュータとパートがいればいい」と自信たっぷりに言った。八百屋のおやじでも言いそうなことである。

八百屋のおやじといえば荒田の叔父は八百屋をしていた。池袋の繁華街に店があり、飲食店が客で大きい商いをしていた。夫婦の他に店番、配達などが少ない時四人、多い時は八人いた。町の八百屋としては大所帯である。自社ビルを建て、賃貸マンションも建て羽振りがよかった。

この叔父は店が小さい頃からの習慣を変えなかった。市場で腹巻きから財布を取り出して仕入れ代金を払い、その日の売上げ金をそっくり財布に入れて腹巻きにしまう。この習慣を変えることができなかった。財布に入りきれず重い札束をじかに腹巻きに入れて出し入れしていた。

腹巻きの財布、これが個人商店の原形である。荒田が勤めた出版社も個人商店、大企業の㈱ダイエーも個人商店である。

地元のそば屋がテレビで好意的に取り上げられて、客がどっと押し寄せた。昼時でもないのに客が外に並んでいる。それを見てまた人が並ぶ。

店主と従業員は疲労がたまり数日で笑顔がなくなった。動作が鈍くなった。返事や「ありがとうございます」も怠るようになった。注文したものが出てくる時間が長くなり、客は苛立った。さらに輪をかけて、店の者の態度が尊大になり客の不愉快が高じた。

店は一ヵ月で元に戻った。いや元より悪くなった。ランチサービスや新商品を店先で訴えたが効果はなかった。そばの味は落ちていないのに以前来ていた常連客も姿を見せなくなった。まだ潰れてはいないが店内に客がいるのを見たことがない。

客が押し寄せるという初めての体験に店主が対応できなかった。

好況を長続きさせるには守りを強化しなければならなかった。うちでこの時間帯で客に満足して食べていただけるのは何人までと客数を制限し、それを告知して客を並ばせずに帰ってもらえばよかった。制限によって売上げは減るが笑顔の応対は続く。この道をとれば客に見限られることはなかった。〝守り〟の軽視は会社の命取りになる。

経理、総務、人事、教育などスタッフの仕事を社長がすべてひとりで握って行っているのが個人商店である。規模が小さい会社が大きくなれないのは社長がいつまでも銭勘定をしているからである。

会社が小のままで終わるのは、あるいは大きくなって高転びに転ぶのは「攻め」と「守り」のバランスがとれないためである。守りを軽視した結果である。


守りを重視し過ぎるのも危険

かつて自動車メーカーの社長が記者の「本社ビルはいつ頃?」という質問に「本社ビル? 本社は工場の片隅でいい」と答えた。至言である。

銀行や保険会社が都心に重厚な本社ビルを構えるのは客の安心と信用を得るためである。お金という流動商品を扱っているのでプレハブのバラックが本社では客が不安になり逃げていく。建物が会社の権威を高め、生産性の向上に寄与している。

自動車を買う客は性能、安全性、乗り心地、デザイン、価格を検討する。何十階建ての本社ビルを見て決める人はいない。

当時この自動車メーカーは、さすがに工場の片隅ではなかったが、駅前のビルの数フロアを賃貸契約で借りて本社にしていた。社長は「本社は必要悪」と考えていた。せっかくの利益を食い潰す本社は、なくて済むならないほうがいい、あっても最小規模が望ましいと。

それから二十年後である。世界企業となったこのメーカーは駅前の一等地に人々が見上げる高層本社ビルを建てた。これだけの規模になるとそれだけのスタッフ人員とコンピュータなどの機器を擁(よう)する建物が必要になったからである。スタッフが必要悪ではなく、利益を生み出す部門に変わったからである。

守りを軽視すると会社は潰れるが、攻めとのバランスを欠いて守りを重視しすぎるとやはり会社は潰れてしまう。

地方で十店の中型スーパーを展開しているK社。安売りではなくいいものを揃える方針が支持されて堅実に成長してきた。

本社は町外れの小さいビルの二階にあった。訪問した荒田は「ここがKの本社か」と自分が勤めていた酒屋の二階の出版社を思い出したほどみすぼらしかった。ワンフロアに十人ほどのスタッフと創業社長のK氏がいた。社員の教育に熱心な人で荒田にとって最上級のお客様だった。

市の高額納税者で優良企業。市は繁華街の土地を店舗地として斡旋した。後継者に決まっている専務が社長にそこに本社ビルを建ててはどうかと勧めた。〝将来〟のことを考えて老社長もそれに賛成した。

一流の建築デザイナーの設計による八階建てのしゃれたビルが完成した。ビルは市の中心街の景観を一層よくした。一階はスーパーにはせずレストランと喫茶店、それに文化ホールを併設した。

各種展示会やサークル活動ができる設備を整えた。いずれ市の情報発信基地にする構想である。

荒田は新社屋の最上階で一度だけ社長に会った。ビルをほめると社長は照れていた。

その後創業社長は病床に伏し、専務が二代目社長に就任。二代目は派手で、華美なことを好む経営者だった。

初めはガランとしていた事務所のフロアーが年々人が増え、五年後には、数えると五十人近い人が働いている。以前は十人足らずだったスタッフが十倍になっていた。

店舗は三店出店したが二店閉めたので一店しか増えていない。ビル一階の文化ホールなどはいずれも利益に寄与していない。スタッフの半数は現場(店)の責任者を勤めあげて部長、課長になった人である。そこに女性社員が部下としてついている。売上げは落ちてはいないが伸びてもいない。

スタッフは現場の社員と比べるとみな高給取りである。荒田は「危ないな」と思った。

三年後、大手のファンド会社に巧妙に仕掛けられ社長と幹部が追放された。会社を乗っ取られた。優良企業のK社は今も前と同じ看板でスーパーの営業をしているが経営陣は別人になった。

まわりの人は「社長は脇が甘いからだ」「あんなコンサルタントの言うことを聞かなければいいのに」と言った。

荒田は「金銭感覚が麻痺した二代目社長が先代の〝堅実〟をやめて〝放漫〟に向かったのが失敗の原因だ」と思った。


守備の一流選手がナンバー2

優れたナンバー2はもともとトップ(大将)の座を求めない。自分はトップを支える役のほうが適していると思っている。

プロ野球には打撃も守備も一流の選手が少なくないが、打撃はそこそこだが守備は一流という選手も多い。ピッチャーとキャッチャーのほとんどがこれに当てはまる。内野手外野手にも守りは一流と折り紙つきの選手がいる。こうした人がチームの勝利に貢献する。

この守りの資質を持つ人がナンバー2になる人である。昔は女性が守りの役を自然に負っていたが、今は守りに徹する女性は少ない。

貴重な〝守りの名手〟がいれば会社は救われ成長する。


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