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染谷昌克の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 447」   染谷昌克

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筆を責めるな、書き手を鍛えよ

ことわざに名を刻まれる人物は、きわめて少ない。しかも複数の教訓として語り継がれているのは、弁慶や空海くらいか。それは偶然ではない。生き方そのものが人の心に残り、教えとして言葉になったのだ。なぜ彼らの名は今も語られるのか。その理由から、経営にも通じる大切な本質が見えてくる。


環境は言い訳にならない

「弘法筆を選ばず」

この言葉の主である空海は、ただの名僧ではない。唐に渡り、短期間で密教を修めた。帰国後は教育の場を開き、社会事業を動かした。高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)から、真言宗という巨大な組織を築き上げた。宗教家であり、教育者であり、実行者であり、組織設計者だった。

現代で言えば、思想と実行力を併せ持つ経営者である。

空海は、生きている間から「弘法大師」と呼ばれていたわけではない。

この称号は没後、約八十年を経て、醍醐天皇から贈られたものである。「弘法」とは法を弘めた者、「大師」とは偉大な師を意味する。後世が彼の生き方を評価し与えた名である。

評価とは、後から決まるもの。時代が与えた名には、重みがある。

空海の人生は決して順風満帆ではなかった。異国での学びは命懸けであり、帰国後も常に理解者に囲まれていたわけではない。それでも空海は、環境を言い訳にしなかった。

今ある場所でやる。今ある資源で動く。その積み重ねが、後世の称号を生んだのだ。

経営も同じである。

景気が悪い。人が足りない。条件が整わない。

これは事実だが、事実を語るだけでは組織は良くならないし、強くならない。

問われるのは姿勢である。環境に振り回されるか。環境を引き受けるか。

未来の評価は、いまの姿勢が決める。


組織は管理者で決まる

筆は人材である。

書き手は管理者、そして経営者である。

多くの企業が「人が足りない」と嘆く。しかし、本当に問題なのは人数だろうか。同じ人材でも、誰のもとで働くかによって成長の度合いは大きく変わる。

ある上司のもとでは挑戦を重ね、能力を発揮し、自信を深めていく。別の上司のもとでは萎縮し、失敗を恐れ、本来の力を出せないまま終わってしまう。

その差を生むのは、人材の能力そのもの以上に、書き手である管理者の力量である。

日々きちんと部下を見ているか。小さな変化に気づいているか。強みを理解しているか。思い切って任せているか。失敗を急いで取り上げず、成長の機会として待てているか。

必要なときに本気で向き合い、厳しくも温かく叱れているか。こうした日々の姿勢が、人材の伸びしろを決める。

未熟な書き手は筆のせいにする。「この人材では難しい」と言う。

成熟した書き手は筆の持ち味を引き出そうとする。「この人材をどう活かすか」と考える。

平安時代の僧・空海は、その本質を深く理解していた。著書『性霊集(しょうりょうしゅう)』には、嵯峨天皇へ筆を献上した際の文章が残る。そこでは、筆は心を映す器であり、文を正すことは国を正すことにつながると説いている。

筆という道具を尊びながらも、筆そのものに依存しない姿勢がそこにある。

人材は大切である。だが人材任せにしてはならない。採用は入口にすぎない。本丸は育成である。

経営者の仕事は優秀な筆を集めることではなく、書き手を育てる仕組みを整え続けることにある。

管理者が鍛えられれば、人材は活きる。管理者が未熟であれば、どれほど優秀な人材も力を発揮できない。

組織の力は、人材の質以上に、管理者の鍛錬によって決まる。

筆を集める経営か。

書き手を鍛える経営か。

その選択が、組織の未来を分けるのである。


補佐役を軽んじるな

筆と書き手だけでは、文字は生まれない。文字を生むには、硯(すずり)と墨がいる。

硯とは補佐役である。補佐役は前に出ない。華やかな成果の中心に立つことも少ない。しかし、経営者の思考を整理し、管理者の迷いを受け止め、組織の流れを丁寧に整えている。会議の準備を整え、情報をつなぎ、温度差を調整し、衝突を和らげる。

硯がなければ墨は磨(す)れない。墨がなければ筆は走らない。補佐役は、組織の呼吸を整える存在なのである。

補佐役を軽んじる組織は、やがて揺らぐ。経営者は孤立し、管理者は疲弊し、現場は方向を見失う。目立たない存在を軽視した瞬間から、組織は内側から崩れ始める。

墨とは理念である。

理念がなければ、筆はどこへ向かえばよいのかわからない。理念が磨かれていなければ、書き手も判断を誤る。

理念は掲げて終わるものではない。日々の意思決定の中で確かめ、行動と照らし合わせながら磨き続けるものである。

第一段階、筆を集める。

第二段階、書き手を鍛える。

第三段階、硯を整え、墨を磨く。

この三位一体が揃って初めて、組織は一つの文字を書くことができる。それも一時的な成果ではなく、長く読み継がれる文字である。

空海が「弘法大師」と呼ばれたのは、称号の重みゆえではない。彼が築いた教えと組織が、彼の死後も機能し続けたからである。人を動かす思想と、人を育てる仕組みを残したからである。

本当に価値があるのは、人が去っても止まらない構造だ。

経営者が不在になっても、現場が迷わず判断できる。管理者が替わっても、人が育つ。補佐役が機能し、理念が判断の軸として生きている。こうした構造こそが、企業を支える。

経営も同じである。肩書きや一時の業績は、その場の評価を得ることはできる。しかし、それがなくなった瞬間に止まる組織に未来はない。

むしろ危ういのは、派手な成果が出ている時ほど、属人化が進むことである。勝っている間にこそ、仕組みを整えなければならない。

問われているのは、いまの成果ではない。

いなくなっても動くかどうかである。

筆を探し続けるのか。

書き手を育て続けるのか。

補佐役を整えるのか。

理念を磨くのか。

企業の存続は偶然ではない。未来は、鍛えた部分からしか変わらない。



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