株式会社 アイウィル

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染谷昌克の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 452」   染谷昌克

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信頼される組織の条件

企業理念を掲げ、行動指針を定め、人事制度を整えても、組織が一つになるとは限らない。会議では賛成ばかりなのに現場は動かず、本音が聞こえてこない。制度があっても、心は揃わない。組織は、なぜすれ違ってしまうのか。その問いの先に、信頼される組織を支える本質が見えてくる。


なぜ組織はすれ違う

会議では誰も反対しない。上司の指示にも「わかりました」と返事をする。それなのに、思うような成果は出ず、新しい提案も少ない。

なぜ社員は本音を言わなくなるのか。その原因は、人ではない。組織の判断基準にある。

「言われた通りにやったのに、なぜ怒られるのだろう」

社員はそう思っている。

「何度も言っているのに、なぜ伝わらないのだろう」

社長はそう思っている。

実は、この両者の言い分は、どちらも間違っていない。問題は能力ではない。社員のやる気でもない。

判断基準が共有されていないのである。社長には社長の「当たり前」がある。社員にも社員の「当たり前」がある。

その当たり前が違えば、同じ言葉でも違う行動になる。

例えば、社長が「お客様を大切にしよう」と伝えたとする。

ある社員は笑顔で接客することだと考える。ある社員は迅速に対応することだと考える。またある社員は、お客様の要望を優先することだと考える。

どれも間違いではない。

しかし、社長が期待していた行動とは違っていたとき、社員は「言われた通りにやった」と思い、社長は「なぜ分からないのだ」と感じる。

こうした小さなズレは、やがて評価への不満となり、上司への不信となる。人は間違えることよりも、何を基準に判断されるのかわからないことを恐れる。本音を語らなくなる。反対意見が出なくなる。提案がなくなる。挑戦する人がいなくなる。

静かな組織ができあがる。その静けさは秩序ではない。信頼を失った組織の姿なのである。

自分と他人の考え方が完全に一致することはない。だからこそ、判断のブレを減らす共通の基準が必要なのだ。


なぜ判定は受け入れられる

人はなぜ、自分に不利な判断であっても受け入れることができるのだろうか。

昨年、秩父宮ラグビー場で行われた大学ラグビー対抗戦、T大とM大の試合を観戦した。

後半四十分を過ぎ、インジュアリータイム。試合終了間際、一つの判定が勝敗を左右した。

「認定トライ」。

その瞬間、M大の逆転勝利が決まった。

私は、「この判定は違うのではないか」と感じた。会場も少しざわついた。

私の心に残ったのは、その判定ではなかった。

M大の選手たちは、飛び跳ね、抱き合い、歓喜に沸いていた。

一方、T大の選手たちは、誰一人審判に詰め寄ることはなかった。判定を受け入れ、互いの健闘を称え合うノーサイドへと、気持ちを切り替えていた。

その姿に本当の強さを見た。

なぜ、T大の選手たちは判定を受け入れることができたのか。

審判が絶対に間違えない存在だからではない。審判も人間である。判断を誤ることもある。

それでも選手たちは判定を受け入れる。

信頼しているのは、審判という一人の人間ではない。

競技を支える判断基準であり、それに従って公正に判定しようとする姿勢なのである。

ラグビーには、誰もが共有する判断基準がある。一つの判定に納得できなくても、競技そのものへの信頼は揺るがない。

ここに、企業経営にも通じる大切な示唆がある。

会社では、「評価に納得できない」「なぜあの人が昇進したのか分からない」という声を耳にすることがある。

しかし、本当に不満なのは評価そのものではない。

判断基準が見えないことなのだ。何が評価され、何が認められ、何を基準に昇進が決まるのか。それが見えなければ、人は評価ではなく、評価する人を疑い始める。そして、信頼は少しずつ失われていく。

人は、間違えない人を信頼するのではない。

公正に判断しようとする人を信頼するのである。


判断基準こそ文化である

企業もラグビーと同じである。

社員は、上司が間違えないことを期待しているのではない。

自分たちが納得できる判断が行われることを期待しているのである。

何を大切にし、何を評価し、どのような基準で昇進が決まるのか。その基準が見えなければ、判断そのものへの信頼は生まれない。

その基準が曖昧であれば、評価は人によって変わるものに見えてしまう。昨日は認められた行動が今日は否定される。同じ成果を上げても、評価する人によって結果が変わる。そう感じた瞬間、人は評価ではなく、評価する人を疑い始める。そして、その小さな疑念は、やがて組織全体の信頼を静かに蝕んでいく。

組織で本当に共有すべきものは理念や制度だけではない。判断基準である。

判断基準は、迷った時に立ち戻る場所でもある。正解が一つではない場面で、何を優先し何を譲らないのか。その拠り所が共有されていることが組織に一貫性を生む。

何を大切にする会社なのか。

何を評価する会社なのか。

何を目指している会社なのか。

その判断基準が共有されていれば、たとえ自分に厳しい評価であっても、人は納得して受け入れることができる。納得できる評価は、人を成長させる。反対に、基準の見えない評価は、人を守りに入らせ、本音を失わせる。だから、信頼される組織ほど、判断基準を明確にし、それを繰り返し伝えているのである。

優れた経営者ほど、判断基準を言葉にする。理念を語り、行動指針を示し、何度も伝え、何度も確認する。それは社員を縛るためではない。社員を自由にするためである。

判断基準があるからこそ、社員は上司の顔色ではなく自分の判断で動ける。一人ひとりが同じ物差しで考え、自ら判断し、自ら行動できるようになる。それが主体性であり、自律した組織への第一歩である。

組織は、人が人を信じることで成り立つのではない。人が同じ判断基準を信じることで成り立つ。その積み重ねが信頼となり、信頼の積み重ねが文化となる。

組織文化とは、共有された判断基準が、一人ひとりの判断として現れた姿である。



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