株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 403」   染谷和巳

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 昔通った道にまた来た

そりゃ、会社と仕事が楽しいにこしたことはないが、好きなことを好きな時にする〝遊び〟と会社勤めは違う。スマホ世代の学生の志望動機は以前は給料や自分の成長だったが、今は楽しいこと、個性を出せることだという。勤めと遊びが同じ重さだ。上司が「小言」を言っても通じない――。


大人になったわが子への小言

「次郎長十訓」の「子供の言うことは一切聞くな」をどこで見たか忘れてしまったので、ご存知の方はご一報ください、と六月号に書いた。

すぐに「ご一報」があった。

それは「親父の小言」の「子の言うこと八九きくな」ではないか、と。

それで思い出した。「一切聞くな」ではなく私が見た文も「八九きくな」だったことを。

連絡をくれたのは金沢市の(株)KBMの諸橋強正(つよまさ)社長。社長、ありがとうございます。

「親父の小言」は江戸時代の末頃に江戸っ子が作ったと言われている。「朝きげんよくしろ」「恩は遠くからかへせ」「人には馬鹿にされていろ」など八十一ヵ条、これが原作。

明治になり新聞など印刷物が出回るようになり全国に広まっていく。著作権などないので読み書きのできる人が削ったりつけ加えたりして勝手に作り変えた。

有名なのは福島県浪江町の大聖寺の和尚さんが作った四十五ヵ条。寺に飾ってあるのを見た檀家(だんか)が感心して額入りにして商品として売り出した。

昭和三十年には三十五ヵ条に縮めた商品が売り出され、居酒屋、銭湯、一般家庭の便所の壁などに張り出され、また日本酒の一升びんのラベルに使われたりしてよく知られるようになり、今ではカレンダー風に毎年内容を変えた「小言」も売られている。

ふだんの生活や常識を短い命令文で述べるので誰でも作者になることができる。アイデアマンが「次郎長十訓」として商品化したとも考えられる。

もし「次郎長十訓」がこの世に存在しないとしたら、昔から思い込みが激しく、後に謝ることが多かったので、ついに〝病膏肓(こうこう)に入る〟と脱毛の頭を叩くしかない。

ところで「子の言うこと八九きくな」は今の三十代四十代の父親母親には理解できない文言らしい。「わかんな?い、意味教えて」とインターネットに書き込んでいる人もいる。

これに答える先生の返事。

「子の言うことを一、二割は聞いてあげる。つまり親は頭ごなしに抑えつけないで、子を信じて、よく話を聞いてあげて、納得させて〝わがまま〟をやめさせる。これが上手な躾ではないでしょうか」

こじつけ、曲解、我田引水もここまで堂々とされると、間違ったことを「こうだ」と言って恥じない荒田でさえ首を傾げてしまう。

親父の小言は大きくなって所帯を持ち子をもうけた自分の悴(せがれ)を戒めるのが目的。

親父からみれば孫にあたる子の育て方を見ていると「危なっかしくていけねえ」とつい口を出したくなる。息子や嫁に直接言えば角が立つので、紙に書いて張り出す。どこの家でも同じようなので、「小言」はいたる所に張り出されるようになった。

「八九きくな」は文字どおり八割九割きくなという意味。子どもの言うことを何でも聞いて甘やかすとロクな大人にならない。「わしはお前を甘やかしたから、風体は一丁前だが精神軟弱で人様から軽んじられる者になってしまった。お前は自分の子をわしのように甘やかしてはならんぞ」と親父は自戒の意味を込めて説教しているのである。

こんな「小言」は今は通用しないと、現代の若者向けの小言を提供している人がいる。

「大企業でも安心するな」「システムにとりこまれるな」など就職する大学生への忠告のような文を載せている。こんなのは小言とはいえない。


自由で楽しく個性尊重の会社

これから会社に就職する学生は読み書きはできるが、本を読まない、新聞を見ない、テレビも見ない。スマホで何でも済ませる。ニュースなどの情報はみなSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービスの略語。フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどの総称)で得ている。

四十代五十代の親が新聞を取っていないし本を読まないのだから、その子が紙媒体になじむわけがない。

こうした情報源を旧式とすれば、スマホのSNSは新式で若者は新式にどっぷり漬かっている。

こうした学生は就職する会社に何を求めるか、どんな会社に勤めようとしているか。

同志社大学の三木光範名誉教授は、「『楽しさ、個性が出せること、柔軟性と平等性』を実現できない企業は優秀な学生を採用することが難しくなる」と言っている(産経新聞六月二十七日「正論」)。

優秀な学生はスマホ育ちで、広くて快適な事務所で楽しく仕事をしたい(ノルマを課されたり抑圧されるのは御免)と思っている。

自分の好きな(個性に合った)仕事をしたいと思っている。規則規律で縛りつけるのではなく、その社員の状況に合わせて(たとえば親の介護や子どもの出産など)に応じて融通のきく柔軟な対応をしてくれることを求めている。そして男女はもとよりいろいろな差別のない平等を求めている。

荒田は大企業に入れるような優秀な学生ではなかった。ではスマホ育ちの優秀ではない学生はどうなのだろう。優秀な学生と同様の志望動機を持っているのか。

おそらく楽しく個性重視であろう。同じスマホ育ちだから同じ価値観を持っているだろう。

優秀とはいえない九〇%の学生を受け入れる中小企業はこの志望動機にこたえられるだろうか。しゃれたオフィスビルくらいは備えられるかもしれないが、いやなら上司の命令を断ってもいいとなるとそこまでは無理となるだろう。

「似ている」と荒田は思った。

四十年近く前、好景気で人が足りなかった。優秀な学生に来てほしいので会社は「どうすればうちに来てくれるか」考えた。

学生は「自由と個性尊重、それに上下の差のない平等」を求めた。大学教授などの識者が「求めている」と新聞雑誌に書いて世論を煽った。

ビシネス雑誌は「ピラミッド形の組織はもう古い。社員が皆経営者で自分たちで考え自分たちで決めるフラット(平ら)な組織、そんな新しい会社が誕生した」と紹介した。上下関係のない平等で自由で個性を生かせる会社の会議の模様が写真入りで載っていた。

荒田は反論した。

「会社は軍隊と同類の目的追求形の組織である。そこには命令する人とそれを実行する人がいる。上司部下という役割上の上下関係がある。この上下関係が堅固な会社が強い優れた会社である。自由、個性、平等では経営できないし仕事にもならない」

雑誌が持て囃(はや)した「新しい組織の会社」は一年持たずに解散、やがてバブルが崩壊して「自由と個性」を求める声も小さくなった。

あの時に似ている。「うちに来れば楽しいですよ、個性が生かせますよ」と学生を勧誘する〝案内書〟に入れる会社も現れている。

ないはずの道が本当にあるように見えてくる。中国やロシアとの取引きをやめられない大企業が、優秀な学生を獲得するために、どこまで組織を壊して行けるか見物(みもの)である。


中小企業経営者の踏ん張り時

家での夕食。会話はない。家族の顔も見ない。皆スマホを見ている。子は親ではなくスマホの言うことを聞く。

その子が社会人になる。その学生にとって先生はスマホ、指導者も上司もスマホである。悩みはスマホに聞けば解決してくれる、不満はスマホにぶつければ消える。

「社員研修? 挨拶訓練? 言語明瞭に話す? そんな研修なぜ必要なんですか。私は毎日スマホと会話している。仕事の進め方も人間関係のあり方も何でも教えてくれる、解らないことがすぐ解るし、できないことがすぐできるようになる。古くさい研修なんか何の意味もありません」

入社した〝優秀な学生〟の弁である。

大企業は希望にこたえるため、自由でのびのび楽しく勤められる環境を整える。上司は優秀な人材に逃げられたら困るので、だらしない姿勢や、聞き取れない小さい声すら注意しない。

中小企業がこれを真似る。「天下の〇〇がしているんだから間違いあるまい」と出社退社時間を自由にし、在宅勤務を増やし副業を認める。

中小企業に来る優秀でない学生も、優秀な学生のおすそ分けにあずかれるわけだ。

思い出してほしい。バブル期採用の社員がいくつになっても指導力がなく使いものにならなくて頭をかかえたことを。

「楽しくて個性が出せて社員の要望に柔軟にこたえられる会社なら入ってもいいですよ」なんていう学生はこっちからお断りすべし。


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