株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 401」   染谷和巳

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 甘えるな!甘やかすな

会社の応接室には絵や書が飾ってある。ある時、訪問した会社では横長の布に縦書きの「次郎長十訓(家訓か家憲だったかもしれない)」を壁に飾っていた。その中ほどに「子供の」の一条があった。その一条のみが頭に残った。いつだったか、どこの会社だったかまったく思い出せない——。


「次郎長十訓」はどこにあるか

ある会社の応接間にのれんが飾られており、それに「次郎長十訓」が印刷されていた。その一つに「子供の言うことは一切聞くな」とあった。清水次郎長が本当に言った言葉かどうか解らないし、荒田の記憶があいまいで文言はこの通りでないかもしれないが、子育ての名言だと感心した。

四月号のこの欄の文である。

のれんではなく細長い布だったので手ぬぐいかもしれない。訪問先の会社の応接室の壁に飾られていた。見たのは確かだが、その会社を思い出せなかった。

静岡県清水の観光協会に「そうしたお土産はないか」と問い合わせた。次郎長一家の子分の名を入れたのれんはあるが「十訓」は知らないという。「次郎長翁を知る会」があるので聞いてみるとよいと電話を教えてくれた。静岡では次郎長は郷土の偉人でこうした資料保存と功績の伝承をする会があることを知った。

電話をしたが会長も会員も不在で留守番電話が「ご用の方はこちらに」と電話番号を教えてくれた。そこへ電話すると「あら、先ほどの方ですね」と言って初めに電話した清水観光協会の女性事務員が出た。詳しく事情を話すと「調べて連絡します」と親切に応待してくれた。

連絡がなかったので前の文を載せた。清水の女性事務員に「このように使いました」とヤアーッを送った。返事がきた。

「この度は『次郎長十訓』につきお問い合わせ頂いた件で、回答が遅れて申し訳ありません。ご連絡先に何度か電話を入れさせて頂きましたが、ご連絡が付かず失礼をいたしました。お送り頂いた新聞を拝読いたしました。

この『次郎長十訓』ですが地元清水で活動している『次郎長翁を知る会』の方に照会したところ、結論から申しますと『次郎長が言った言葉ではない』という事です。そのような記録は残っておらず、違うだろうという事です。

早くに連絡できず大変申し訳ありませんでした」

もし連絡がとれていたとしても、あの文章をそのまま載せていただろうと思った。

荒田は清水次郎長(本名山本長五郎)を東映のチャンバラ映画のヤクザの親分と思っていた。明治以降は街道警固役という国家公務員待遇の大役を受け持ち、富士の裾野の開墾などの社会事業に尽力し、山岡鉄舟の信頼を得て〝公〟のために活躍した、〝大人物〟であったことを知った。

その次郎長の子育ての名言を知って、次郎長を尊敬した。

「子供の言うことは一切聞くな」は現代の子育てにはふさわしくない教えだという反論がある。一人二人ではなく大勢の人が「現実的ではない」と目をそむける。こうした人はおそらく「子供の人権を尊重し、子供の言うことはできるだけ聞いてあげなさい」という教えに賛同するのだろう。

確かに子供の要求や言い分をすべて拒絶するのは現実的ではない。

格言や教訓というものは科学から生まれるものではない。人の経験から導き出された「そう言われりゃ、そんなことあるよね」程度の的中率五〇%の教訓だと思ったほうがいい。

たとえば「急がば回れ」「急いては事をし損ずる」という格言。

危険のともなう近道をして事故にあうことがある。時間がかかって難儀ではあっても安全な道を行くほうがいいという意味。しかし急ぐ時は準備が整わなくても安全でなくても最短距離の道を選ぶ。その時刻に到着しなければ失敗、敗北だからである。〝拙速〟が最良の道であることもよくある。

「子供の言うことは一切聞くな」を信条とする親が子供の言うことを聞いてあげることもある。何%か何十%か解らないが、聞いてあげなくてはならないケース、聞いてあげたほうがいいケースがある。

格言や教訓は状況によってピタッと当てはまり、状況によっては外れるものである。

これを理解したうえで「一切聞くな」は「何でも聞いてやれ」より格段に優れた教訓である。

ともあれ荒田はいつどこで「十訓」を見たのか。それを見つけて「次郎長翁を知る会」に参考資料として届けたい。

この拙文を読んだお客様の中に「ああ、それならウチにある」と言われる方がおられたなら、どうかご一報ください。


民主主義の弊害があきらかに

人は目先の損得で動く。

選挙で当選しないと議員になれないので、候補者は自分に投票してくれとお願いする。

金品を贈る人、選挙期間中(公示後)ではなくそれ以前に文書などで投票を依頼する人は逮捕されたり起訴されたりする。

公職選挙法違反が発覚するのは氷山の一角で、運よく逃れた人、違反すれすれのことをしている人は多い。

見方を少し変えると、国民の支持を得るために政府がしていることはすべて選挙運動に入るのではないか。

たとえば低所得世帯の子供一人当たり五万円を支給する。原油や諸物価の高騰を抑制するために税金を投入する。これも選挙を見据えた事前運動の一つと考えられる。今度発足するいじめ、虐待防止の「こども家庭庁」も、子を持つ親の支持を得るのが目的であろう。

選挙に勝たなければ議員バッジは付けられない。大局観先見性を持って国の将来を考えて政治を行おうとしても(たとえば原発推進や核保有、憲法改正)、目先の損得で動く人の心には届かない。選挙で投票してくれない。それが解っているので本音は隠して人々が喜ぶ〝公約〟を並べる。

民主主義は①話し合い②多数決③選挙制度で成り立っている。

国民に選ばれた代議士は国会や政府で、国の主権を守り国益をはかることを求められている。それを本務としている。国のため、国民の将来のために「こうしたほうがいい」と思っていることがいろいろある。

しかしこうした大問題は犠牲をともなうし、強力な反対意見があるので決断できない。国家の大事に目をつぶり先送りして、国民が喜ぶ目先の問題解決に勤しむ。

かつて沖縄県の尖閣諸島の乗っ取りをはかる中国に政府は何の手も打たなかった。東京都知事の石原慎太郎が業を煮やして、個人所有の島を都が買って守ろうと提案。購入費は寄付を募って賄うことにした。たちまち十億近くの寄付金が集まった。

中国に低頭する当時の民主党政権(野田総理大臣)は中国を怒らせたくなかったので、あわてて尖閣を国が買い取ることにした。国有にして尖閣近海への中国船の侵入を黙認。それが現在まで続いている。国防国益よりも〝事なかれ主義〟をとったのだ。

いつしか政治家は敵と真っ向から対決する勇気と戦意を微塵(みじん)も持たなくなっていた。

さらに弱者優遇の風潮が人々の〝たかり根性〟を助長した。災害や事故が起こる度に補償と援助を要求する。それを国や自治体が受け入れる。日本人は甘えることを恥と思わなくなった。

「子供の言うことは一切聞くな」などという教えに賛同する人は百人に一人しかいなくなった。


甘えさせない怖い人が必要だ

五十年以上前、精神科医土居健郎の「『甘え』の構造」がベストセラーになった。

子供は母親が自分を絶対的に受け入れてくれることがわかっているので甘える。甘えることによって母親の言語、行動習慣、価値観を身につける。これを「一体化」と呼び、日本人独特の心理の構造だと解説している。

人間関係は甘えると甘えられるが無理なく行われる時うまくいく。お互いにプラスになる。親子関係を原形とし、男女の恋愛関係、友人、教師と生徒、上司部下などの二者の人間関係は「甘える」が相手に自然に受け入れられる時に成立し、これがないと乾燥した無価値な関係になるという。

しかし土居は全学連などによる「安保反対」のデモや闘争は国を相手にした甘えの行為であるが、一体化同一化を志向していないので日本的甘えの構造を逸脱していると批判している。

日本ほど甘えが肯定され受容される国はない。個人も同志団体も被害者意識をむきだしにして国や社会に補償と支援を訴える。訴えは政府や経営者が審議するが、理不尽と思われる件(たとえば優生保護法一時金支給)でもやすやすと通ってしまう。

土居健郎は平成二十一年(二〇〇九)に亡くなったが、現在なら怖いものなしの甘え放題を嘆いて書くだろう。「将来のために、子供に甘えさせない強い怖い親でなくてはならないと、節を曲げて言及するに違いない。


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