株式会社 アイウィル

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染谷和巳の『経営管理講座』

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

「経営管理講座 397」   染谷和巳

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 歴史から何を学ぶのか

今回は死と税金と教育の三点について歴史から何を学ぶかを述べる。これが会社経営と何の関係があるのかと首を傾げる人もいるだろう。直接関係はないが、社長やナンバー2はこの〝関係ないような所〟から思考を深めていかなければ大局観先見性という能力を身につけることはできない。

人の命は地球より重くはない

革命や戦争あるいは大災害で多くの人が死に社会の体制が変わるが、生き残った人々が立ち上がり新しい時代を作っていく。

人間の生命力は生物の中で最も強い。ウイルスなどの生命力と比較にならない強靭なものがある。

たとえば十四世紀にヨーロッパで流行したペストによりヨーロッパの人口の三分の一が死亡した。さまざまな病原菌の中で最強のペスト菌は、さらに十七世紀イギリスで、十九世紀にまたヨーロッパ全土に広がり膨大な死者を出した。

二十世紀に入ってからもスペイン風邪で五千万人(うち日本四十五万人)、エイズで三千六百万人、そして二十一世紀の今、武漢ウイルスにより五百万人以上が亡くなっている。

しかし人類は滅亡することなくその逆境を克服して現在に至っている。その不滅の生命力を〝感じる〟人は、ウイルスに何人感染した、何人死んだというニュースに動じることはない。不安におびえて縮こまることなく日常生活を送り仕事に邁進している。

人間には他の生物にない欠点がある。人は自分の命、安全、幸福を最優先する。他人を蹴落として自分だけ助かろうとし、他人を押しのけて優位に立とうとする。それが高じると自己中心、エゴイストになる。

すべての生物は命をつなぐことを〝生きる目的〟にしている。親からもらった命を子につなぐことである。種族保存本能に基づいて行動する。存続のために生きて死ぬ。

人は損得勘定と好き嫌いの感情で動く。その時〝自分〟が優先し〝存続〟の使命感は後退する。これが人間の他の生物にない「生物としての欠点」である。

渡部昇一が著書でこう言っている。「人の死は泰山より重いという。福田赳夫総理大臣は日本赤軍のハイジャック事件(一九七七)の折、身代金と収監されている赤軍派の仲間の釈放を要求された。要求を呑まなければ乗客の人質を殺すと言われて〝超法規的措置〟により九人の囚人を釈放。その時福田総理は『命は尊貴である。一人の人の命は地球より重い』と言ってテロリストの要求に従ったことの弁明をした。確かに人の死は泰山より重い。しかしこの格言には続きがある。後半は『あるいは鴻毛より軽し』である。人の命は鳥の羽根よりも軽い。地球より重い命もあるがきわめて軽い命もあるということである」。

鳥の羽根より軽い死が価値のない死だという意味ではない。命の引き継ぎに成功し、子が自力で生きていくことができることを確認した親の死は「軽いけれども使命を果たした十分満足の死である」ということ。そしてウイルスや戦争で自分の子を残せなくて死んでも、生き残った仲間が種族の再建と繁栄を行えるなら、その死は軽いけれどもやはり尊いのである。

この格言は、〝私〟に執着し、個の尊重と何でも自由を唱え、反面、安全安心平和幸福を他力(国家や社会)に頼り切る私たちに対する警告である。

人に与えられた強い生命力を仲間(種族)と子孫のために生かして使おうとせず、ただただ自分ひとりのために使う人に対して「人の命は地球より重いんだ、だから私をもっと大事にしろ、なんて言ってはならない。何か人のためになること(仕事)をし、子孫のためになることをすれば、その人生は価値がある。たとえ鳥の羽根より軽い命と見做されたとしても」という戒めの言葉である。

人は生きかはり死にかはりして五百万年存続してきた強い生命体である。歴史はこのことを教える。

荒田は今も思っている。

ダッカの赤軍派ハイジャックの要求に福田総理が「超法規的措置」と言って囚人九人を釈放したのは間違っていたと。「要求をきかなければ人質はアメリカ人から殺していく」と脅されたからと聞くが断固拒否すべきだった。以来世界中でテロが頻発し、九・一一のニューヨークの貿易センタービルへの旅客機自爆テロまで起きた。中国、ロシア、北朝鮮などは国がテロリストを使って巧妙にテロを行っている。テロに屈した福田総理の決断が世界のテロ被害を積み上げてきた。拒否していれば…。これも歴史が教えている。

ばらまきは有害無益な政策だ

目標達成して期待以上の利益が出ると会社は特別賞与を出す。社員は一層仕事に精を出す。

政府の〝ばらまき〟は昭和六十三年(一九八八)からの〝ふるさと創生事業〟、全国市町村に一億円の交付に始まった。市町村は思い思いに文化会館、記念館、記念碑などを建てた。こうしたものが既にあって新たに必要ない所は町民村民個々に〝補助金〟〝支援金〟の名目でばらまいた。

直近では令和二年四月に「コロナ特別定額給付金」として全国民に一人十万円。会社や商店にも休業補償金や雇用助成金が支給された。令和三年には高額年収世帯を除き、高校生以下の子供一人当たり十万円の「臨時特別給付金」のばらまきが行われた。

ばらまきは選挙の票につながる。何でもないのにお金をあげると言われれば誰でも喜ぶ。喜んでその人に投票するかどうかは別だが仕掛けはしておいたほうがいい。そこで与党のみならず野党も「うちのほうがもっと多額を」とばらまきを公約する。公明党のポスターには「高校生以下医療費無償化」とあった。

会社は利益がたくさん出なければ特別賞与を出せないが、国は赤字でも出せる。出すのは集めた税金である。それが不足なら国債を国民に売ってその売り上げ金から出す。

なぜ税金を集めるのか。道路や電気ガス水道、学校や国立競技場などの公共施設つまり社会の基盤となる大きい事業を行うためである。警察官、自衛隊員など公務員の給料を支払うためもあるが、税金を集める最大の目的は個人にできない大金のかかる大きい仕事をするためである。国の安全と平和を守り、国民の幸福な生活を保障するために税金が集められ遣われる。

そのために集めた税金である。それを個人の生活支援や貯金のために遣うことは選挙の票を集めるためであってもしてはいけない。

長岡藩の「米百俵」を例に出すまでもない。

為政者は集めた税金を大局を見て将来を見て必要と思われるところに遣う。

名を残す戦国武将は皆優れた為政者であった。武田信玄は毎年洪水で田畑を押し流す川に二十年かけて信玄堤を作った。信長秀吉は人と商品の流通を重視して、道路作りや治水に莫大な資金を投じた。徳川幕府は諸大名の協力を得て〝神田川〟を引き上質の水を江戸市民に提供し、暴れ川坂東太郎(利根川)に中条堤(ちゅうじょうてい)を作り大洪水から江戸を守った。

江戸時代は民が苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に泣く暗黒の時代だったという歴史学者がいる。百姓一揆が二千数百件も発生したのがその証しだと。

自由社の「新しい歴史教科書」は「百姓一揆」をこう解説している。

「百姓は年貢をおさめることを当然の公的な義務と考えていましたが、不当に重い年貢を課せられると、結束して軽減を訴えました。それを〝百姓一揆〟といいます。一揆は暴動の形をとることはめったになく、たいていは領主との団体交渉で解決しました。大名はできるだけ要求を受け入れて、穏やかにことをおさめようとするのが普通のやり方でした」。

一揆は労働組合の団体交渉と似たもので、労働組合はストライキ(罷業(ひぎょう))を行うが、農民は田畑を捨てて抵抗することはしなかった。

学者は虐げられた農民が飢饉の折に暴動を起こした一揆が二千数百件あったと言うが、飢饉の時は大名や豪商が備蓄米を放出して農民を助けたのであり、学者は江戸幕府を悪者にするため史実をねじ曲げているとしか思えない。

江戸時代は為政者(幕府と大名)が国を守るため、国を豊かにするため、民の生活の安定と幸福のために税を遣って適切な政策を出し続けたから二百六十年も長い平和を維持できた。

その場凌ぎの〝ばらまき〟などは政策とも呼べない。歴史がそれを教えている。

弱いわがままな子を作る教育

日本は教育の最先進国である。特に子供の教育では世界の範となる域に達している。

この歴史には「子供目線で」「子供の意見をよく聞いて」「子供の自由と個性を尊重して」といった主張や方針は一切なかった。

子供は親と先生の言うことをよく聞いて「ならぬものはならぬのです」としつけられた。

この誇り高い歴史を無視して子供を甘やかす教育改革や「こども家庭庁」といったきれいな言葉で飾った〝逆行〟が進んでいる。


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