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<畠山裕介の新刊>

畠山裕介の最新刊『仕事を決める和文力』
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『仕事を決める和文力』
人の心を動かす文章を書く方法とは

畠山裕介の『人と話の交差点』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「人と話の交差点 322」  畠山裕介

 

主の悪口は絶対に言わない

 

-ナンバー2(49)-

 

傲岸不遜ごうがんふそんが三つ揃いを着て歩いているとマスコミから酷評された。言い得て妙だった。

早坂茂三しげぞう。田中角栄元首相の政務秘書を二三年間務めた。

いつも田中のうしろに静かに居た。そのたたずまいは千釣せんきんの貫禄があった。前を歩く田中がまるで露払いのように見えた。

三流新聞社の政治記者時代、田中に声をかけられた。

「オレは十年後、天下を取る。一生一度の大博打だが、負けてもともと。首までは取られまい。どうだい、一緒にやらないか」

これがつきあいの始まりである。

昭和四七年、田中は総理となる。が、田中金脈問題の追及を受け、就任二年五ヵ月で首相を降りた。

翌年、田中は「政治はヤクザ者の世界だが、お前はヤクザになり切れなかった」と早坂に引導を渡す。さらに田中は言う。

「お前はやっぱりジャーナリストが性にあっているぞ。株をやる。新聞社、テレビ会社の主筆とか専務にでもなれ。お前名義の株だから、オレがどうなろうと、びくともするもんじゃない」

早坂には田中の温情が痛いほどわかった。また失意の田中が再起を期しているのもよくわかった。

「オヤジさん、まだ総理を辞めてひと月です。私は役立たずだけど、もう少しそばに置いてください」と勧めを断わった。

一年後、ロッキード問題が発覚。田中は逮捕され、裁判が始まる。四面楚歌の田中を早坂は身を楯にして守り抜いた。

田中が脳梗塞で倒れた。政治方針をめぐる対立で、田中家は早坂を切った。早坂は政治評論家に転身した。

事務所を開き、各界に挨拶状を送った。一番に返信をくれたのは福田赳夫だった。田中の最大のライバルで、敵方の総大将である。犬猿の仲で、何度も喧嘩した相手である。その福田が「新しい世界で頑張れ!」と激励してくれた。涙が出るほど嬉しかった。

お礼に福田事務所を訪問。一時間ばかり四方山話をした。また福田は田中の病状を心配し、何度も質問してきた。そのつど早坂は言葉を選び、慎重に答えた。

その夜、福田は新聞記者たちにばらした。「角さんのことをいろいろ聞いたが、肝心なことは何ひとつ言わなかった」と。

主の秘密は誰にも明かさない。主の損になることは絶対に口にしない。墓場まで持って行く。

秘書としての早坂の寡黙な矜恃を福田は高く評価した。そしてそれを早坂の将来のために、福田はそれとなく公の場で披露した。

そこのあなた、酒の勢いを借りて社長の悪口をあることないこと喋っていませんか。社長を貶めておもしろがっていませんか。