アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 377」   染谷和巳

 

うやうや しく本業に いそ しむ

経営管理講座

 

日本企業の中国依存度が度を越していたことがウィルスのおかげで判った。だから中国からの入国禁止の決定が遅れ、習近平を国賓として迎えようとしていたのだ。儲かればどこで何をしてもいいという、日本的経営の精神にそぐわない経営姿勢を改めて〝己れに恭しく〟なる時が来ている。

 

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多角化経営は九〇%失敗する

 

異業種参入、異分野開拓の多角経営は冒険と挑戦のスリルがあっておもしろい。しかし大半が失敗に終っている。

荒田が知っている成功例は一社だけである。

六年前に一部上場を果たしたS社。二十六歳の時T社長が徒手空拳で立ち上げた。昭和四十二年(一九六七)、東京オリンピックが終り高度成長期のまっただなか。不動産販売業で順調に出発した。

不動産管理業で足元を固め、ビル清掃、白アリ駆除、ホテル業、オフィスビル、賃貸マンション、居酒屋、カラオケボックスと異業種を手掛けてことごとく成功、平成十六年(二〇〇四)に全く経験実績がない介護老人ホームの経営に乗り出した。この新事業にまた、成功し施設数を増やし続け、平成二十六年(二〇一四)東証一部上場、現在社員数四五〇〇名の堂堂たる会社になっている。

これはT社長の強運と若い時から人材育成を怠らない人間中心の経営が呼び込んだ「多角経営」成功の稀なケースだと荒田は思う。

失敗例はいやというほど身近かに見ている。

M&Aが一般化した現在、本業と異なる会社を簡単に傘下に収めることができる。

業績は悪くない、借金もほとんどない、顧客もいる、しかし後継者がいないので会社を買ってほしいという依頼が仲介業者に山ほど寄せられている。

ゆとりのある会社の社長が知れば欲しくなる。中堅機械部品メーカーが和菓子製造会社を一億円で買い取った。社長は「いい買い物をした」とまわりに自慢した。

作る技術はある、職人もいる。責任者が現場に張り付いていなくても毎日の数字の報告を見ていれば経営はできると考えていた。

会社は飛行機で行く距離にある。社長は和菓子にかかり切りではいられない。代行する管理者もいない。パソコンの画面で報告を聞き指示を出した。

和菓子屋は十人規模。時間とともに士気が落ち、怠ける者、悪いことをする者が出てきた。ミスが増え、客のクレームが頻発した。

会社は経営する人がいて成り立つ。経営できる人がいないならどんな魅力的物件であっても購入してはならない。この理屈が解っているはずの機械部品メーカーの社長、つい欲が出て高い買い物をしてしまった。二年後、三千万円で売りたいと仲介業者に申し出た。

もうひとつ失敗例。

かなりお金のゆとりができた。社長は前から個人で公開株の売買をしていたが、これを会社の金でするようになった。女性社員一人を株担当にした。株担当は一日短波放送を聞いて、めぼしい情報を社長に報告する。社長が売り買いの指示を出す。

本業は学習塾。教室は借り室が多かったが最近は自前のビルにしている。土地を探し建物を建てる。社長は社内に建築不動産部を設けベテラン社員を一人専任にした。専任は土地探し、建設会社との交渉をする。そのうち買った土地を新聞にチラシ広告を入れて売ることもするようになった。

居酒屋を作った。社員二人を選んだ。二人はかっぱ橋で鍋、食器、コップを買い揃えることから始め、食材の仕入れ、肴作りの業務に励んだ。

社長と塾長などの幹部が幹部会議の後で一杯やっていたが、十人いっぺんに座れないことがよくあった。ならば自前で作ってしまえ、一般客も来るから経営は成り立つと考えた。

居酒屋は月二回幹部の飲み会に使われた。社員は一度は来たが勤務地から遠かったので二度来る人は少なかった。道を通る人が入りたくなるような店構えでなかったので、地元の人はめったに来ない。

学習塾の空き部屋、空き時間を活用しようと「主婦のための教養講座」「就職の手引き講座」「ビジネスマンの英会話」「社員の教育研修」などの新商品を続続と作り、DM、新聞やスマホの広告で宣伝したがいずれも生徒は数人しか集まらなかった。

それぞれこうしたセミナーや教育を専門に行っている会社があり、その客を奪うことができなかった。また、講師をみな塾講師と社員で賄ったので、生徒の信頼と尊敬を得られなかった。

がんばって一年半続けたが全て辞めた。

以後も社長の思いつきで学習塾以外の〝事業〟をいろいろしたがことごとく失敗。株担当、建築不動産部も辞めた。県で一位になる勢いがあったこの学習塾は、社長の「多角経営」の失敗で後進に抜かれて現在四位に低迷している。

 

 

己を恭しく正して本業に専念

 

江戸時代後期の実務型経営コンサルタント・二宮尊徳(一七八七?一八五六)は地元の村村の窮乏を救い、小田原藩の財政再建を成し遂げて名を挙げ五十六歳の時、幕府の普請役格として召し抱えられ七十歳で没するまで仕〈つか〉えた。

「二宮翁夜話」の著者福住正兄〈ふくずみまさえ〉は尊徳五十四歳の時入門、師の身の回りの世話をしながら五年間に亘り直接教えを授かった。

その正兄が箱根の旅館の養子に入ることが決まり、師の元を去る時に師が言った。

「論語に『己を恭しくして正しく南面するのみ』とある。そなたが国へ帰って温泉宿をするならば、これを『己を恭しく正して温泉宿をするのみ』と読んで、生涯忘れるでない。こうしたら利益が多かろうとか、ああしたら利益があるだろうなどと、世の流弊に流れて、本業の本理を誤ってはならない。己を恭しくするとは、自分の身の品行を慎んで、堕落しないことをいう。その上に、業務の本理を誤らず、正しく温泉宿をするのだ。肝に銘じておくがよい」。

南面するのみとは天子がほかのことを思わず、ほかのことをしないで国政に一途に心を傾けることであり、同様に農家は農業を、商家は商業を、職人は工業を〝己を恭しくして正しく〟行えば間違いはないの意味である。

さらに言う。

「とにかく、人は一心を決定して動かさないのが尊い。富貴安逸を好んで貧賤勤労をいとうのは、凡情の常で、たとえば婿や嫁なら、養家にいる時は夏暑い家にいるような、冬寒い野原にいるような気持になる――このとき天命婿嫁になるべき身とわきまえ、天命に安んずべきものと悟って、養家がわが家なりと覚悟を決める。そして不動尊像のように心を動かすまい、猛獣に背を焼かれても動くまいと決定して、養家のために心力を尽せ」(「二宮翁夜話」致知出版社刊)。

正兄は師の教えを守り、養子に入った旅館(火災と経営者不在で衰亡していた)を一年間で立て直した。尊徳の分度(身を分きまえた暮しと仕事をする=石門心学の勤勉と倹約)と推譲(儲けはしまい込まずさらにふやすためにつかう)の報徳思想を実践したのである。

その後も本業の本理を誤ることなく、箱根湯本の温泉を栄えさせるため、湯本と小田原の間の道路工事を行い、徒歩でなく人力車や馬車で往来できるようにするなど、観光地箱根の基礎を作る事業を行った。現在の箱根湯本の旅館「萬翠楼」はその子孫が営んでいるそうである。

 

 

今こそ本業に磨きをかける時

 

日本には現在はインドのカースト制度やイギリスの階級制度のような「靴屋の子は靴屋にしかなれない」といった不自由はない。

能力とやる気があればどんな職業につくこともできる。その職業で成功するかしないかは本人の責任だが、自分の意思で仕事を選べる点は幸福である。

自分ができることで何か儲かることはないか、こう考えることは悪いことではない。起業する人の第一歩はみなこんなものだろう。

ほんの一握りの人が成功の路線に乗ることができる。脇見をせず働いて会社らしい形になってきた。社員が増え、お金が回るようになった。

ここで別れ道にさしかかる。何かもっと儲かる別の分野はないか。よしこれをやってみよう。あるいは本業が思わしくなくなった、将来性のある新しい仕事に転身しよう…。

ここで踏み留まる。日本的経営の社長は、恭しく本業に勤しむ。衰退業種ならその商品に固執すれば会社が潰れてしまうので、知識、経験、技術、顧客を生かすことができる関連分野に進出したほうがいい。全くの異分野には手を出さない。行かないと決意する。

武漢ウイルスに負けて本業を疎かにしてはならない。

東京都東村山市の銀河鉄道㈱は東村山から新宿まで一時間半の通勤無料バスを運行している。山本社長は「経費はかかりますが、社員もバスも動かないでいれば腐ってしまいますから」と言っている。本業を貫く熱い心、強い信念が伝わってくる。

 

 

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