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染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 373」   染谷和巳

 

指導育成を止めた上司

経営管理講座

 

まじめな上司ほど部下指導をどうすればいいか悩んでいる。無難なのは厳しい指導を止めて部下の言いなりになり、部下を放任する方法である。こうした状態が続けば数年後組織は統制がとれなくなり会社全体が堕落する。そうなることが解っていながら社長も上司もこの道を歩み続けている。

 

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ニセモノと本物の包容力の違い

 

「器が大きい」と若い社員、特に女子社員から評価されている部長がいる。

器が大きいとは具体的にどういうことか女子に聞くと、よく人の話を聞いてくれる、相手の立場になって考えてくれる、叱るよりほめてはげます、やさしい、包容力がある、といった答が返ってきた。

器が大きい人は包容力がある。

包容力は本物とニセモノの見分けが難しい。範囲が広く、〝無責任〟な言動まで「包容力がある」と見られる場合がある。たとえば新入社員が「こんな仕事をさせられるとは思いませんでした。入社時に言われていません」と文句を言ってくる。部長は「いや、すまない。君の言うとおりだ。君が不満を持つのはよくわかる。悪いようにはしないから、我慢してやってください。社長は思いつきで新しい仕事させるから社員は困っている。私からも言っておきます」と言う。

部長は新入社員の低い意識を肯定し、ご機嫌をとり、そのうえ社長批判までしている。新入社員はこの部長を「話の解る包容力のある人」と見る。

包容力がないとは相手の欠点や失敗を許さない、責める、徹底して追及する、相手の言い分を聞かない、細かいことをしつこくガミガミ言う、「もう知らない、勝手にしろ」と突き放す、相手のいい点まで否定する、自分を脅かす有能な部下を蹴落とす、冷たい、利己的といった言動である。

部下に対してこうした言動を繰り返している上司は、部下から嫌われるだけでなく、人間として軽蔑される。

ニセモノの包容力とは部下に嫌われたくないために「いいよ、いいよ」と失敗を許す、「仕方ない」と妥協する、大目に見る、見て見ぬ振りをする、甘やかす、放任するなど。

また人生にも仕事にも家庭にも、何事に対してもいい加減で無責任な人がいる。部下が「こうしてほしい」と言えば「いいでしょう」と寛大に許可する。部下が失敗しても「いい勉強になったろう」と笑って許す。部下が間違ったことをしていても注意しない。部下が仕事を怠けていても放っておく…。この上司は単にだらしがないだけの人である。真剣になること、徹底することがしんどいので、何事も「いいよ、いいよ」と逃げ腰で中途半端にしている。性格自体が怠惰でだらしない人、この人が一見包容力があるように見えるニセモノである。

「器が大きい、包容力がある」と人気がある部長はこのニセモノに入ると考えていいだろう。

包容力は本来親が子を育てる際に求められる能力である。対等の人や自分より上に対して包容力は通用しない、上が下を正しく強い人に育てるために必要とされる力である。

本物の包容力を持つ人は自分に厳しい。責任感が強く自己の任務に対する使命感も強い。部下にも厳しい。当然、認めるほめるよりも注意する叱るのほうが頻繁である。

この厳しい上司が「ここは許さないと相手が潰れてしまうから一歩引こう」「部下は心から反省しているのだからなぐさめよう」と寛大な処置をする。部下は上司の人間味ややさしい情を感じ「包容力のある上司だ」と認める。認めて好きになり自分のほうから近付いていく。この上司に認められる仕事をしようとする。

本物の包容力は人の心を鷲掴みにする。中小企業の指導者に求められる能力である。これがあれば部下は唯唯〈いい〉として従い、これがなければ部下は距離をとる。このことが解っているから、かの部長のようなニセモノが横行する。部下の心を引きつけようとして部下に阿〈おもね〉ってしまう。

部下は「いい上司だ」と言うが社長はこの部長を「甘いダメ上司だ。部下が育っていない。だから業績が上がらない」と苦苦しい気持ちで見ている。

この部長は部長という役職にありながら、部下によく思われたいために、部下の味方になって、部下の代表となって、会社や社長を攻撃する反逆者になる可能性も小さくないのである。

 

 

 

日本の会社は感情を重視する

 

包容力は人間としての器が大きくなければ発揮できない。

前にも述べたが器などというものが会社の経営や上司の部下指導に求められるのは日本の中小企業だけで、アメリカの大企業は上司も部下も契約とそれに基づくルールに従えば、人間性などはそれほど問題にされない。

もちろん人間だから感情はある。上司は好きな人を優遇し、嫌いな人は遠避ける。アメリカの会社で出世したければ(冷や飯を食わせられたくなければ)上司に〝ゴマをする〟ゴマスリ能力が不可欠と言われている。

ゴマスリは日本では実力のない人が保身のためにするものであるが、アメリカではどんなに能力があり仕事ができても、上司にうまくゴマがすれない人は出世できない。

上司の部下評価は絶対で、低く評価されれば出世の道は閉ざされる。高く評価されれば上司の後継者になれる。ここでは上司が部下に思いやりを示したり遠慮をしたりする包容力の出番はない。器は小さくても、変形していても上司は務まる。

それと比べると日本の会社は人間の感情の部分がすべての人に大きい意味を持っている。器だとか包容力とか経営や仕事と無関係のものが重視されている。

創業社長は食わねばならぬ、金持ちになりたい欲望から会社を興した。成功したい、会社を大きくしたい、社会に認められる会社にしたいと欲望は大きくなるが、欲望が活力の源である点はまだ創業期と変わりない。

この欲望と人間としての器や包容力はつながっていない。社長が経営よりも人間性の修行に力を入れたら業績悪化を招きかねない。

かといって社長が金の亡者で、社員を大事にしないなら優秀な社員は育たないし残らない。会社は「社会貢献」と「社員の幸福」を謳うことによって一人前と認められる。この時期から器や包容力といった人間的なものが経営に参加するようになる。

仕事に対する社員の意欲を高める、社員の献身を引き出す忠誠心と団結を強くする、そのため上司は部下に思いやりを示し、部下に寛大な処遇をする。こうした日本的経営を軽視すると会社は生き残れない。

人間として器が大きいこと、これが指導者の条件である。危機が訪れたときに「今こそあなたについて行きます」と喜んでついてきてくれる部下がいる上司、部下が信頼する上司、部下が慕い寄ってくる上司は器が大きい。

 

 

 

他を容れる空間作りは難しい

 

器が大きいとは〝ゆとり〟があるということ。器が小さいとは自分以外入らないこと。そのゆとり部分に他人を容れる。これが包容力である。

人は誰も欲望のかたまり。大事なのは自分、自分の命、健康、自分の家族、自分のお金、自分の物、自分の考え、信念、思想、自分自分自分である。つねに自分を主張し自分を攻撃する相手から身を守る。器の小さい人はこれで精一杯。毎日自分の欲望を満たすため、自分を守るために全時間と労力を使い果たしている。

器の大きい人は自分中心の器の上のほうにほんの少し無私の部分、他を容れる空間がある。その人と少しつき合えばそれが解る。それを言葉では「器が大きい」「包容力がある」あるいは「人間的魅力がある」「人望がある」「徳がある」と表現する。

器の上のほうに他を受け容れる空間を作るには、自分の欲望を消しゴムで少し消し去るしかない。無欲、無私の部分、無心の心を作ればそこに他(異質のもの)がすんなり入ってくる。

これが器の大きい包容力のある上司になる具体的方法である。

この説明を聞いて荒田は苦笑した。「そんなの屁理屈です。理屈は筋が通っていますが心に少し空間を作るのはそう簡単なことではないでしょ。誰でも努力すればすぐ器の大きい人になれると言いますが信じられません」。

生まれ、家庭での育てられ方、受けてきた教育、読書、教師や友人の影響、社会人になってからの社長や上司やお客様の影響、こうした諸諸の力が働いて人間は成長する。少ししか成長しない人と大きく成長する人がいる。この大きく成長した人がゆとりのある器の大きい人ではないか。

経営者の中には「自分が絶対」で人の意見を聞かない人が少なくない。人の話をよく聞いて、いいことは取り入れるという〝ゆとり〟を持つ人は滅多にいない。だから荒田は欲望を少し消して空間を作るという方法に首を傾げる。

 

 

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