アイウィル 社員教育 研修日程

 

染谷和巳の『経営管理講座』

 

人材育成の新聞『ヤアーッ』より

 

「経営管理講座 355」   染谷和巳

 

老人力活用で乗切る

経営管理講座

 

非正規社員の賃金を正社員と同じに引き上げ残業時間を減らす法案が成立した。収入が減る分は他のアルバイトで補えばいい。残業を減らせば生産性があがり会社が儲かる…。こんなタワゴトを誰が信じる。この法を行う監督署や役所の役人が一万人誕生し膨大な税金が浪費されるだけだ。

 

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足切り策の定年制度を見直す

 

村の渡しの船頭さんは

今年六十のお爺さん

年を取ってもお船を漕ぐときは

元気いっぱい艪〈ろ〉がしなる

それぎっちらぎっちらぎっちらこ

(童謡「船頭さん」一番)

昭和十六年(一九四一)に戦意高揚のために作られた歌である。船は軍馬を運んだ。

六十のお爺さんもお国のために働いているぞ、若いみんなも見習ってしっかり務めよ。

現在の日本人の平均寿命は八十歳を超えており、百歳以上の人が十万人に迫る勢いである。調査を始めた五十年前の昭和三十八年(一九六三)はわずか一五三人だった。この歌ができた昭和十六年には全国に一人か二人しかいなかったろう。

戦前の平均寿命は五十歳程度であり、六十歳は長生きの部類に入り、呼称はまさしくお爺さんお婆さんだった。よって六十歳の人が現役で働いていることは稀であり、いるとすればこの船頭さんのように六十過ぎで働く人は奇特な人、変わり者、目立つ人だった。

長い間日本の会社の定年は五十五歳であった。それが六十歳になり最近六十五歳に変える所も増えてきている。

定年制度は明治時代に軍需工場や商船会社で始められた。それは「定年は五十五歳、五十五まで働いてもらわなくては困る」という規定であった。

当時の平均寿命は四十五歳くらいで、五十五歳まで働いてくれというのは死ぬまでと同義であり、仕事に習熟した熟練工員や社員の「隠居」したがる気持ちを抑えるのが目的であった。武士も商人も農民も四十歳を過ぎたら次代に家督を譲って隠居するのが江戸時代からの風習であり、会社に務める社員も一年でも早く第一線から身を引いて余生をのんびり暮すのが望ましい人生と思っていた。

定年制は辞めたがる熟練社員を囲い込む策として広がっていったのである。

それが足切り策、つまり本人がまだ仕事をする気があるのに強制退職させる規則に変わったのはここ数十年のことである。

平均寿命が四十歳代だった時代の定年が五十五歳だった。平均寿命が七十歳を超してもまだ五十五歳、八十歳を超えた現在ようやく定年六十歳、六十五歳に延長しだしている。

定年制が足切り策として機能したのは、若い社員がどんどん入ってきて活発に仕事をし、会社の柱となっていくうえで、中高年社員が上に澱んで、若者の働きにマイナスの影響を与え、しかも高給を食んで会社の利益を減らす存在になったからである。

会社は社員の平均年齢が若いほうがよいとされ、平均年齢が四十五歳といった会社は活力のない先が暗いところと見なされた。

まだ十分働けるのに五十五歳で定年退職……。これはこれでよかった。十分な退職金をいただき〝苦しいお務め〟を終えてようやく自由の身、したいと思っていた趣味に時間とエネルギーを投入して第二の人生を謳歌しよう…。実際こんな明るい気分で余生を楽しんだ人は少なくない。

社会情勢が変わった。日本人が長生きになった。子供が少なくなり人口の大量減少が確実に予測されている。

この大変化に対応していかなくては。中小企業は若い人が採用できない。これは今後ずっと続く。足切り定年なんて言っていられない。定年制廃止が正解である。

「八十でも九十でも働ける間は働いてください。正社員のままでです。どうぞ年金はもらってください。勤務時間や勤務日数は当然減って結構。もちろん仕事の成果は減少していきますからそれに応じて給料も減ります。体が丈夫で頭がちゃんとしている限り、会社はあなたを歓迎します、百歳社員に挑戦してください!」

こうでもしなければ〝働き手〟がいなくなり、仕事が穴だらけになり社長が一人で何でもしなくてはならない惨めな会社になる。

 

 

日本的経営の勤勉に立ち返る

 

運輸会社を定年退職して再雇用の契約をした運転手三人が「前と同じ時間同じ仕事をしているのに給料が二十五%減った。納得できない」と裁判所に訴えた。

働き方改革の同一労働同一賃金の法律はまだ施行されていないが、裁判所はこの人の言い分を認めて、会社に給料を元に戻す判決を出した。

これは金銭面の待遇差の問題のように見え、本人も会社も裁判所もこの視点から問題解決をはかっている。しかしこれは「定年制度」の問題である。六十歳になったら規定どおり正社員から外れて、新たな契約を結ぶ。仕事の内容も仕事量も仕事の成果も何も変わらないのに、定年という決め事で、前より給料や諸手当を減額する。賞与もなくなる。

もし定年制がなければ、会社は労働時間や仕事の成果で年間の賃金を決める。社員は社員のままずっと務め続けることができる。

会社は理論的に納得できない定年制を改革しなければならない。

働き方改革法は同一労働同一賃金と非正規撲滅を掲げるのではなく、時代に合わない定年制を改革する。それと三十代四十代で線引きによって四十万人、六十万人といわれるニート(非求職遊び人)を働く場に引き摺り出す策を練る。本当に非正規をなくしたいなら、自分の意思で会社に務めない人を、法で強制して仕事をさせなければならない。

働き方改革は〝弱者救済〟が柱になっている。

将来を見通せば日本という国の課題は活力の減退つまり労働力の衰亡である。少子化高齢化という社会現象のマイナス面を最小限に抑え、現在の生産性を維持する方法を考えなければならない。

政府は弱者保護、支援はほどほどにして、日本的経営の本質の〝勤勉〟を柱にした改革を進めなければならない。

 

 

仕事があることが人生の幸福

 

若年労働者の減少、これは国家の大事である。働き方改革は残業時間など問題にしないで、三十年後の労働人口の極端な減少に対する策を考えなければならない。

女性の社会進出はほぼ全開し、もはや〝いまだ埋もれた宝の山〟ではなくなった。子育ての終わる前から職場復帰する女性を社会は自然な姿と受けとめるようになっている。女子力はもはや働き方改革の主題にはならない。

外国人労働者の受け入れ口が広がりつつある。今は小川程度だがやがて大河となり濁流となって日本はアメリカやヨーロッパと同じ移民国家になる。被害甚大な大洪水にしないためには小川のまま入口を狭くしておくこと。

残るは定年廃止により〝老人力〟を活用すること。

つまり定年制を発生時に戻って「足止め策」にする。廃止にできないなら七十五歳でも八十歳でもいい。ここまでは働いてくれと頼む。

年をとれば心身が衰える。

七十歳の幹部社員(取締役部長)が、「きのうの朝食、何を食べたか思い出せない。目が悪くなって小さい字が見にくい。読むのがつらい、潮時だと思う。会社を辞めたい」と言ってきた。

こんな申し出に応じてはならない。記憶力が衰え、目や耳が老化するのは当たり前。それが大きいミス、大損失につながるなら辞意を受け入れてもいいが、「その可能性があるので」くらいではうなずいてはならない。

かつてプレイングマネージャーの女性営業課長が地方のお客様に翌日また同じ内容の電話をかけてクレームになったことがある。

私は電話で謝った。「七十八歳で少しボケが出ていましてすみません」。「えっ七十八! 声が若いし話がしっかりしているので私より下の五十前だと思っていました。七十八じゃ仕方ないわね、ほほほ、お大事に」と女性の社長は許してくれた。

朝一番に出社して飽くことなく電話をかけ、また周囲に話しかけて明るい雰囲気を作る課長だった。そのクレームから一ヵ月後、自宅で急死。前日まで出勤してお喋りしていた。

こんな体験をしているので、経験を積んでいる老齢社員は死ぬまで働いてもらおうと思っている。本人にその気がなければ、「家に引きこもったら一気にヨボヨボになってダメになってしまうぞ」と脅して説得して踏みとどまらせようと思っている。

日本の会社は人間修行の場であると同時に、仕事を通じ、あるいは同じ仲間を通じて社員に「生きがい」を与える場である。仕事があること、仕事をすることは社員の幸福の一つ、長い人生の中の大きい幸福の一つであろうに。

働き方改革法は、定年制廃止、老人力活用などを俎上に載せればよかった。方向を間違ったので世紀の〝悪法〟の謗〈そし〉りは免〈まぬが〉れない。

 

 

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